一見するとただの少年だ。
だが、初対面の自分に会った瞬間あれだけ言い当てられたその洞察力に、天佑は底知れぬ才能を感じた。だから、この少年にかけてみたいという気持ちが生まれた。
「表に看板が置いてあった。用件も聞かずに依頼を断るのは、あんまりなんじゃないか?」
天佑は右手の親指で、玄関のほうを指さす。
先ほど玄関脇に『お困りごとの解決、承ります』の札が立てかけてあったのは知っている。
「あんたは朝廷からの使いで、人捜しに来たんだろう? それについては、今言った通り、私では力になれない」
「人捜しはもういい。存在しない者を捜すのは時間の無駄だ。ところで、先ほどの推察はなかなか見事であった」
静かに語りかける天佑を、少年は黙って見つめる。
「きみを見込んで依頼をしたい。改めて、私は朝廷の官史をしている甘《カン》|天佑(テンユウ)だ。実
は、都で近頃はびこっているあやかし事件を解決する知恵を貸して貰えないかと思ってね」
「あやかし事件?」
「ああ、そうだ」
「断ると言っただろう」
「は?」
予想外の態度に、天佑は目を瞬(またた)かせた。
「だから、断ると言ったんだ」
「……それは、どうしてかな?」
天佑は口元に笑みを浮かべ、少年に問いかける。
朝廷からの依頼は、即ちここ光麗国の皇帝からの依頼と同義。ありがたいとむせび泣くことはあれど、断られるとは思ってもみなかった。
「都に日帰りで行くことはできないだろう? ここで育てている動物たちの世話は、その間誰がやる?」
少年は大真面目な顔をして答える。
「……動物?」
動物とは先ほど見かけた、このみすぼらしい家の外にいた牛や犬のことだろうか。まさか牛や犬を理由に断られるとは。
「あの子達は私の数少ない財産なんだ。逃げたり死なれたりしたら、取り返しが付かない」
「なるほど。では、動物の世話をするための人を寄越そう」
「役人は信用ならない。昔、手伝ってほしいと言われて手伝ったら、報酬を払い渋るどころか、私を愛妾にしてやると言って侮辱してきた」
「それは……」
天佑は改めて目の前の少年を見た。
華奢で、まるで少女のような可愛らしい顔つきをしている。天佑にはそういう趣味はないが、人によってはこのような愛らしい見目の少年を愛妾として囲う性癖がある輩もいるかもしれない。
「それは災難だったね。だが、私はそのようなことはしない」
少年はちらりと天佑のほうを見たが、すぐに目を反らした。
「私は朝廷とは関わらない。奴らは嫌いだ」
吐き捨てるように言ったその言葉に、なぜか言葉以上の意味を感じた。強い拒否感だ
(困ったな……)
手ぶらで帰るわけにはいかないが、嫌がる少年を無理矢理連れ去るのも本意ではない。
どうしたものかと逡巡していると、ドンドンドンと扉を叩く大きな音がした。
「おい、玲燕(れいえん)! いるのはわかってるんだから。今日こそ滞納している家賃を払ってもらうよ」
続く、大きな声。
「げ」
小さく呟いたその少年──名前は玲燕と言うらしい──は慌てたように先ほど崩れたがらくたの山に身を潜める。
ドンドンドンと再び扉を叩く音がした。
天佑は扉に歩み寄り、それを開けた。
「やっと出てきた! 今日こそ──。あらっ、あんた誰だい?」
扉の外にいたのは、中年の女性だった。白髪が混じり始めた髪をひとつにまとめ、薄汚れた胡服を着ている。
「俺はちょうどここに依頼に来た客人だ。それより、何事だ?」
「客人? ここに? あんたも酔狂だね。天嶮学はまやかしだって言うのは既に有名な話なのに」
中年の女性がそう言った直後、「まやかしじゃない!」と天佑の背後から大きな声がした。同時に、がらくたが崩れ落ちる大きなガシャンという音も。
それで、先ほど天佑が来た際も玲燕は借金取りが来たと思い隠れていたのだなと合点する。
「ああ、いた! 玲燕、今日こそ両耳そろえて払ってもらうよ! 払えないなら出て行きな!」
中年女性は玲燕の姿を認め、声を張り上げる。
「天嶮学はまやかしじゃない。訂正して!」
玲燕は女性のほうを睨み付ける。
「そんなことより家賃だよ! 何カ月溜める気だい」
「……っ! すぐに払う!」
「言っておくけどね、あんた先月も同じこと言っていたからね」
天佑は向かい合う玲燕と中年の女性の前に片手を出し、それを制止した。天佑は中年の女性を見る。
「家賃滞納か。滞納金は金はいかほどだ?」
「三十銅貨だよ」
「三十銅貨ね」
一般的な農民の月収に相当する額だ。このボロボロの家の賃料がそんなにかかるとは思えないから、相当長い期間、支払いが滞っているのだろう。
「俺が払おう」
天佑は右手を懐に入れると、財布を出す。そこから銀貨三枚を取り出し、女性に差し出した。
一方の女性は天佑から銀貨を受け取ると目をまん丸にした。銀貨を摘まみ、上にかざして眺める。
「こ、こんなにいいのかい? 三十銅貨より随分多いけど」
「ああ、構わない。その代わり、この先一年間ほどこの家を借りたい。余った額は利子として取っておいてくれ。それでいいか?」
銀貨一枚は百銅貨に相当する。つまり、天佑が手渡したのは滞納金の十倍に相当する額で、この女性が驚くのも無理はなかった。
「もちろんだよ! こんなボロ屋でよければ一年間自由に使っておくれ。ありがとうね!」
中年女性は朗らかな笑みを浮かべると、手を振って上機嫌で去って行った。
その後ろ姿を見送ってから、天佑は改めて少年──玲燕を見る。
玲燕は礼を言うどころか、天佑を睨み付けてきた。
「余計なことをするな。すぐに自分で払おうと思っていた」
「へえ、どうやって? 見たところ、依頼客もいないように見えるが」
玲燕はぐっと押し黙るが、まっすぐに天佑を睨み据える視線を外そうとはしない。
(だいぶ肝が据わった少年だな)
相手が都の、しかも高位の官吏だとわかっていながらまっすぐに睨み付けてくるこの度胸はなかなかのものだ。
「今のは依頼料の前払いだ。俺の依頼を受けて解決すれば、成功報酬として残りも支払おう」
「前払い?」
玲燕は怪訝な顔で天佑を見返す。
「ああ。なんなら、手付金として、先ほどの家賃とは別に今すぐに報酬の一部を支払ってもいい」
天佑は懐に手を入れて小さな布袋を取り出すと、その布袋をそのまま玲燕に差し出した。玲燕は訝しげな顔をしつつもそれを受け取り、中を覗く。そして、驚いたように目を見開いた。
「こ、こんなにいいのか?」
「それはほんの一部だ。もし事件を解決してくれたなら、その百倍の報酬を支払おう」
「ひゃ、ひゃくばい!」
狼狽えたような顔をした玲燕は、しっかりとその布袋を握りしめたまま何やら思案し始めた。「これだけあったら学舎を作って人を雇っても三十年は暮らせるな。教科書を作って、全員に無償配布しても──」などとブツブツを呟いている。
「どうだい? やらないか?」
「……やる」
そうこなくては、と天佑はニッと口角を上げた。
「では、交渉成立だな。ところで、きみの名前は、玲燕でいいのかな?」
「そうだ」
「そうか、玲燕。これからよろしく。さっそくひとつ、私の相談に乗ってくれないか」
そう言うと、天佑は都で起こったことを話し始めた。
◇ ◇ ◇
玲燕(レイエン)は馬車に揺られながら、目の前の男に目を移した。
その男──天佑は眠っているようで、ひとつにまとめられて無造作に肩から前に流れる艶やかな黒髪は馬車の揺れに合わせて揺れていた。伏せた瞼の際(きわ)から伸びる睫毛は長く、その高い鼻梁のせいでできた影は頬に影を落としていた。
(都には美しい男がいるものね)
玲燕は天佑を見てそう思った。
玲燕が多くの時間を過ごした田舎の村では一度も見たことがないような、見目が整った男だ。涼やかな眼差しと凜とした雰囲気のせいか、どこか近寄りがたい雰囲気すら感じる。
年の頃はまだ二十代半ばだろうか。この年齢で吏部侍郎の座にいるとなると、恐らく超難関の試験を相当若くして突破し、更にその中でも同期で一、二を争う超出世頭のはずだ。
じっと見つめていると、男の睫毛が揺れ、ゆっくりと目が開いた。視線が宙を漂うように揺れ、玲燕を捉える。
「ああ、済まないね。うたた寝をしてしまった」
「構わない。疲れているのだろう?」
それを聞いた天佑は、形のよい口の端を上げた。
「きみの方が疲れているだろう? 私に遠慮なく休むとよい。動物達なら心配いらないよ。私からしっかりと面倒を見るようにと申し伝えたから」
「どうも」
微笑みかけられて、玲燕はふいっと目を反らす。
(役人は嫌いだ)
それは昔、とある役人に知恵を借りたいと言われ呼び出されたときのことだ。
子供のために用意したからくり人形の修理だと聞き喜んでその仕事を受けた。
ところがだ。約束通りにその人形を修理した玲燕に対し、その役人は報酬を支払わないどころか「愛妾にしてやる、ありがたく思え」と言い放った。若い、かつ女のである玲燕を軽んじていることは態度から明らかだった。
それ以来、玲燕は自ら進んで男の格好をして男のように振る舞うようになった。
この国では女の地位が低い。育ての親が亡くなり一人暮らしする上でも、そのほうが都合がよかったのだ。
男の身なりをして、男のような口調で話すようになってからは愛妾にしてやると言われることはなくなった。だが、今でも各地の役人にただ同然の報酬額に値切られることが多く、彼らが内心で平民である玲燕を小馬鹿にしていることは明らかだ。
(朝廷か……)
都に行くのは十年ぶりだ。
玲燕の父は天佑が言うところの天嶮学士その人だった。
父は子供の目に見てもとても聡明な人で、幼い玲燕に様々なことを教えてくれた。語学はもちろん、複雑な算術や水時計の仕組み、からくり人形の原理……。
天嶮学は錬金術学の一種で、初代の天嶮学士が学びやすいように体系立てたものがそう呼ばれているに過ぎない。それなのに、たった一度の失敗で父は天嶮学士の名を剥奪された上で斬首され、天嶮学そのものがまがい物の邪道であると断罪されたのだ。
まだ幼かった玲燕は屋敷の使用人──容が自分の子だと偽って連れ出してくれたおかげで助かった。そのときの無念を思うと、今でも怒りで手が震える。
玲燕は正面に座る天佑を窺い見た。再び目を閉じ、うたた寝をしている。長い髪の毛が一房こぼれ落ちて、額にかかっていた。
今のところ、天佑の態度はとても親切で紳士的だ。
玲燕が一年間、楽に暮らしてゆけるほどの多額の前金を入れてくれただけでなく、家畜の世話に関しても玲燕が住む地域の村長宅に赴き、しっかりと世話をするようにと目の前で話を付けてくれた。
だが、事件を解決したらこれまでの役人達のように態度を豹変させる可能性も捨てきれない。
だから、玲燕はできるだけ気を許さず、用件が終わったらさっさと家に戻ろうと自分に言い聞かせた。
(それにしても、あやかしなどとは……)
先ほど天佑が話したこと。それは、なんとも滑稽な話をだった。