翔太は未来の手を引いて、駅から反対方向に歩いた。
小さな児童公園を見つけて、ベンチに座らせる。
子どもたちが遊ぶ時間は終わってしまっている。夕暮れがもうすぐ夜の闇に塗りつぶされていく。水銀灯に照らされた公園には誰もいない。
自販機で温かいミルクティーを買って、未来に握らせた。
「結城く…ん……」
「田中はコーヒー苦手だよな」
未来はハッとして顔を上げた。自分でも頬が赤くなっているのが分かる。
「どうして……」
「いつから田中のこと見ていたか、知ってんのか?」
「えっ? いつからって……」
翔太は不思議で頼りになるクラスメイトだった。同い年でありながら、そばにいて落ち着ける存在。
「もう、1年以上だよな。本当に気付かねえんだもん」
「そ、そんなに前から見ていてくれたの……?」
翔太は照れるように肯く。
「ご、ごめんね……。情けないな私……」
これまでの1年を振り返ってみる。
幼い頃から追いかけてきた男性といえば、兄と慕う松永健だけで、それ以外を見てこられなかった。
そんな自分のことを見守ってくれていた存在がいたことを知るだけで、再び涙腺が緩くなっていく。
「で、でもね……」
口に出かけたところをぐっと飲みこむ。
この先を続けるのが怖い。
「田中、吐き出しちまえ。誰にも言わないから」
「きっと、結城君も、私といられなくなっちゃうと思うよ……」
「そんなことない。約束するから」
翔太は未来の手を握り、彼女の濡れた瞳を見つめた。
「ほんと……?」
もう一度、泣き出しそうな未来に笑顔で肯いた。
「あの……ね、この間の続きになっちゃうけど。きっと、信じられないかもしれないけど、私は……、両親を知らないの……」
そこまで言って、翔太を見上げると、真剣な顔で受け止めてくれている。
「うん。前に言ってたね」
「生まれてすぐ、名前も無いまま、今の施設の前に置かれていた日が、私の誕生日……。家無き子だよ……。だから、きっと、これを知ったみんなは、離れて行っちゃうと思うから……」
想像で言っているのではない。小学校、中学校時代と、家族がいないことへの嘲笑や嫌がらせは少なからず存在した。それらから身を守るために、未来は自らを閉じ込め、周囲には「構うなオーラ」を出していた。
「そうだったか……」
翔太は未来の両手を包みこみながら肯いた。
「本当は櫻峰なんて来られるような人間じゃないんだよ」
「頑張ったんだな。よく、頑張った。誰かが、田中を変えてくれたんだな」
小さく横に首を振った。
「私ね、ずっと追いかけてた。さっきの茜音先輩……。優しくて、頭も良くて、本当に敵わなかった。先輩もご両親亡くして、本当にどん底から頑張った人だし。そんな人と同じ人を好きになっちゃったって、勝てるわけ無い。でも、茜音先輩は言ってくれた。最後に選ぶのは男性なんだよって。まだ決まっていないんだよって……」
握った缶をぎゅっと握りしめる。
「こんなこと、結城君に話したら、本当に失礼な話しだと思う。結城君の気持ちを知っていながら、他の人の話をするなんて……。だから、また……一人に戻っちゃう……」
嗚咽を必死に抑えていた未来の背中に翔太は手を置いた。
「田中、ちょっと聞いてもいいかな?」
「うん?」
「一人になっちゃうって、前にも聞いた気がするけど、田中はその男の人をもう追いかけてないのか?」
涙の筋が何本もついた顔で、未来は笑顔を作った。
「とっくに、無理だって諦めてた。だって、相手があの茜音先輩だもん。絶対に無理だって言われていた10年の初恋を実現させて。あの二人は当時に決めていたんだもん。最初から私が入ることは出来なかったんだよ」
「そうか……。安心した」
「えっ……?」
翔太の指が、未来の顔の涙をぬぐっていく。
「田中、この前も言ったとおりだ。俺は田中が好きだ。それに、俺はこの間から考えてきたんだ。誰にももう田中を傷つけさせたくないって。一生懸命に生きてきた田中を、俺は誇りに思う」
「結城君……。そんなこと、言われたら……、私……、崩れちゃうよ?」
「いいんだ。崩れたって。俺と一緒にいて欲しい」
「うん! いいよぉ……」
翔太の胸元に顔を押し当てて、未来はすすり上げ始めた。
「田中……、遅くなってごめんな……」
「ううん。でも、結城君のご両親に私のこと、どう紹介するの? きっと反対されちゃう……」
珠実園の先輩たちがいつも苦労してきたところだ。
身寄りがない自分に、好意を持ってくれる環境はなかなか見つかるものではない。
「まぁ、任せておけって」
その夜、翔太は未来を珠実園まで送った。
「田中、俺は絶対に田中を放さない。だから、もう少し待っていてくれ」
「うん。遠回りさせちゃってごめんね。ありがとう」
未来は手を振って駅に向かう翔太を見えなくなるまで見送っていた。