偽りの錬金術妃は後宮の闇を解く

 地方で働く官吏達の異動をどうするかについての書類を確認していると、執務机をバシンと叩く音がした。

「天佑様! どういうことでございますか」

 そこには、両手を執務机について頬を上気させる玲燕がいた。官吏姿に男装しており、片手には何かが書かれた紙を握りしめている。

「玲燕か。ちょうど今日か明日辺り会いに行こうと思っていたからちょうどよかった。随分と後宮を抜け出すのが上手くなったな?」

 玲燕が着ている服は、以前天佑が渡したものだ。自分で着替え、秘密通路を通って抜け出してきたのだろう。

「そんなことより、どういうことです!」

 玲燕は先ほどと同じ言葉を繰り返す。

「どういうことって、何が?」
「何が、ではございません。本日、蘭妃様に呼ばれました。天佑様は理由を知っておりますね?」
「ああ。それ」

 天佑は口の端を上げる。

「まあまあ、そう怒るな。目論見通り、怪しき人間に一気に会えるぞ」
「そのために、こんな勝負事を持ちかけたのですか?」

 玲燕は息をつく。

 玲燕は初めて官吏の姿に変装して後宮を抜け出して以降、度々変装しては天佑の部下として有力貴族達に接触を試みた。ただ、一介の官吏では交わせる会話に限界があり、多くの人と会うことは困難だったのは事実だ。

「ああ、そうだ。これが手っ取り早い。大会の日は玲燕を含めた五人の妃も特別に鑑賞を許す予定だ。臣下達の人間関係を知るよい機会だろう?」
「まあ、それはそうでございますが」

 玲燕はふてくされながらも、前傾にしていた体を起こす。
 天佑の言うとおり、期せずして後宮の妃のひとりから呼び出されて、自然に顔つなぎをすることができた。それに、このような勝負事では普段の人間関係が自ずと現れる。

「それで、蘭妃には何か助言してやったのか?」
「私がその勝負に参戦すると申し上げました」
「は?」

 その回答は天佑にとって予想外だったようだ。
 先ほどまでの涼しい顔が一転して、目を丸くしている。
その反応を見て、玲燕は溜飲が下がるのを感じた。秘密裏に力試し大会などを企画して玲燕を驚かした意趣返しだ。

 玲燕はずいっとお触れの紙を天佑の顔に突きつける。

「このお触れを見る限り、道具の使用は禁止されていないのでしょう? 私でも優勝できるチャンスはあります」

 天佑は玲燕から紙を奪い取り、紙面を視線で追う。

「確かに道具については書かれていないな。だが、皆禁止だと思っていると思うぞ」
「でも、明記されておりません。告知されていない限り、そのような決まりはないはずです」
「いかにも、そうだがね。まさか、巨大なテコでも使うつもりか?」

 天佑は興味深げに聞き返す。口元に笑みを浮かべており、この展開を面白がっているようにも見える。

「巨大なテコは原理上投石装置と同じですから、操作をを誤ったときに周囲に被害を出してしまいますし、そもそも大きすぎます。ここは、バケツを使おうかと」
「バケツ? 塩水に沈めて浮力で持ち上げるか?」
「さすがは天佑様。すぐにその方法が思いつく方はそうそうおられません。ただ、その方法ですと、持ち上げられる重さに限度がありますし、服が濡れると風邪を引いてしまいますので違います」
「ではどうやって?」
「秘密でございます」

 ふいっとそっぽを向かれ、天佑は目を瞬(しばたた)かせる。

「そう怒るな。多くの関係者を一気に集めるには、これが一番自然な流れだったのだ」
「それはわかっております」

 天佑は苦笑する。ぶっきらぼうに言い放つ玲燕は、結局天佑にどういう道具を使うのかを教える気はなさそうだ。

「ところで、天佑様。今日、蘭妃様から興味深い話を聞きました。蘭妃様のご実家の蓮家と、梅妃様のご実家の黄家は共に冶金産業に出資しているようです。冶金に関わっていれば、懇意にしている錬金術師がいるはずです。今回の鬼火に使われた方法も知っていたかもしれません」

「ああ、それなら、既に調べた。これだろう?」

 天佑は執務机の中から書類を取り出し、玲燕に差し出す。そこには、冶金産業に関わっている有力貴族の家門一覧と、懇意にしている錬金術師の情報が載っていた。蘭妃と黄妃の実家である連家と黄家もあった。

 玲燕はそれを見て、眉を寄せる。

「情報はしっかりと共有してくださらないと困ります。私がなんのためにこのように身分を偽り、妃としてここに潜入していると思っているのですか」

 玲燕の責めるような口調に、天佑は肩を竦める。

「そう怒るな。先ほども言ったとおり、今日か明日あたりに玲燕を訪ねて相談するつもりだったんだ。ただ、どうにも解せない点があってね」
「解せないこととは?」
「以前より、玲燕とは色々とは錬金術師あるいはそれに類する者が事件に関与している可能性について話していただろう? だから、これらの情報を調べた。この中で反皇帝派の者を洗えば、犯人に繋がると思ったのだ」
「繋がらなかったのですか?」

 玲燕は聞き返す。

「怪しい者に目星を付けて、内々に更なる調査をした。ひとり、これは、という者が浮上したのだが……、残念ながら日が合わないのだ」
「日が合わないとは?」
「つまりだな──」

 天佑は自身の頭の中を整理するように、ゆっくりと説明を始めた。

「調査の結果いくつかの家門が浮上した。例えば、黄(おう)家、郭(かく)家、高(こう)家などだ」
「黄家?」
「ああ、黄家は知っての通り、梅妃様のご実家だ。娘が陛下の妃であられるので動機はないように思えるが、現在光麗国で最も有力な錬金術師を囲っているのが黄家だ」
「その錬金術師はどのようなお方なのですか?」

 玲燕は興味を持って尋ねる。

「李(り)空(くう)という男で、齢は五十歳近い。光琳学士院で最も権威ある錬金術師で、黄家と縁が強い。実は、鬼火の事件が発生したとき真っ先に光琳学士院に調査を依頼したのだが、李殿が率いる調査の結果、原因不明だと回答があった」
「光琳学士院に……」

 光琳学士院は光麗国において知識の腑とされる機関で、玲燕の父である最後の天嶮学士──秀燕が勤めていた場所でもある。

 初めて会ったとき、天佑は玲燕に『都の錬金術師では手に負えないことがあった』と言った。その都の錬金術師というのが光琳学士院に所属する錬金術師達なのだと玲燕は理解した。

「話は戻るが、黄家について怪しい動きがないかかなり調べたが、現在のところ鬼火に結びつく動きはない」
「なるほど」

 玲燕は腕を組む。

「次に怪しいのが、南の地域を治める名門貴族──劉(りゅう)家だ」
「劉家……」

 玲燕はこれまで頭に入れた各貴族の家系図を思い返す。
 劉家は娘を先帝に嫁がせており、子供がひとりいる。しかし、潤王の腹違いの弟に当たるその子はまだ十歳にもなっておらず、皇帝の座は潤王のものになった。玲燕が最も直接会ってみたいと思っていた人物のひとりだが、残念ながら今に至るまで会えていない。

「潤王を失脚させて、次の皇位継承者は劉家の娘が産んだ子供にするため?」
「そのとおりだ。陛下にはまだお世継ぎがいらっしゃらない。あやかし騒ぎを起こすのに十分な理由だろう?」

 玲燕は天佑が調べた書類を捲る。
 劉家は鋳鉄の鉱炉に投資を行い多額の富を得ており、懇意にしている錬金術師も多いようだ。玲燕が明らかにした鬼火の原理を知っているものがいたとしても不思議ではない。

「それで、調査した結果はどうだったのですか?」
「部下に極秘に劉家を調査させた結果、劉家を出入りする錬金術師の姿と、その錬金術師が夜更けに怪しげな行動をしている現場を取り押さえた。取り押さえの表向きの罪状は、放火だ」
「では、犯人はもう捕まっているではないですか?」

 玲燕は呆れた。犯人が捕まっているなら、自分がこんな格好をしてここにいる必要などないのに。なんですぐに教えてくれなかったのか。

「そう、捕まった。だが、おかしいのだ。日が合わない」
「日が合わない?」

 先ほども天佑は『日が合わない』と言っていた。

(一体何を仰っているのかしら?)

 玲燕が訝しげに眉を寄せると、天佑は続きを話し始める。

「劉家が贔屓(ひいき)にしていた錬金術師は随分と几帳面な性格をしていてね。何月何日に、どこで鬼火を飛ばしたかを事細かに竹簡(ちくかん)に記載していた。その一つひとつを今までの記録と照らし合わせたのだが、どうも日にちが足りない。これだ」

 天佑は背後の書棚から、書類を取りだして玲燕に差し出す。
 先ほどからしきりに『日が合わない』と言っているのは、鬼火が目撃された日の記録と劉家が贔屓にしている錬金術師から押収した記録が合わないということのようだ。

「劉家が錬金術師を複数人使っていたのでは?」
「私もそれを疑ったのだが、それはない。出入りしていたのはこのひとりだけだ。それに決定的なことがひとつ、現在劉家ゆかりの者には宦官や医官がいない。後宮には入れないはずだ」
「では、その錬金術師からやり方を教えてもらった別人が行ったのでしょう」
「それならそれでよいのだが、何か見落としてはいないかと思ってな」

 天佑は腕を組む。

「見落とし……」

 天佑の心配も理解できた。
 ここで『あやかし騒ぎは劉家の策略だった』として劉家を断罪した後に、また同様の事象が起きれば今度こそ本当にあやかしの仕業にちがいないと大騒ぎになるだろう。

『我らは錬金術を用いて物事の真理を見極め、あらゆる世の不可解を解明し、また、世の不便を解決するのだ』

 父の言葉を思い出す。

(物事の真理を見極め──)

 天佑の言っているとおり、何か見落としていることはないだろうか。もし自分が劉家の当主の立場だったら──このようなことをしていたことが明るみになれば一大事なので、むやみに関係者を増やしたりはしないはずだ。

 玲燕はもう一度、目の前にある資料を見る。

「ん?」