容は穀物をひとつまみ、手のひらに載せてじっくりと眺める。綺麗にもみ殻が取れて、実だけが残っている。
「……それにしても、本当に綺麗に仕分けられるのねえ」
「すごいでしょう? だって私、お父様の一番弟子だもの。将来は錬金術師になるわ」
「錬金術師?」
「ええ。お父様と同じ、天嶮学士になるの」
玲燕は胸を張って得意げに答える。
ふと空を見上げると、特徴的な雲が浮いているのが見えた。
「あ。おぼろ雲だわ」
「本当ですね」
容も釣られるように、空を見上げる。
玲燕は以前、父からおぼろ雲は秋の雲なのだと教えてもらったことを思い出す。
雲の合間からは、夕焼けで赤く染まった空が見えた。
◇ ◇ ◇
ドタドタという音に目を覚ました。
「雨?」
最初は屋根を叩く強い雨の音かと思った。しかし、すぐにこの音は雨ではないと気付く。
天井からではなく、部屋の一方から聞こえるのだ。それに、聞き慣れない大人の声も。
いつもと違う様子に、玲燕は飛び起きた。
寝ていたせいで解けかけていた衣の紐を結び直すと、部屋を飛び出て両親のいる部屋へと向かう。その最中、遠目に赤が目に入った。
「火事?」
闇夜に浮かぶのはいくつもの赤い炎。玲燕は目を凝らす。
「違う。松明?」
その松明を持つ見知らぬ男達の顔が、炎の明かりにぼんやりと照らされいた。
「誰? とと様!」
驚いた玲燕は叫ぶ。
すぐに両親の寝室へと駆け出したが、その部屋を目前にして足を止めた。
(あれは捕吏? なんで捕吏がお屋敷の中に?)
黒い服を着た複数の人影。
両親の部屋の前で長槍を構えているのは、罪人を捕らえる役務を負う捕吏に見えた。さらに、開かれた扉の奥には体を縛られて膝をつく父──葉(ヨウ)|秀燕の姿も。
「何を──」
──しているの!
そう叫ぼうとした玲燕の言葉を、「玲燕さま!」という声がかき消した。
自分を呼ぶ声に、玲燕ははっとして振り返る。
そこには、使用人の容がいた。よっぽど急いでいたのか、いつも綺麗にひとまとめにされている髪は乱れている。
「私と逃げましょう」
「嫌よ。とと様は?」
「あとからすぐに追いかけて来ます。さあ、早く」
鬼気迫る様子で容が手を引く。
(きっと、嘘だわ)
そんな、確信めいた予感がした。
玲燕は後ろを振り返る。紐で縛られた状態の父はじっと前を見据えていた。その周囲を、逃げられないように何人もの捕吏が取り囲んでいる。
「──天嶮学という怪しげな学問を誠のように吹聴し、周囲を惑わせた罪は重い」
捕吏の中心にいる一際体格のいい男が叫ぶ。
「よって、天命によりお命を頂戴する」
身の毛がよだつ。
「いやあ、離して! 容、離して! とと様。とと様!」
剣が振り上げられる。
炎でオレンジ色に照らされる壁に、赤が散った。
都を出て丸三日。
どこまでも広がる田畑以外には何もない。時折違うものがあるとすれば、穀物を食い散らかすカラス避けの案山子か、土を耕す車を引く牛位のものだ。
「随分と遠くまで来たものだな」
馬車に揺られていた甘《カン》天佑はその景色を眺めながら呟く。
殆ど整備されていない道の悪さから、揺れを起こさないように何重にも綿を敷いて贅を尽くした座面もその用をなしていない。尻の痛みもここまでくると、感覚がなくなってくる。
やがて田畑も消え、辺りは山道に入った。
秋が深まってきたこの季節、車窓から見える木々には時折赤いもの──色付いたカラスウリがぶら下がっているのが見える。
外を眺めるのに飽きた天佑は馬車に揺られながら目を閉じる。
(本当にこんなところに、著名な錬金術師などいるのだろうか?)
仕えている皇帝──潤王からの命でこんな田舎まで来たが、空振りになるのではないかと不安がこみ上げる。
しばらくすると、ガシャンと音がして馬車が止まった。
「ここか……」
馬車から降りた天佑は目の前の建物を眺めた。
質素な民家は相当な年季が入っており、瓦には苔がむしている。
外から見える窓には網状の不思議なものが貼り付けてあった。壊れかけた塀を応急修理したのかもしれない。
ドアの横には木の板が置かれており、『お困りごとの解決、承ります』と書かれていた。
ドアの反対側を見ると隣接して小屋があり、中には牛が繋がれているのが見えた。その横では犬が呑気に昼寝をしていた。
──トン、トン、トン。
天佑はその屋敷の木製の戸を叩く。しかし、返事はなかった。
「いないのか?」
忙しい中、都から丸二日掛けて来たのだ。この家の主に会わずには帰るわけにはいかぬと天佑は戸に手をかける。
ガラリと引き戸を開けた瞬間、鼻につく独特の臭い。麻紐、バケツ、縁がギザギザした円盤……。玄関口から見える土間には乱雑に、使い方がよくわからない部品が散らばっている。
天佑はその光景に眉を顰める。
「たのもう。どなたかおられぬか」
大きな声で呼びかける。
「はい、いらっしゃい!」
威勢のよい声が返ってきた直後、大きな反響音が響く。ガランガランッと金属がぶつかって崩れ落ちるような音だ。
(何だ?)
あまりの音の大きさに、天佑はビクンと肩を揺らす。何事かと恐る恐るそちらを見つめると、「あいたたた……」と小さな声がした。
「大丈夫か?」
「問題ない。立ち上がろうとした拍子に、絶妙のバランスを維持していたこの山に触れただけ」
ガラクタの山から高い声がした。
目を凝らしてよく見れば、今さっき豪快な音を立てて崩れ落ちた木と金属の屑に埋もれて、小柄な男の影があった。
背中の途中までの長さの黒髪は艶があり、後ろでひとつに結ばれている。白い袖口から覗く黒く薄汚れた手足は棒きれのように細い。
座っていても女ほどの体格しかないことはすぐにわかった。まだ少年だ。
少年は立ち上がると、服についたほこりをはたき落とす。
「驚かせて悪かった。それで、どんなお困りごとで?」
何事もなかったようにそう言った少年は、天佑を見る。
しかし、次の瞬間には顔から笑みを消し、困惑の表情を浮かべた。
「……あんた、都のお偉いさんだな? 都のお偉いさんがこんなところになんの用だ?」
「なぜ私が都から来たお偉いさんとわかるんだい?」
天佑はにこりと笑って逆に問いかける。
すると、少年は少しだけ首を傾げた。
「理由は三つある。第一に、あんたの足元。靴が全く汚れていない。この辺で働く下級役人の靴が全く汚れていないなんて有り得ない。普段、道の整った場所に住んでいて、ここまで靴を汚さずに来られるということだ。道が整った場所として考えられるのは、都だな。第二に、あんたが着ているのは官服だ。それにその色。淡い青色はかなりの高位だろう? ……察するに、文官だな。第三に、錬金術師の知恵を借りたいなんて言い出す役人なんぞ、政治舞台の高みを狙う食わせ者が殆どだ。うさんくさいことこの上ない」
天佑は目を瞬かせる。
(なかなか鋭い洞察力だな)
こんな片田舎でこの衣装が官服だと認識し、さらに帯銙で品位を認識できるとは驚いた。
この国、光華国では官史の身分が十に分かれており、その身分の高さによって、また、職種によって官服の色や帯銙の種類が違う。
天佑が今着ている青色は、人事関係を取り仕切る吏部のものだ。
「なかなかよい洞察力だ。だが、初対面の相手に食わせものとはいただけないな。俺は朝廷からの使いで参った甘《カン》|天佑(テンユウ)だ」
「朝廷?」
少年の眉がぴくりと動く。
「ああ、この地域に著名な錬金術師がいると聞いて訪ねて来た。道中で錬金術師の所在を尋ねたらここを紹介されたのだが、今は不在か?」
「……ここには私しかいない」
先ほどまでの明るさが嘘のような固い声で、少年が答える。
「何?」
天佑は少年の返事に、言葉を詰まらせた。
風の便りに、ここに著名な錬金術師がいると聞いていたのだが。子供しかいないとは、想定外だった。
「……では、訪問先を間違えたようだ。先ほども言った通り、俺は錬金術師を探している。この辺りで一番著名な錬金術師はどこにいる?」
「錬金術師など、都に腐るほどいるだろう」
少年はそっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに答える。
「ちょっと、都の錬金術師では手に負えないことがあってね。優秀な錬金術師を探しているんだ。特に、この辺りは昔から優秀な錬金術師を多く輩出している地域だしね。かつて天嶮学(てんけんがく)の系統をなす錬金術師を編み出したのもこの地だ」
今から百年ほど前、とある錬金術師が人々が考えもつかない方法で難題を次々と解決し、ときの皇帝から〝天に類するものがない知識をもつ者〟という意味の『天嶮(てんけん)学士(がくし)』の名を賜った。
以来、彼の錬金術の流派は『天嶮学』と呼ばれ、その弟子へと知識が受け継がれていると言われている。
少年は天佑の言葉に驚いたように瞠目し、次いで肩を揺らして笑い始める。
「これは笑わせる」
「何がおかしい?」
真面目な話をしているのに突然馬鹿にしたように笑われて、天佑はむっとして問い返す。少年はなおも腹を抱えながら、天佑を見据えた。
「その名を再び耳にする日が来るとは思わなかった。天嶮学はまがいもの故、『天嶮学士』の称号ごと剥奪したのでは?」
少年は涼やかな目で天佑を見る。
まるで挑むような態度に、天佑は押し黙る。
少年の言うとおりだった。