偽りの錬金術妃は後宮の闇を解く

「玲燕殿の言うとおりだ。同じような棒が、他の場所からもいくつか見つかった。なにぶん小さい上に場所も定かでないもので、部下に捜させるのに手間取った」

 天佑が折りたたまれた布を玲燕に差し出す。玲燕が無言でそれを受け取って開くと、中からは細い棒きれが出てきた。一部は端に焦げたような跡が残っている。

「これらの棒は全て、これまで火の玉の目撃情報のある場所から捜し出してきたものだ」
「では、私の推理が正しい可能性は極めて高いでしょう」

 玲燕はその包みを元通りに包み直すと、天佑に手渡す。

「少しはお役に立ちましたか?」

 なんでもないことのように尋ねてくる玲燕に、空恐ろしさを感じた。
 王都の錬金術師が何ヶ月も掛けて解決できなかった謎を、この少女はたった数日で、しかも自分ひとりの知識のみで解決したのだ。

「本当に見事だな。天嶮学とはかくも素晴らしいものとは……」
「天嶮学はあくまでも錬金術の一流派にすぎません。物事を見て、その真理を追究するのです」

 褒められた嬉しかったのか、あまり表情を見せない玲燕の口元に笑みが浮かぶ。

「鬼火の謎も明らかになったことですし、これで私の役目は終わりということでよろしいでしょうか?」

 玲燕は涼やかな眼差しで、天佑を見つめる。
 凜としていながらも少し幼さの残るその眼差しを見たとき、天佑はなぜか胸を打たれるような衝動を感じた。

(この娘を手放してはならない)

 本能的に感じたのは、多くの部下を束ね人を見る吏部侍郎という立場にいる直感かもしれない。天佑はすらすらと鬼火の謎を推理してゆく玲燕の姿に、半ばわくわくするような高揚感すら感じたのだ。

「まだだ」

 天佑は首を振る。

「できれば玲燕には、誰がこのようなことをしでかしたのか、犯人までみつけてほしい。それに、ゆらゆらと空で留まる鬼火の謎も。ああ、もちろん、ここで一旦、約束の謝礼は支払う」
「犯人は反皇帝派の貴族ではないのですか? ゆらゆらと空で留まる鬼火は、犯人を捕らえれば証言が得られましょう」

 玲燕は眉間に皺を寄せ、天佑を見返す。
 今回の鬼火騒動で、民は『皇帝にふさわしくない潤王が即位したことにより、天帝がお怒りになっている』と噂した。玲燕の言うとおり、現皇帝の在位を面白く思わない反皇帝派の仕業である可能性は極めて高い。

「そうは思うのだがね。なかなか特定が難しいのだよ」
「特定が難しい?」

 玲燕は訝しげに聞き返す。

「ああ。対象者がとても多い」

 低位の妃から生まれた潤王の即位を面白く思っていない貴族は、両手で数えきれないほどいる。特定が難しいというのは事実だった。
 玲燕は考えを整理するようにじっと黙り込む。そして、しばらくの沈黙ののちにようやく口を開いた。

「乗りかかった船ですので協力するのは構いませんが、反皇帝派の人間関係を全く知らない私にそれを推理することは極めて困難です」
「それもそうだな。玲燕に知識として人間関係を教えることは可能だが、それだけでは不十分だろう」
「ええ、できれば直接話す機会までいただけますと幸いです」

 玲燕は頷く。

「どうするかな。疑わしきは皆、有力貴族だ。下手につつくと思わぬ大火災になる」
「そこをなんとかするのが天佑様の役目でしょう?」

 玲燕はびしゃりと言い切る。天佑は玲燕を見返し、ふっと口の端を上げる。

「なかなか言うね」
「当たり前のことを言ったまでです。問題を解決しろと言いながらその謎を解決するための材料を与えられないのでは、話になりません」

 物事の真理に至るには、できるだけ正確かつ多くの情報が必要だ。天嶮学は占いではない。事実に基づき、物事の真理を明らかにするのだ。

「それもそうだな」

 天佑はふむと頷いて、玲燕をじっと見つめる。

「……なんですか?」

 品定めをするような天佑の視線に、玲燕は居心地の悪さを感じた。

「いや、なんでもない。明日、仕事に行ったら連れて行けるように手配しておこう」
「ええ、お願いします」

頷きながらもなんとなく嫌な予感がする。
 そして、その予感は見事に的中したのだった。


   ◇ ◇ ◇


 玲燕が鬼火の謎について明らかにしてから暫くの間、天佑は屋敷を不在にした。元々忙しくてあまり帰らないと聞いていたので、きっとこれが彼の通常の過ごし方なのだろう。

「学士様、何をされているのですか?」

 中庭に面する回廊で作業していた玲燕は顔を上げる。
 婆やが不思議そうに、こちらを見つめていた。

「凧を作っているの」
「凧ですか」

 婆やは興味深げに玲燕の手元をのぞき込む。
 凧は、糸で結んだ薄い膜を風による揚力を利用して空を飛ばすものだ。形状や糸を結ぶ位置、素材によって飛んでいる時間や高さが変わり、玲燕が昔から凧揚げが好きだった。

「見ていて」

 玲燕はそう言うと、中庭に降り立つ。
 ちょうどよい風が吹いたので凧から手を離すと、それは空高く舞い上がった。

「おやまあ。ただの布が空を飛ぶなんて、面白いですねえ」

 婆やは空を見上げ、屈託ない笑顔を浮かべる。
 光麗国では、凧は軍事用に用いられることが多い。婆やはあまり見たことがなかったのだろう。

 そのとき、背後からかさりと地面の石を踏む音がした。

「凧か。自分で作ったのか?」

 聞き覚えのある穏やかな声に、玲燕はハッとする。振り返ると、そこには五日ぶりに会う天佑がいた。

「そう。暇だったから」
「へえ、見事だな。……放ったらかしにしてしまい悪かったね」

 天佑は玲燕を見つめ、穏やかな笑みを浮かべる。

「別に構わないわ。だって、仕事でしょう?」
「そうだね」

 天佑は頷く。

「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」

 天佑は玲燕の近くに置いてあった椅子に座ると、「お茶を用意してくれるか」と婆やに声をかける。婆や「ちょっと待ってね」と言うと、厨房のほうへと消えた。
 その後ろ姿を見届けてから、天佑は玲燕を見つめる。

「玲燕を皇城の内部に連れて行く手はずが整った」

 玲燕は凧を操っていた手を止める。制御を失った凧が地面に落ちてくるのを、天佑は空中で拾った。

(思ったよりも早いわね。さすがは若くして要職に就いているだけあるわ)

 鬼火事件の容疑者として疑わしき面々に実際に会ってみたいと申し出たが、こんなに早く実現できるとは。人事を取り仕切る部署の要職にいるので、融通もしやすいのだろう。

「訪問は一週間後の予定だ。それまでに、これを暗記しておいてほしい」

 天佑は腕に抱えていた包みを開くと、玲燕に分厚い書物を差し出した。一般庶民はほとんど目にすることがない貴重な上質紙に書かれたもので、端を麻紐で結んである。ざっと目寸で見た限りでも数センチの分厚さがあった。

「これはなに?」
「後宮の勢力図だ。現在、皇上であられる潤王には四人の妃がおられる。黄家の娘である梅妃、明家の娘である蓮妃、連家の娘である蘭妃、最後に宗家の娘である桃妃だ」
「妃の方々の関係者がやった可能性は低いのでは?」

 玲燕は天佑を見返す。
 鬼火の目的は、恐らく潤王の失脚だ。既に妃として後宮で寵を得ている娘のいる貴族がやる理由はない気がしたのだ。

「先入観を持って物事を見ると、真理を見誤る」

 玲燕は天佑の言葉に、眉根を寄せる。
 これと同じ言葉を、よく父の秀燕も言っていた。先入観があると見えるべきものが見えなくなり、物事の真理を見誤ると。

「……それもそうね。わかった。見ておくわ」
「ああ。それに、妃のところには何かと情報が集まる。接触する機会があるならば、よき関係を築いたほうがよいだろう」

 玲燕は手渡された書物に視線を落とす。
 真っ黒の表紙を一枚捲ると、天佑の言うとおり後宮について書かれているようだった。。
 女性が男性に比べて噂好きだという意見には、玲燕も同意する。東明でも、井戸の前にはいつ行っても人の噂をネタに世間話に盛り上がる女性がいた。

(きっと、今頃は私のことを話のネタに盛り上がっているわね)

 玲燕は息を吐く。
 突然皇都から役人がやって来て、一年分の家賃の倍以上の金額を払った上に玲燕を皇都に連れて行ってしまったのだから。あの片田舎では、十年に一度あるかないかの大ニュースだ。さぞや噂話も盛り上がるだろう。

「わかりました。読んでおきます」
「ああ、頼んだ」

 天佑はにこりと微笑む。

「それと、玲燕の殿舎が決まった。偽りの妃故、なるべく目立たないほうがいいと思い外れの殿舎にした。菊花殿だ」
「菊花殿? 偽りの妃?」

 玲燕は眉間に深い皺を寄せる。
 何を言っているのかと訝しげに天佑を見返すと、天佑は笑みを深める。

「潤王の五人目の妃だ。妃であれば宮城に常にいても違和感ないからな」
「なるほど。妃ですか」

 そこまで相づちを打ち、玲燕ははたと動きを止める。
 今、とんでもないことが聞こえた気が。

「今、なんと?」
「玲燕には後宮に入ってもらう」

 呆然とする玲燕に追い打ちをかけるように、天佑が言う。

「なんで! 謎を解くのに妃になる必要はないはずです」
「必要はないが、なったほうが勝手がいい。既に、手配済みだ。安心しろ、全てが解決したら出してやる」

 玲燕は唖然として天佑を見返す。
 皇帝の妃を迎え入れるなど、すぐにできるわけがない。一体どんな裏技を使ったのか。

「あり得ないんだけどっ!」

 玲燕の叫び声が屋敷に響き渡った。




◆ 第二章 偽りの錬金術妃


 光麗国の王都、大明にある巨大な城郭──麗安城。
 皇帝の住む宮城、政が行われる皇城、そして人々が暮らす外郭城からなるここは、一辺の長さが数十キロにも及ぶ巨大な城だ。
 そして宮城の一角にある後宮で、女官達が世間話に花を咲かせていた。

「今度のお妃様はどんなお方なの? 随分と急に話が降って湧いたわよね」
「それが、ほとんど情報がないのよ。なんでも、甘天佑様ゆかりの姫君だとか?」
「甘天佑様の?」

 女官は驚いて声を上げる。

 ここに勤めている女官で、甘天佑の名を知らぬ者はいない。