「果たしたい目的があるならば、使える手段は全て使え。それが賢い者のやり方だ」
天佑は玲燕を見つめる。
(お父様の無念を、晴らせる?)
先ほどまでは絶対にこの件からは手を引こうと決めていたのに、気持ちが揺らぐ。
「今お前が降りれば、天嶮学は永遠にまやかしのままだ」
玲燕はぎゅっと手を握る。
「……やる。やるわ! やればいいんでしょっ! 私が必ず、そのおかしな鬼火の謎を解いてやるわ!」
「そうこなくては。期待している」
天佑はにこりと笑う。
(この人、わざと煽ったわね……!)
その整った笑みを見て、玲燕はこの男が思った以上に頭の回転の速い策士であることを感じた。じとっと睨む玲燕に絶対に気付いているはずなのに、天佑は涼しい顔をしている。
(絶対にさっさと解決して東明に帰るわ!)
玲燕は決意を新たにする。
「私もその鬼火を見られますか?」
「日によって場所が違うからなんとも言えないが、日が暮れた後に水辺に現れることが多い」
「では、現れる可能性の高い水辺に連れて行ってください」
「わかった」
天佑は頷く。
話を終えると、玲燕は小鉢に盛られた豚肉を箸で切って口に含む。何時間も煮込んで作ったであろうそれは、口の中でとろりと溶けて消えた。少しだけ冷えてしまっているが、それでも十分に美味しい。
「美味しい!」
「それはよかった」
天佑はにこりと微笑む。
(この人、不思議な人ね)
玲燕を見つめて目を細める様子は、とても優しそうな好青年にしか見えない。けれど、先ほどまでのやりとりを見るに、かなりの策士であることは想像が付く。
「どうした?」
じっと顔を見つめてしまったので、不審に思われてしまったようだ。天佑は不思議そうに小首を傾げて玲燕を見返す。
「いえ、なんでもございません」
玲燕は目を伏せると、黙々と食事をとる。
小鉢に盛られた小魚を口にして、ふと手を止める。
(これ、懐かしい……)
遙か昔、これと同じものがよく食卓に並んだ記憶がよみがえる。大明に流れる川──巌路(がんじ)川で採れた小魚の煮付けだ。
(水辺で鬼火か……)
一般的に鬼火は墓地で見られることが多い。
色々とこれが原因ではないかという推測は立つが、やはり実際に見てみないことには断定が難しい。
玲燕はまた一口、食事を口に運ぶ。
外からは、秋の訪れを知らせる虫の声が聞こえてきた。
玲燕との食事を終えた天佑は自分の部屋に戻った。
私室にある机に向かうと、硯で墨を摺り、筆を執る。主である潤王に手紙を書くためだ。
潤王の命は『東明に趣き、有能な錬金術師を連れて来てほしい』だった。それを受けて事前に調査をした上で東明に往復六日かけて趣いたのだが、出会えたのはあの少年の錬金術師だけだった。
「天嶮学か……」
天佑もその名はよく知っている。
今から十年前、先の皇帝──文王の怒りを買い、それを口にすることすら許されない失われた学派だ。
『天嶮学はまやかしではない!』
強く言い切った玲燕の瞳の力強さを思い出す。
「不思議なやつだ」
普段の天佑であれば、あの状況であれば探していた錬金術師はいなかったと諦めていただろう。けれど、射貫くようなあの眼差しを見たとき、なぜかこの少年に賭けてみたいという気持ちが湧いた。
「とくとお手並み拝見しようか」
天佑は筆を進めつつ、口元に弧を描いた。
◇ ◇ ◇
翌日から、玲燕はこれまでの鬼火の目撃情報を整理した。
天佑から聞いたとおり、目撃されているのは水辺に集中しており、特に川沿いが多い。ただ、火によってどこに現れるかは異なり、規則性はなさそうだ。
時刻は日が沈んだあとで、あたりに人気がないことが多い。
そして色は通常の炎の色である橙色のほか、緑色や黄色だったという証言が多かった。
ただ、一瞬で消え去ったと言う者もいれば、ゆらゆらと同じ場所に留まっていたと言う者もいるようだ。
(たしかにこれは、普通の鬼火ではないわね)
玲燕は資料を見ながら唸る。
とにかく、一度でもいいからその鬼火を見る必要がある。
都である大明に来てから五日。
この日も玲燕は、皇城と外郭城にまたがるように流れる巌路川の畔を天佑と共に歩いていた。鬼火を見るために、毎日こうして歩いているのだ。
「今日は現れるでしょうか」
「さあ、どうだろう。なにせ、川沿いと言っても範囲が広からね」
天佑が言うとおり、ここ大明の城内はとても広い。
皇帝が住む宮城を中心に、その周りに官庁が立ち並ぶ皇城、更にその周りに人々が住む外郭城が広がっている。外郭城の内部だけでも、雁路川と細い小川があり、さらに人工的に作られた水路が至る所に張り巡らされている。
玲燕は空を見上げる。
既に日はすっかりと暮れ、辺りは真っ暗になっている。
(やけに暗いと思ったら、今日は二十七夜か)
漆黒の空には、線のように細い弧になった月が浮かんでいる。
「鬼火は見えませんね」
玲燕は周囲を見回す。今日も、不審な光は見えなかった。
一時間ほど歩いただろうか。
今日も収穫なしかと諦めかけたときに、不意に離れた場所から声がした。
「鬼火だ!」
玲燕はハッとして声のほうを見る。
「鬼火ですって?」
「行ってみよう」
天佑が声のほうを指さし、足を早める。
玲燕の視界の端に鈍い光が映った。
(あれは……)
それは本当に一瞬のことだった。
川上から川下に向けて、鈍い緑色の光が移動してゆくのが見えた。それはまるで子供の遊ぶ球のように、美しい放物線を描きすぐに消えた。
「今のが鬼火でしょうか?」
「ああ、例の鬼火で間違いない」
隣に立つの天佑が固い声でそう言う。
(もう一度現れないかしら?)
玲燕は鬼火が消えた方向をもっとよく見ようと、目を懲らす。
しかし、すっかりと日が暮れている上に今日は二十七夜だ。視界の先は、漆黒の闇に包まれている。そして、頭上には天極の極星が瞬いているのが見えた。
騒ぎを聞きつけた人が玲燕達以外にも集まってきて、周囲から「鬼火が現れたぞ」「天帝がお怒りだ」と叫ぶ声が聞こえてくる。
「想像したよりも動きが速いです」
「私が前に見たときは、もっとゆったりした感じだった。遠目にゆらゆらと、風に揺れるような……」
「そうですか」
玲燕はじっと考え込む。
鬼火は確かに現れ、緑色をしていた。
(……緑の火か)
「天佑様。明日、明るい時間にもう一度ここに来ても? それに、これまで鬼火が目撃された場所も」
「明日の明るい時間に? 明るい時間に鬼火が目撃されたことは、今まで一度もないが?」
腑に落ちない様子で、天佑は聞き返す。
「はい、わかっております。確認したいことがあるのです」
玲燕は流れる川を見つめながら、頷いた。
翌日、まだ日が昇るか昇らないかという時刻。
寝台の上で体を起こすと、朝の空気が皮膚に触れる。
「段々と涼しくなってきたなあ」
ついこの間まで、寝苦しいほどだったのに。
玲燕は布団をぎゅっと引き寄せる。
ここの寝台はふかふかしていて、寝心地がいい。ずっと寝ていたくなるが、そういうわけにもいかない。
玲燕は寝台から抜け出すと、着慣れた胡服に身を包む。明明にどんな服が好きかと聞かれ、動きやすいからとお願いしたものだ。
屋敷の中心にある庁堂に行くと、既に天佑の姿はそこにあった。
「天佑様、おはようございます」
「おはよう」
天佑は玲燕のほうを見て、柔らかく目を細める。
「今朝は、昨日の場所に行くのだろう?」
「はい。そうしたいと思っております」
玲燕は頷いた。
同じ場所でも、昼と夜とでは全く印象が異なる。
天佑に連れられた向かった場所を、玲燕はじっくりと観察するように眺めた。昨日は暗くてよく見えなかなかったが、巌路川は川幅五メートルほどで、川岸は膝の丈ほどの草に覆われていた。
「昨日私達がいたのはどの位置でしょうか?」
「ちょうどあのあたりだ」
天佑は今いる位置の後方、川岸に沿ってある砂利の歩道を指さす。玲燕はその場所に行くと、懐から小さな小箱を取り出し、中から一本の針を取りだした。
「羅針盤か?」
蚕の繭から取った絹で中央が結ばれたそれを、天佑は見たことがあった。正確に方位を知りたいときに用いる道具で、よく易で使われるものだ。
「そうです。昨晩、鬼火を見た際に私は同じ方角に天極の極星があるのを見ました。天極は常に子の方角に位置します。即ち、この羅針盤が示す子の方角に、鬼火は現れたということです」
玲燕はじっと針を見つめ、その針が示す子の方向に歩み寄る。
「あちらに渡りたいです」
「向こうに橋があるな。行こう」
天佑は川下を指さす。
二百メートルほど先に、細い橋が架かっているのが見えた。
玲燕はその橋を渡り、川の向こう岸へと行く。
「火の玉が消えたのはこの辺りでしょうか?」
「そう思うが」
天佑が頷く。玲燕はおもむろに川沿いの草の中に足を踏み入れると、どんどんと川岸に向かい水面を見た。
「思ったよりずっと浅い川なのですね。流れも緩い」
「ああ、そうだな。最近は晴れが続いているから、よけいに水量が少ないのかもしれない」
「とても都合がいいです。もしかすると、思ったよりずっと早く解決するかもしれません」
「どういうことだ?」
玲燕の言う意味がわからず、天佑は聞き返す。玲燕は黙ったまま、じっと水面を見つめている。そして、胡服の下履きをたくし上げるとジャブジャブと川の中に足を踏み入れた。
「おい、何をしている!」
ぎょっとした天佑が叫ぶ。
「捜し物です」
「捜し物? 一体何を?」
天佑は問い返す。玲燕が何を捜しているのか、皆目検討が付かない。
訝しむ天佑に構うことなく、玲燕は辺りを見回している。
二十分近くそうしていただろうか。中腰で水底に目を凝らしていた玲燕が、ぱっと立ち上がる。
「ありました!」
「一体、何があったというのだ?」
「これです」
玲燕が持っていたのは、一本の棒だった。水に沈んでいたのでびしょびしょに濡れている。長さは二十センチほどで、箸と同じくらいの大きさだ。
「その棒がなんだというのだ?」
「よくご覧下さい。これは、ただの棒ではありません」
「なんだと?」