桃林殿の警備を担当していた衛士は青い顔で首を左右に振る。

「闇夜に紛れたのかもしれないぞ」
「よそ見していたのではないか?」

 周囲にいる人々が、好き勝手に自らの推理を言い始めた。
 その横で、玲燕は腕を組む。

(深夜に紛れ、毒を井戸に混入した?)

 衛士の『不審者はいなかった』という証言を信じるなら、桃林殿内部の人間が行った犯行ということになる。だが、そんなことをするだろうか。

「井戸に関して、何か気になったことはありませんか?」 
「気になったこと?」
「なんでもいいのです。いつもと違うことがありませんでしたか?」

 玲燕は真剣な面持ちで、女官に尋ねる。

「……輪軸が昨日交換されました」
「ええ、それはさっき聞いたわ。他には?」

 玲燕は問い返す。
 後宮内部の井戸の輪軸を順次交換していることは、以前より聞いている。なんら不審な点はない。

「えーっと……、昨晩は井戸に氷が浮いていて、珍しいこともあると皆で話していました」
「氷?」

 玲燕はバッと体の向きを変えると井戸の中をのぞき込む。暗い井戸の奥に水面が見えるが、氷は浮いていない。

「浮いていませんが?」