偽りの錬金術妃は後宮の闇を解く

 玲燕は呆れた。犯人が捕まっているなら、自分がこんな格好をしてここにいる必要などないのに。なんですぐに教えてくれなかったのか。

「そう、捕まった。だが、おかしいのだ。日が合わない」
「日が合わない?」

 先ほども天佑は『日が合わない』と言っていた。

(一体何を仰っているのかしら?)

 玲燕が訝しげに眉を寄せると、天佑は続きを話し始める。

「劉家が贔屓(ひいき)にしていた錬金術師は随分と几帳面な性格をしていてね。何月何日に、どこで鬼火を飛ばしたかを事細かに竹簡(ちくかん)に記載していた。その一つひとつを今までの記録と照らし合わせたのだが、どうも日にちが足りない。これだ」

 天佑は背後の書棚から、書類を取りだして玲燕に差し出す。
 先ほどからしきりに『日が合わない』と言っているのは、鬼火が目撃された日の記録と劉家が贔屓にしている錬金術師から押収した記録が合わないということのようだ。

「劉家が錬金術師を複数人使っていたのでは?」
「私もそれを疑ったのだが、それはない。出入りしていたのはこのひとりだけだ。それに決定的なことがひとつ、現在劉家ゆかりの者には宦官や医官がいない。後宮には入れないはずだ」
「では、その錬金術師からやり方を教えてもらった別人が行ったのでしょう」
「それならそれでよいのだが、何か見落としてはいないかと思ってな」

 天佑は腕を組む。

「見落とし……」

 天佑の心配も理解できた。
 ここで『あやかし騒ぎは劉家の策略だった』として劉家を断罪した後に、また同様の事象が起きれば今度こそ本当にあやかしの仕業にちがいないと大騒ぎになるだろう。

『我らは錬金術を用いて物事の真理を見極め、あらゆる世の不可解を解明し、また、世の不便を解決するのだ』

 父の言葉を思い出す。

(物事の真理を見極め──)

 天佑の言っているとおり、何か見落としていることはないだろうか。もし自分が劉家の当主の立場だったら──このようなことをしていたことが明るみになれば一大事なので、むやみに関係者を増やしたりはしないはずだ。

 玲燕はもう一度、目の前にある資料を見る。

「ん?」

 そのとき、玲燕はあることに気が付いた。

「どうした?」
「よく見てください。劉家の錬金術師が関わったことが疑われるあやかし騒ぎの日は素早く横切ったという証言が多いです」
「確かにそうだな。気付かなかった」

 玲燕は顎に手を当てる。

「これはもしかして……」
「何か気付いたのか?」
「はい、天佑様。至急で調べていただきたいことがございます。もしかすると、力試し大会は絶好の機会になるかもしれません」
「絶好の機会?」
「はい。鬼火の謎を、多くの人々の前で明らかにして見せましょう」

 玲燕はそう言うと、自信ありげに笑みを深めた。


   ◇ ◇ ◇


 その日、皇城の中庭の周りには潤王主宰の力試し大会を見学しようと多くの人々で賑わっていた。
 中庭が見渡せる高い位置には潤王の席が用意されており、その周りには既にぐるりと臣下達が座っていた。更に、左右の物見席には本日特別に後宮を出ることを許された妃達が並び、華やかさを添えていた。

「すごい人達ね」

 玲燕は、集まった人々を見回す。そのとき、どんと背中を押されて前によろめいた。

「痛ったぁ」
「おい。どうしてこんなところに女官がいる。用意が終わったならさっさと出て行け」

 玲燕にぶつかった武官と思しき大男は、不機嫌そうに眉を寄せて顎をしゃくる。

「いえ。私もこの力比べに参戦しますので」

 玲燕は首を横に振る。
 すると、大男は目をまん丸に見開き、次いで大きな声で笑い出した。

「お前が? これはとんだ挑戦者だ。おい、お前、どこの家の者だ?」
「甘家でございます」
「甘か。どおりで。主も女のような顔をしてひょろひょろしている」

 周りにいた男達から、どっと笑いが漏れる。

 その嘲笑に満ちた言い方に、玲燕はムッとした。
 今日はそれぞれの家を代表する力自慢達ばかりが集められただけあり、どこを見ても屈強な男達ばかりだ。そんな中に玲燕が混じっているのは確かに異様に見えるだろうし、ひょろひょろしているのも否定しない。だって、女だし。
 けれど、それと天佑のことは全く関係がない話だ。それなのに、この男は玲燕を通して天佑のことを馬鹿にしていた。

「それでは、甘家の女官ごときに負けぬようせいぜい頑張ってくださいませ」

 玲燕は涼やかな目で大男を見返す。

「なんだと? 貴様、俺を高家に仕える浩宇と知っての発言か!」

 挑発されていることに気付いた大男が激高したように叫ぶ。

「知りません。興味もございませんので」

 事実、そんな男の名は天佑から渡された有力貴族のリストにはなかった。つまり、この男は玲燕の知らない男だ。

「貴様!」

 顔を赤くした大男が玲燕に掴みかかろうとしたそのとき、ドーンと銅鑼が鳴る。潤王が現れたのだ。その場にいた者達が、一斉に頭を下げる。玲燕もそれに倣い、頭を下げた。

「それでは、これより勝負を始める。ルールはひとつだけ、一番重い重りを床から三尺以上持ち上げ、十数えることができた者が優勝だ」

 潤王の横に建つ官吏の説明に、周囲から雄叫びが上がった。

「秀(しゅう)家、百斤」
「円(えん)家、九十斤」

 測定結果を記録する官吏(かんり)が大きな声で記録を叫ぶたび、大きな歓声が上がる。
 天佑(てんゆう)もその様子を、潤王のすぐそばで見守っていた。

「黄家と高家が同立一位か。この記録を破るのは難しいかもな」

 潤王は斜め後ろに控える天佑に話しかける。

「はい。次点とかなりの差があります」

天佑は頷く。現時点のトップは黄家と高家で、共に百三十斤だ。その次が秀家の百斤となっている。

「最後は玲燕ではなかったか?」
「はい、そうです」

 天佑は頷く。

「冗談かと思えば、本当に自分が出場するとはな。つくづく面白い奴だ。皆、おかしな女官が紛れ込んでいると思い込んでいる」

 潤王は肩を揺らしくくっと笑う。

(本当に大丈夫なのだろうな?)

 天佑は中庭の端で準備をしている玲燕を見つめた。
 玲燕は今日、自ら手を挙げてここに参戦している。本人は大丈夫だと言うが、屈強な男達に交じったその姿は子供のようにすら見えた。

「ところで、先ほどからあいつは何をしているんだ?」
「わかりません」

 潤王に尋ねられ、天佑は首を横に振る。

 玲燕のすぐ横には、紐が繋がった大きな盥と、鉄の骨組みに歯車がいくつも組み合わさった奇妙な滑車付きの構造物が置かれていた。井戸の滑車に似ているが、少し違うように見える。
玲燕はそのバケツの大きい方に、黙々と重りを積んでいた。重いのか、基準となる十斤の重りひとつでふらふらしている始末だ。

「手伝って参ります」

 見かねた天佑はすっくと立ち上がると玲燕の元に駆け寄る。玲燕は天佑に気付くと、薄らと額に滲んだ汗を拭ってにこりと微笑んだ。

「これは天佑様。いいところにいらっしゃいました。重りを載せるのを手伝って下さい。ひとりでは骨が折れる」

 そう言いながら、玲燕はまたひとつ重りを持ち上げ、バケツの中に置いた。

「ここ数日、菊花殿に籠もって何かを作っていたのはこれか?」
「はい、そうです。材料を集めてくださりありがとうございます」

 玲燕は朗らかに微笑む。

 この力試し大会の出場に際していくつかの必要な材料を玲燕から告げられた。それは、滑車や歯車や棒など、おおよそ何に使うのか予想の付かないものばかりだった。

「何斤載せる?」
「そうですね……。百五十斤ほど」
「百五十斤だと!?」

 これまでの最高記録が百三十斤なので、玲燕の要求した重さはそれを遙かに上回る。驚く天佑に対し、玲燕は落ち着いた様子でまた重りを持ち上げる。天佑は慌ててそれを取り上げてバケツに入れてやった。

「これで百五十斤でしょうか。では、この重りを私が三尺持ち上げて十秒数えて見せます。計測係、今の位置を記録してください」

 玲燕は計測係に測量を促す。バケツは地面に置かれているので、記録は〝ゼロ〟だ。

「それでは持ち上げます」

 玲燕はそう言うと、紐を持ち上げるのではなく、滑車のひとつに付いた持ち手を下に引いた。ゆっくりと動き始めた歯車が回り、バケツに付けられた紐は上に引かれる。
 ゆっくりと、しかし確実に、バケツは持ち上がった。

「輪軸か。考えたな」

 天佑は呟く。玲燕が持ち込んだこの装置は、井戸の水くみなどで使われる手法だ。直径の違う歯車を組み合わせることによって、小さな力で大きな力を生み出すことができる。

「持ち上がりました。もう三尺は上がったでしょう?」

 玲燕は横にいる計測係に問いかける。

「は、はいっ」
「では数えましょう。一、二、三……」

 あまりの予想外の行動に唖然とする一同を尻目に、玲燕はゆっくりと十数える。

「……十。百五十斤を持ち上げました」

 玲燕がすまし顔で言ったその瞬間、大きな声がした。

 ──異議あり!

 声の主は、玲燕がいなければ優勝だったはずの大男、黄家に仕える浩宇だった。

「力自慢の勝負にこのような小道具を使うとは、武の道に反する。俺は認めん」

 怒りで顔を赤くした浩宇は興奮気味に叫ぶ。

「その通りです。甘殿もこんないんちきを使うとは、落ちぶれられたものだ」

 続いてそう抗議したのは、黄家と同立一位だった高家の当主──高宗平だった。

「あなた達が認めるかどうかは、関係がありません」

 玲燕がふたりに対してきっぱりと言い切る。

「なんだとっ」
「お前、誰に向かって口をきいている!」

 それぞれが怒り、辺りに緊迫した空気が流れた。周囲で見物していた者達も、これはどうしたものかと騒めく。

「陛下。このような正義の道を踏み外すような真似は断じて許すべきではございません。甘殿もどういうおつもりだ!」

 高宗平は潤王の元に歩み寄ると、顔を赤くして玲燕の行った行為は不正だと訴える。そして、横にいる天佑を睨み付けた。

 潤王は高宗平と浩宇を見下ろし、ふむと頷いた。