偽りの錬金術妃は後宮の闇を解く

「まあ、鈴々を付けているからその辺は心配していないが、気をつけることだな」

 天佑は茶碗を机に置く。

(どうして『鈴々を付けているから心配していない』なのかしら?)

 不思議に思ったものの、玲燕が聞き返す前に天佑が話題を変える。

「さて、本題だ。これを玲燕に」

 玲燕は天佑が差し出したものを見る。分厚い資料だ。中身を見なくとも、今回の鬼火騒ぎに関するものだろうと予想が付く。

「再度これまでの目撃情報を元に調査を行った。鬼火が素早く横切ったという証言がある場所のいくつかから、玲燕が見つけたのと同じ棒が新たに見つかっている」
「逆に、それ以外の場所からは見つかっていないということですね」
「ああ、そうだ」

 天佑は頷く。
 それは即ち、ゆらゆらとひとつの場所に留まっている鬼火が目撃された場所では玲燕が解明した方法とは別の方法で鬼火を熾していることを意味する。

「……例えば、釣り糸に鬼火をぶら下げて人が持っているということは考えられないでしょうか?」
「それにしては鬼火の位置が高すぎる。一番高い目撃情報は、十メートル近く上だ。そんな釣り竿を持ち歩く人間がいれば、すぐに誰かが気付くはずだ」
「それもそうですね。周囲に背の高い建物か木があったということは?」
「俺もそれを疑って何カ所か確認したが、周囲には何もなかった」
「何も? どの場所も何もなかったということですか?」
「そうだ」

 天佑は頷く。

「……そうですか」

 玲燕は今さっき手渡された資料をぱらりと捲る。

 ゆらゆらと揺れる鬼火も、目撃場所が川沿いに集中しているのは同じだ。玲燕が鬼火を目撃した日以降も、二件ほど目撃情報が寄せられていた。

「それと、玲燕から頼まれたとおり、前回渡した各家門の情報をさらに詳しく調べたものも後ろに載っている。……これでいいか?」
「はい。まずはこれで十分でございます」

 玲燕は頷いた。思った以上に早い情報収集に、感謝する。

「では、俺は戻る。また定期的に会いに来るよ」
「はい。あっ」
「どうした?」

 立ち上がりかけた天佑は動きを止め、玲燕を見る。

「……私から天佑様に会いたいときはどうすれば?」
「そんなに俺に会いたいのか? 見知らぬ場所で寂しくなったか」

 天佑は器用に片眉を上げる。

「連絡経路を確認したいだけです」

 玲燕は表情を変えずに答える。

「だろうな」

 天佑はくくっと笑うと、玲燕の後ろに控える鈴々を指す。

「そちらにいる鈴々に言えば連絡はつく」
「わかりました」
「では、またな」

 天佑は今度こそ部屋を出る。
 玲燕はその後ろ姿を見送ってから、今渡された書類をぱらりと捲る。

 鬼火の犯人捜しは錬金術とは違うが、あらゆる情報を読み解き真理を探るという点では錬金術と似ている。

(なんとか情報を集めて、解決の糸口を探さないと)

 玲燕は書類を睨みながら、頭を悩ませたのだった。


  ◇ ◇ ◇


 その日、後宮の空に見慣れぬ物体が浮いた。

「あら、あれは何かしら?」

 回廊を歩く女官達が口々にそう言い、空を見上げる。

「凧? 蓮桂殿(れんけいでん)からだわ」

 赤と黄色の鮮やかな色合いのそれは、優雅に空を舞っていた。
 蓮桂殿は後宮の西側に位置する、蓮妃の住む殿舎だ。

 その蓮桂殿では、明るい声が響いていた。

「菊妃様、見て! こんなに高く!」

 糸を操りながら得意げにしているのは、この殿舎の主である蓮妃その人だ。

「すごいですね。お見事です」

 玲燕は菊妃を褒めるように、手を叩く。

 あの日約束したとおり、玲燕は翌日には蓮妃の住む蓮桂殿に凧の手直しに向かった。
 過度に付けられた飾りを取り去って軽量化を図り、バランスを取るための尾を付けることで華美さを失わないように調整した。また、軸となる竹棒は最低限の本数にし、糸を結びつける位置は左右の端に対称になるようにした。

 一時間ほどかけて手直ししただけで、凧は面白いように飛ぶようになった。その縁で、蓮妃より蓮桂殿に招かれるようになり、今日もご招待いただいたのだ。

「菊妃様はすごいわね。以前、皇城で凧揚げ大会があったのだけど、もし出場したら優勝していたかもしれないわね」
「凧揚げ大会?」
「ええ。どの家門が一番高く、安定して凧を揚げられるか競ったの。郭家が優勝したわ」
「そうなのですか」

 玲燕は相づちを打つ。

(そんな催しがあるのね)

 凧は遊びでも使われるが、主な使い道は軍事目的だ。高く上げることで遠くからでも目視できるので、遠方にいる部隊とのやりとりに使用される。
 なので、凧の優れた技術を持っていることはただ単に『凧を揚げる』という以上に重要な意味を持つ。多くの有力者が錬金術師を囲ってその技術を磨くほどだ。

「蓮妃様が仰る郭氏とは、州刺史(しし)の郭様でございますか?」
「ええ、そうよ。ご子息のひとりが内侍省にいるの」
「なるほど」

 天佑から貰った資料から得た知識によると、郭氏は刺史と呼ばれる地方行政を監督する役目を負う職にいる有力貴族だ。刺史は地方の警察や軍事にも多大な影響力を持つので、懇意にする錬金術師がいてもおかしくはない。

「ねえ、菊妃様。よかったら、お茶になさらない? 実家からとても美味しい粉食の菓子が届いているの」

 蓮妃は凧を操る手を止め、ゆらゆらと下に落ちる凧を拾い上げると玲燕を見つめる。

「はい、ご一緒させていただきます」

 玲燕は微笑む。
 菓子は好きだし、玲燕は鬼火事件解決のために色々と情報を集める必要がある。お茶をできるのは願ってもいないことだ。

「やったあ! すぐに準備させるわ。雪、お願いできる?」

 雪と呼ばれた侍女は「はい。すぐに」と笑顔で頷く。
 通された部屋には既に茶器が用意されており、よい香りが漂っていた。程なくして雪が運んできた菓子は、蓮妃が言うとおり流行の粉食だった。小麦を練った生地を焼き上げて作っており、遠い外国から伝わってきたものだという。

「たくさんあるからいっぱい食べてね」
「ありがとうございます」

 玲燕は礼を言い、棒状の生地をねじったような形に焼き上げた菓子をひとついただく。柔らかなそれは甘みを帯びていて、少し苦みのある茶とよく合った。

「美味しいです」

 天佑の屋敷に居候するようになってから粉食を何度か食べたが、やっぱり美味しい。故郷の東明にいる頃には一度も食べたことがなかったものだ。

「よかった!」

 蓮妃は玲燕の反応を見て、嬉しそうに笑う。

「新しく入宮した方が菊妃様でよかった。すれ違っても口も聞いてくれない人もいるから」

 蓮妃は菓子を頬張りながら、口を尖らせる。

「そうなのですか」
「そう。陛下にそれを言ったら、気にするなって仰っていたわ」

 玲燕は苦笑する。

 後宮は皇帝の寵を得るための、女の戦いの場所だ。よその妃に敵対心を持っておりそういう態度を取ってしまう妃がいても不思議はないのだが、まだ幼い蓮妃にはそれがわからないのかもしれない。

「皇帝陛下は蓮妃様のことも寝所にお召しに?」
「ええ、もちろん。一、二週間に一度くらいかな。陛下のところに伺った日は、寝るまで一緒に囲碁をするの」
「それは楽しそうですね」

 玲燕は口元に笑みを浮かべる。

 まさかこの幼い妃に無体なことをしているのかと思ったが、それは杞憂のようだ。話を聞いていて、蓮妃にとっての潤王は『夫』というより『兄』といったほうが感覚的に近いのかもしれないと思った。

「他のお妃様も同じ頻度で?」
「そう思うわ」

 頷いてから、蓮妃はハッとしたような顔をする。

「菊妃様もすぐにお召しがあるはずだから、心配しなくて大丈夫よ」

 玲燕がまだ召し上げられていないことを不安に思っているとでも思ったのか、蓮妃は必死に励まそうとしてきた。

「ありがとうございます」

 偽りの妃である玲燕が寝所に召し上げられることはない。しかし、今それを明かすことはできないので、玲燕は内心で苦笑しつつ無難にそう答えた。

(それにしても、一、二週間に一度か。つまり、ほぼ平等に妃を召しているということね)

 鬼火騒ぎの犯人の目的は、恐らく潤王の失脚させて新たな皇帝を立てることだ。元々玲燕は後宮で寵を得ている四人の妃の関係者は犯人ではないと考えていたが、今の話を聞いてやはり違う可能性が高いと感じた。平等に寵を得ているなら、懐妊する可能性も同じ。まだ誰も懐妊していない以上、次の皇帝の母になれる可能性を秘めているのに、潤王を失脚させる理由がない。

「私はまだここに来て日が浅く蓮妃様以外のお妃様と交流がないのですが、皆様どのようなお方ですか?」
「うーん、わたくしもあまり交流はないの。以前、陛下が妃全員を招いて宴会を開いてくださったことがあったのだけど、そのときに、どちらが先に会場に入るかで梅妃様と蘭妃様が喧嘩になって大変だったの。あんな風に言い合いをする方達を見たのは初めてだったから、近づくのが怖くって」

 それとなく探りを入れると、蓮妃は肩を竦める。

「梅妃様と蘭妃様が?」
「ええ。ちょうど会場に入ろうとしていた梅妃様と、あとから来た蘭妃様と鉢合わせしてしまって。梅妃様は一番最初に後宮に入宮されているから後宮での発言力は強いけれど、ご実家の身分で言うと一番上は蘭妃様だから──」

 蓮妃はそこまで言うと、当時を思い出すように眉を寄せる。

「多分だけど、蘭妃様は梅妃様を怒らせて面白がっていたわ」
「面白がっていた?」
「うん。あのふたり、仲悪いもの」

 蓮妃はきっぱりと断言する。

「そうなのですか?」
「ええ。険悪な雰囲気に気付いた桃妃様が仲裁しようとしたけれどお二人から逆に睨まれて、困り果てていたわ。菊妃様も、梅妃様と蘭妃様にはあまり近づかないほうがいいわよ」
「肝に銘じておきます」

 玲燕は相づちを打ちながら頷く。きっと、先ほど蓮妃が言っていた『すれ違っても挨拶も口もきいてくれない人』とは梅妃か蘭妃のどちらかなのだろう。

 鬼火騒ぎの犯人捜しには関係なさそうだが、後宮内での身の振り方を知る上ではとても重要な情報だ。




 その日の夕方、約一週間ぶりに菊花殿に天佑がやって来た。

「変わりなく過ごしているか?」