偽りの錬金術妃は後宮の闇を解く


 質素な民家は相当な年季が入っており、瓦には苔がむしている。
 外から見える窓には網状の不思議なものが貼り付けてあった。壊れかけた塀を応急修理したのかもしれない。
 ドアの横には木の板が置かれており、『お困りごとの解決、承ります』と書かれていた。
 ドアの反対側を見ると隣接して小屋があり、中には牛が繋がれているのが見えた。その横では犬が呑気に昼寝をしていた。

 ──トン、トン、トン。

 天佑はその屋敷の木製の戸を叩く。しかし、返事はなかった。

「いないのか?」

 忙しい中、都から丸二日掛けて来たのだ。この家の主に会わずには帰るわけにはいかぬと天佑は戸に手をかける。

 ガラリと引き戸を開けた瞬間、鼻につく独特の臭い。麻紐、バケツ、縁がギザギザした円盤……。玄関口から見える土間には乱雑に、使い方がよくわからない部品が散らばっている。

 天佑はその光景に眉を顰める。

「たのもう。どなたかおられぬか」

 大きな声で呼びかける。

「はい、いらっしゃい!」

 威勢のよい声が返ってきた直後、大きな反響音が響く。ガランガランッと金属がぶつかって崩れ落ちるような音だ。

(何だ?)

 あまりの音の大きさに、天佑はビクンと肩を揺らす。何事かと恐る恐るそちらを見つめると、「あいたたた……」と小さな声がした。

「大丈夫か?」
「問題ない。立ち上がろうとした拍子に、絶妙のバランスを維持していたこの山に触れただけ」

 ガラクタの山から高い声がした。
 目を凝らしてよく見れば、今さっき豪快な音を立てて崩れ落ちた木と金属の屑に埋もれて、小柄な男の影があった。
 背中の途中までの長さの黒髪は艶があり、後ろでひとつに結ばれている。白い袖口から覗く黒く薄汚れた手足は棒きれのように細い。
 座っていても女ほどの体格しかないことはすぐにわかった。まだ少年だ。

 少年は立ち上がると、服についたほこりをはたき落とす。

「驚かせて悪かった。それで、どんなお困りごとで?」

 何事もなかったようにそう言った少年は、天佑を見る。
 しかし、次の瞬間には顔から笑みを消し、困惑の表情を浮かべた。

「……あんた、都のお偉いさんだな? 都のお偉いさんがこんなところになんの用だ?」
「なぜ私が都から来たお偉いさんとわかるんだい?」

 天佑はにこりと笑って逆に問いかける。
 すると、少年は少しだけ首を傾げた。

「理由は三つある。第一に、あんたの足元。靴が全く汚れていない。この辺で働く下級役人の靴が全く汚れていないなんて有り得ない。普段、道の整った場所に住んでいて、ここまで靴を汚さずに来られるということだ。道が整った場所として考えられるのは、都だな。第二に、あんたが着ているのは官服だ。それにその色。淡い青色はかなりの高位だろう? ……察するに、文官だな。第三に、錬金術師の知恵を借りたいなんて言い出す役人なんぞ、政治舞台の高みを狙う食わせ者が殆どだ。うさんくさいことこの上ない」

 天佑は目を(またた)かせる。

(なかなか鋭い洞察力だな)

 こんな片田舎でこの衣装が官服だと認識し、さらに帯銙で品位を認識できるとは驚いた。
 この国、光華国では官史の身分が十に分かれており、その身分の高さによって、また、職種によって官服の色や帯銙の種類が違う。
 天佑が今着ている青色は、人事関係を取り仕切る吏部のものだ。

「なかなかよい洞察力だ。だが、初対面の相手に食わせものとはいただけないな。俺は朝廷からの使いで参った甘《カン》|天佑(テンユウ)だ」
「朝廷?」

 少年の眉がぴくりと動く。

「ああ、この地域に著名な錬金術師がいると聞いて訪ねて来た。道中で錬金術師の所在を尋ねたらここを紹介されたのだが、今は不在か?」
「……ここには私しかいない」

 先ほどまでの明るさが嘘のような固い声で、少年が答える。

「何?」

 天佑は少年の返事に、言葉を詰まらせた。
 風の便りに、ここに著名な錬金術師がいると聞いていたのだが。子供しかいないとは、想定外だった。

「……では、訪問先を間違えたようだ。先ほども言った通り、俺は錬金術師を探している。この辺りで一番著名な錬金術師はどこにいる?」
「錬金術師など、都に腐るほどいるだろう」

 少年はそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに答える。

「ちょっと、都の錬金術師では手に負えないことがあってね。優秀な錬金術師を探しているんだ。特に、この辺りは昔から優秀な錬金術師を多く輩出している地域だしね。かつて天嶮学(てんけんがく)の系統をなす錬金術師を編み出したのもこの地だ」

 今から百年ほど前、とある錬金術師が人々が考えもつかない方法で難題を次々と解決し、ときの皇帝から〝天に類するものがない知識をもつ者〟という意味の『天嶮(てんけん)学士(がくし)』の名を賜った。
 以来、彼の錬金術の流派は『天嶮学』と呼ばれ、その弟子へと知識が受け継がれていると言われている。

 少年は天佑の言葉に驚いたように瞠目し、次いで肩を揺らして笑い始める。

「これは笑わせる」
「何がおかしい?」

 真面目な話をしているのに突然馬鹿にしたように笑われて、天佑はむっとして問い返す。少年はなおも腹を抱えながら、天佑を見据えた。

「その名を再び耳にする日が来るとは思わなかった。天嶮学はまがいもの故、『天嶮学士』の称号ごと剥奪したのでは?」

 少年は涼やかな目で天佑を見る。
 まるで挑むような態度に、天佑は押し黙る。

 少年の言うとおりだった。

 天佑が見た記録では、最後に朝廷が天嶮学士に力を請うたのは十年ほど前。都で起きたあやかし騒ぎを解決すべく助力を請うた。しかし、天嶮学士は物事の真理を見誤ってときの皇帝に誤った事実を伝えた。
 そして、その罪を問われて斬首されたのだ。

 以来、天嶮学はまがいものとされ、その言葉を口にすることすらタブーとされて久しい。

「今更何を言っているのやら。滑稽な話だ。残念だが、お探しの人物はいない。この地の錬金術師は私ひとりだ」

 少年は肘を折ると両手を天井に向け、肩を竦める。

「なんだと?」
「錬金術が盛んだったのはもう昔のことだ。数年前までは何人かいたが、ひとり、またひとりとこの地を去った。最後のもうひとりは先月流行病で亡くなったから、残っているのは私ひとりだ」
「……なるほど」

 天佑は思案する。

(どうするかな)

 都からはるばるここに来たのは、現皇帝である潤王から錬金術師を連れてきてほしいと請われたからだ。手ぶらで帰ることはできない。

「話はわかった」
「物わかりがよくて助かった。では、帰れ」

 少年はわかりやすくほっとした表情を浮かべると、出口のほうを指さす。

「いや、そういうわけにはいかない。きみは錬金術師なのだな? では、きみに来てもらおう」

 天佑の言葉に、少年は「は?」と声を上げる。

「何を言っている。私は天嶮学士でも、著名な錬金術師でもない。ただの錬金術師だ」
「だが、この地域に錬金術師はきみひとりしかいないのだろう? 俺は、ここまで錬金術師を探しに来た。手ぶらでは帰れないんでね」
「断る」

 少年の眉間に深い皺が寄る。

(ずいぶんと、感情がわかりやすいやつだ)

 不機嫌さを隠そうとしないその態度に、かえって好感を覚えた。
 人々の欲望と嫉妬が渦巻く都では皆が仮面を被っている。こんなに素直に感情を露わにする人間に会うのは、久しぶりだ。

 歳はまだ十代半ば位だろうか。
 高い声から察するに、まだ声変わりすら迎えていないようだ。

 意志の強そうなはっきりとした瞳はこの国のものにしては薄い茶色。すっきりとした、けれど小さな鼻と薄紅色の口元はまるで少女のようだ。
 背中の半ばまで伸びた艶やかな黒髪は、麻ひもでひとつにまとめてあった。
 あまり外には出ないのか、平民にしては色白で、棒きれのような貧相な体つきをしている。

 一見するとただの少年だ。
 だが、初対面の自分に会った瞬間あれだけ言い当てられたその洞察力に、天佑は底知れぬ才能を感じた。だから、この少年にかけてみたいという気持ちが生まれた。

「表に看板が置いてあった。用件も聞かずに依頼を断るのは、あんまりなんじゃないか?」

 天佑は右手の親指で、玄関のほうを指さす。
 先ほど玄関脇に『お困りごとの解決、承ります』の札が立てかけてあったのは知っている。

「あんたは朝廷からの使いで、人捜しに来たんだろう? それについては、今言った通り、私では力になれない」
「人捜しはもういい。存在しない者を捜すのは時間の無駄だ。ところで、先ほどの推察はなかなか見事であった」

 静かに語りかける天佑を、少年は黙って見つめる。

「きみを見込んで依頼をしたい。改めて、私は朝廷の官史をしている甘《カン》|天佑(テンユウ)だ。実
は、都で近頃はびこっているあやかし事件を解決する知恵を貸して貰えないかと思ってね」
「あやかし事件?」
「ああ、そうだ」
「断ると言っただろう」
「は?」

 予想外の態度に、天佑は目を瞬(またた)かせた。

「だから、断ると言ったんだ」
「……それは、どうしてかな?」

 天佑は口元に笑みを浮かべ、少年に問いかける。
 朝廷からの依頼は、即ちここ光麗国の皇帝からの依頼と同義。ありがたいとむせび泣くことはあれど、断られるとは思ってもみなかった。

「都に日帰りで行くことはできないだろう? ここで育てている動物たちの世話は、その間誰がやる?」

 少年は大真面目な顔をして答える。

「……動物?」

 動物とは先ほど見かけた、このみすぼらしい家の外にいた牛や犬のことだろうか。まさか牛や犬を理由に断られるとは。

「あの子達は私の数少ない財産なんだ。逃げたり死なれたりしたら、取り返しが付かない」
「なるほど。では、動物の世話をするための人を寄越そう」
「役人は信用ならない。昔、手伝ってほしいと言われて手伝ったら、報酬を払い渋るどころか、私を愛妾にしてやると言って侮辱してきた」
「それは……」

 天佑は改めて目の前の少年を見た。
 華奢で、まるで少女のような可愛らしい顔つきをしている。天佑にはそういう趣味はないが、人によってはこのような愛らしい見目の少年を愛妾として囲う性癖がある輩もいるかもしれない。