偽りの錬金術妃は後宮の闇を解く

(この子が蓮妃様?)

 玲燕は鈴々に倣い頭を下げつつも、目の前の少女を窺い見た。
 事前に天佑から渡されていた資料によると、蓮妃は国内有力貴族である明家の姫君だ。まだ十二歳なので本来であれば後宮に入る年齢ではないが、一族に結婚適齢期の姫がいないので後宮入りしたと書かれていた。

(確かに、若いわ)

 事前に得ていた情報通り、年齢はまだ十代前半にしか見えなかった。ちょうど視界に映る豪奢な襦裙の裾には、蓮の刺繍が入っていた。
 蓮妃は不思議そうな顔をして玲燕達を見下ろす。

「そっちの人も見慣れない顔ね。新入りかしら?」
「こちらのお方は昨日、後宮に参られました菊妃様でございます」

 鈴々がかしこまって、玲燕を紹介する。すると、蓮妃は少し驚いたように目を見開いた。

「菊妃様? あなたが?」

 蓮妃は興味津々な様子でで玲燕を見つめる。

「はじめまして、蓮妃様。お見苦しいところをお目にかけました」
「別に見苦しくはないわ。渡り廊下から地面に降りるのが見えたから、何をしているのかと思っただけ。どうしてそんなところに?」
「探し物をしておりました」
「探し物? こんなところで?」
「はい。先ほど、こちらを落としたので」

 玲燕は手に持っていた算木を見せる。地面に落ちたせいで、一部が土で汚れていた。

「これは何? 積み木?」
「こちらは算木です。計算をするときに使います」
「ふうん、はじめて見たわ」

 蓮妃は不思議そうな顔で算木を見つめる。
 そのとき、玲燕は蓮妃の後ろに控える女官が手に持っているものに気付いた。

「凧揚げをしたのですか?」
「ええ、そうなの。でも、うまく上がらなくて」

 蓮妃は背後を振り返り、玲燕の視線の先にある凧を見る。

「上がらない? 少し見てみても?」

 玲燕は手摺りに手をかけると、ひょいっと廊下に登る。そして、女官から凧を受け取った。

(飾りの付けすぎだわ。それに、結ぶ位置がよくないわね)

 妃の凧だからと気合いを入れてしまったのだろうか。凧には様々な飾りがぶら下がっているせいで重くなっていた。これを揚げるのは一苦労だろう。

「きちんと揚がるように直して差し上げましょうか?」
「本当? あなたにできるの?」
「はい。よく作っていたので」
「作る? 自分で?」

 蓮妃は目を丸くする。

「すごいのね。陛下が『今度、錬金術が得意な錬金術妃が来るよ』って仰っていたのだけど、本当だわ」
「錬金術妃、ですか……」

 玲燕は苦笑する。ずいぶんな渾名を付けられたものだ。

「それじゃあ、お願いしてもいい? 郭氏に聞こうと思っていたのだけど、玲燕様にお願いするわ」

 そこまで言うと、蓮妃はふと言葉を止める。

「それにしても、どうして幽客殿を希望したの? 怖くないの?」
「幽客殿?」
「菊花殿のことよ。だって、あそこは幽鬼が出るってみんなが言っているわ」
「幽鬼……」

 玲燕は目をぱちくりとさせる。
 天佑は『目立たないように後宮の端にある殿舎にした』とだけ言っていた。幽鬼の話は一切聞いていない。

(まあ、いいわ)

 そもそも玲燕は幽鬼の存在をあまり信じていないので気にならないし、幽鬼が出るという噂が立っている殿舎であれば他の妃も寄りつきにくいので好都合だ。

「怖くないの?」

 おずおずとした様子で蓮妃は玲燕を見つめる。

「大丈夫ですよ。私、あいにく幽鬼は見えませんので」

 玲燕はにこりと微笑んだ。




 その日の夕刻、菊花殿に内侍省から使いがきた。
 鈴々から「内侍省の方がお見えになりました」と聞き、玲燕は首を傾げる。

「後宮内で過ごす心構えでも話してくれるのかしら?」

 内侍省とは、後宮のことを取り仕切る宦官達が所属する組織だ。
 用件が思い当たらないが、尋ねてきた宦官を追い返すわけにもいかない。玲燕はその宦官が待つ部屋へと向かった。

「甘栄佑にございます」

 かしこまって挨拶するその人を見たとき、玲燕は目が点になった。

「天佑様、何やってるんですか?」

 きっちりと宦官の袍服を着て、いつも下ろしている髪の毛は幞頭(ぼくとう)にしまわれているものの、それはどこからどう見ても天佑にしか見えない。

「なんだ。気づかれたか」

 天佑は玲燕を見て、口の端を上げる。

「当たり前じゃないですか。どっからどう見ても同一人物です」
「行動する場所と格好が違うから、意外と気づかれないのだがな」
「残念ながら、一瞬でわかりました」

 玲燕は真顔で答える。

「今は甘天佑の双子の弟──栄佑ということになっている」
「なるほど、双子ですか。これも、皇帝陛下の命で?」

 双子だと言われれば、そうだと思ってしまうかもしれない。しかし、勝手にこんなことをしでかしたら大問題になるはずだ。

「まあ、そうだな」

 天佑はなんでもないように頷く。

(どんだけ型破りな皇帝と臣下なのよ!)

 平民の玲燕を偽りの妃として後宮に入れるわ、男の臣下に宦官のふりをさせて後宮に送り込むわ、やることが突拍子なさ過ぎる。玲燕は頭痛がしてくるのを感じた。

「甘様も玲燕様も、お茶でも飲んでくださいませ」

 タイミングを見計らったように、鈴々がお茶を淹れる。
 香ばしい香りが周囲に漂った。

「わあ、いい匂い」

 玲燕が歓声を上げると、鈴々が「甘様からの差し入れですよ」と教える。

「茶の産地、宇利から取り寄せた。気に入ったなら、また取り寄せよう」
「ええ、是非。でも、茶葉では誤魔化されませんからね!」

 玲燕はじとっと目の前の人──玲燕をここに送り込んだ張本人である天佑を睨み付ける。

「そう睨むな。だれか妃と交流したのか?」
「先ほど、廊下で蓮妃様とお話ししました」
「蓮妃と?」
「算木を廊下に落としてしまったので探している最中に遭遇したのです」
「算木? 見つかったのか?」
「いえ。『二』が見つかりません。廊下から中庭に降りて探したのに」

 玲燕は首を横に振る。
 地面を見回しても、算木はひとつしかなかった。

「場所はどこだ?」
「菊花殿から内侍省に向かう途中、梅園殿の手前にある小さな庭園の辺りです。椿の木がある──」
「あそこか。では、もし拾ったという知らせを受けたら、玲燕に届けよう」

 天佑は言葉を止め、玲燕を見つめて口の端を上げる。

「なかなか自由に歩き回っているようではないか」
「出歩くなとは言われておりませんので」
「女官達もまさか菊妃本人がぷらぷらと歩き回ってるとは思わないだろうな」

 天佑はくくっと笑う。

「幽鬼に憑かれたのではないかと噂が立ちそうだ」
「既に、変わり者の錬金術妃だという噂は立っているようです」

 鈴々が口を挟む。

「錬金術妃か。いかにも玲燕にぴったりな名だな」

 天佑は楽しげだ。

「全て天佑様のせいですよ!」

 玲燕は口を尖らせる。

「悪い悪い」

 天佑は鈴々が淹れたお茶を飲む。

 会話が一段落したのを見計らい、鈴々が口を開いた。

「それにしても、先ほど通りかかったのが蓮妃様でよかったです。あそこは梅園殿が近いから、梅妃様だったらどうなっていたことか」
「梅妃様だと何か問題が?」

 玲燕は鈴々の言い方に引っかかりを覚えて聞き返す。

「梅妃様は良くも悪くも後宮の方なのです。万が一あそこで玲燕様が花の一本でも踏み潰そうなら、大変なことになっていました。妃の身分であられるので、さすがに鞭打ちにはならないと思いますが──」

 鈴々は肩を竦める。

「良くも悪くも──」

 後宮は皇帝のためにある園だ。そこにあるものは、地面に落ちている小石ひとつをとっても皇帝のものであるという考え方をする人も多い。そして、梅妃はそういう考え方をする妃なのだろう。もし女官が花の一本でも手折ろうものなら、鞭打ちにすることも厭わないのかもしれない。

(つまり、妃の身分によって私はある程度守られているってことなのね)

 玲燕は茶を啜る天佑を窺い見る。
 とんでもないことをしてくれたものだと思ったけれど、彼なりに玲燕を守るために名ばかりの妃の座を用意したのかもしれない。

「まあ、鈴々を付けているからその辺は心配していないが、気をつけることだな」

 天佑は茶碗を机に置く。

(どうして『鈴々を付けているから心配していない』なのかしら?)

 不思議に思ったものの、玲燕が聞き返す前に天佑が話題を変える。

「さて、本題だ。これを玲燕に」

 玲燕は天佑が差し出したものを見る。分厚い資料だ。中身を見なくとも、今回の鬼火騒ぎに関するものだろうと予想が付く。

「再度これまでの目撃情報を元に調査を行った。鬼火が素早く横切ったという証言がある場所のいくつかから、玲燕が見つけたのと同じ棒が新たに見つかっている」
「逆に、それ以外の場所からは見つかっていないということですね」
「ああ、そうだ」

 天佑は頷く。
 それは即ち、ゆらゆらとひとつの場所に留まっている鬼火が目撃された場所では玲燕が解明した方法とは別の方法で鬼火を熾していることを意味する。

「……例えば、釣り糸に鬼火をぶら下げて人が持っているということは考えられないでしょうか?」
「それにしては鬼火の位置が高すぎる。一番高い目撃情報は、十メートル近く上だ。そんな釣り竿を持ち歩く人間がいれば、すぐに誰かが気付くはずだ」
「それもそうですね。周囲に背の高い建物か木があったということは?」
「俺もそれを疑って何カ所か確認したが、周囲には何もなかった」
「何も? どの場所も何もなかったということですか?」
「そうだ」

 天佑は頷く。

「……そうですか」

 玲燕は今さっき手渡された資料をぱらりと捲る。

 ゆらゆらと揺れる鬼火も、目撃場所が川沿いに集中しているのは同じだ。玲燕が鬼火を目撃した日以降も、二件ほど目撃情報が寄せられていた。

「それと、玲燕から頼まれたとおり、前回渡した各家門の情報をさらに詳しく調べたものも後ろに載っている。……これでいいか?」
「はい。まずはこれで十分でございます」

 玲燕は頷いた。思った以上に早い情報収集に、感謝する。

「では、俺は戻る。また定期的に会いに来るよ」
「はい。あっ」
「どうした?」

 立ち上がりかけた天佑は動きを止め、玲燕を見る。

「……私から天佑様に会いたいときはどうすれば?」