(あやかしなどいないわ。父ならきっと笑い飛ばすはず)

 玲燕は脳裏に、髭を揺らして笑う陽気な父──葉(ヨウ)|秀燕(シュウエン)の姿が蘇る。玲燕の母は元々体が弱く、玲燕以外に子供を望めなかった。ひとりっ子だった玲燕を秀燕はとても可愛がってくれた。
 玲燕もまた父をとても尊敬しており、特に、父が天嶮学を弟子達に教えている学舎に紛れ込んで一緒に講義を聞くのが何よりも好きだった。

『錬金術の目的は練丹のみではない。我らは錬金術を用いて物事の真理を見極め、あらゆる世の不可解を解明し、また、世の不便を解決するのだ』

 父は弟子達によくそう言っていた。

 天嶮学が広まるまで、錬金術師の仕事は練丹、即ち、飲めば不老不死の仙人となれる仙丹の錬成が主目的だった。天嶮学は錬金術の可能性を大きく広げたのだ。

 玲燕は馬車の窓から外を覗く。
 墨を垂らしたような闇夜には、下弦の月が見えた。

 ──月をはじめとする天の星は大地より昇り、また沈むが、一部の星は一年中どんなときでも地平線下に沈むことはない。

 天嶮学の学舎で、昔そんなことを学んだ記憶が蘇る。
 天空を二十八の月宿に分割し、地平線に沈んでいる星の位置をも正確に把握するのだ。

『天嶮学はまやかしだって言うのは既に有名な話なのに』

 故郷を去り際に家の貸主から言われた言葉を、また思い出す。

(まやかしじゃないわ)

 玲燕は膝の上に乗せていた手をぎゅっと握る。
 予想と違わずに正確に動く天体は、玲燕が学んだことが間違っていないと証明している。

(朝廷は嫌いだ)

 たった一度の失敗で父の命を奪っただけでなく、それまで脈々と受け継がれていた先人達の知識までも、その全てを否定した。

(今回だけが、特別よ)

 玲燕は自分に言い聞かせる。