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しかし、この方法の場合比重を算出するために体積を知る必要があり、体積を計るには水に沈める必要がある。もしも鍍金が上手くできていない部分があれば、そこから内部が錆びてしまいかねない。高価な品なので、それをするのは気が引けた。
(では──)
玲燕は懐を探り、常に持ち歩いている小箱を取り出す。
「それは何?」
蘭妃は興味深げに、玲燕の手元を見る。
「羅針盤です」
「羅針盤? 方角を計るのかしら?」
蘭妃は小首を傾げる。扇子で口元を隠しながらも、視線は羅針盤に定まっていた。
一方の玲燕もじっと羅針盤の指す方向に注目した。針が左右に回転し、やがて一方向を指す。
「わかりました」
玲燕は羅針盤から視線を上げ、蘭妃を見つめる。蘭妃は目を眇め、まっすぐに玲燕のことを見返してきた。
「鍍金の品ですが、こちらでございます」
玲燕は四つの中から、ひとつを指さす。
すると、蘭妃の少し釣り気味の目が大きく見開いた。
「あら、すごいわ。どうしてわかるの?」
「鍍金とは、別の金属の表面に金の薄膜を被膜させる技術です。金は磁石に反応しませんが、地の金属は恐らく鉄ではないかと思ったのです。試しに羅針盤を用いたところ、見事に反応いたしました。でも蘭妃様、あなた様は最初からどれが鍍金の品かをご存じでしたよね?」
玲燕の問いかけに、蘭妃はくすくすと笑い出した。
「あらばれた?」
蘭妃はペロリと舌を出す。
「試すようなまねをしてごめんなさい。陛下から、とても広い知識を持つ面白い錬金術妃だから、試してみるといいと聞いていたの。本当ね」
「さようでございますか」
玲燕はこめかみを指で押さえる。
あの皇帝は、相変わらず何を妃達に吹き込んでいるのか。
「今日呼んだのはね、今度の勝負でなんとか梅妃様の優勝を回避する方法はないかと知恵を借りたくて」
玲燕は首を傾げる。
「だってあの人、何かと嫌みを言ってきて嫌いだわ。先日も、池に浮かべて遊ぼうと船を取り寄せた際だって、『蘭妃様のところはこぢんまりとした、可愛らしいものをお好みなのですね』ですって。絶対に喧嘩を売っているわ。あの人、本当に体調が悪いのかしら? いつ顔を合わせても、ピンピンしているように見えるけど」
蘭妃は顔をしかめる。
「はあ」
玲燕としては苦笑するほかない。
どうやら、以前に蓮妃から話を聞いていたとおり、梅妃と蘭妃は仲がよくないようだ。これが〝女の戦い〟というものなのかもしれない。
「それで、勝負とは?」
「先日皇城で行われた宴会で、参加した臣下のひとりが『私の雇っている衛士は百斤の重りを頭の位置まで持ってくることができる』と言いだしたの。そうしたら次々に他の者達も力自慢をし始めて、最後は天佑様が陛下に耳打ちして『それならば、どの家が一番重い重りを持ち上げられるか勝負しようか』と。それで、今度力比べの勝負が行われることになっているのよ。それに梅妃様のご実家の黄家が参加するらしいから、我が連家も参加しないわけにはいかないわ。ただ、黄家の当主は刑部尚書であられる黄連伯(おうれんはく)様よ。部下も力自慢が揃っていて、このままでは優勝する可能性が高いわ。このままでは終わった後にまた『蘭妃様のところはあのようなもので護衛が住むなんて、随分と平和な場所にお住まいなのですね』って言われてしまうわ」
蘭妃は梅妃のものまねをするように、扇を口元に当てて嫌みを言う。その後、悔しげに口元を歪ませると、持っていたお触れの紙を取り出した。
「これよ! 見て!」
玲燕はそのお触れの紙を見る。そこにはたしかに、『最も重い重りを持ち上げた者を押した家門には褒美をつかわす』と書かれていた。
玲燕は遠い目をする。
(あのふたり、何考えているの!)
酒の席での戯言だ。
勝負するにしても、ただの武官同士の個人的な勝負にすればいいものを。家を巻き込んだ勝負などにすれば、各家門が色めき立ってこうなるのは目に見えているのに。
そして、恐らく蘭妃が梅妃に勝ちたいと画策することを予想した上で、潤王は玲燕のことを蘭妃に吹き込んだのだろう。梅妃の実家である黄家の当主──黄連伯は現在、刑部尚書、すなわち警察のトップだ。蘭妃の言うとおり、力自慢の者も多いだろう。
半ば二人まとめて罵倒したい気持ちに駆られたが、玲燕は一切それを表に出さずににこりと微笑む。
「そうですか。蘭妃様のお望みは、梅妃様の生家であられる黄家の優勝阻止でよろしいですね?」
「ええ、そうよ。そのために、あなたに知恵を借りられないかと思って。私の実家は大明から距離があるから、領地一の力持ちを連れてくるのは時間的に無理なの。だから、二週間で我が家の大明の屋敷で雇っている衛士を強くしてほしいの」
玲燕は苦笑する。二カ月ならまだしも、二週間で持ち上げられる物の重さを飛躍的に伸ばすなど、不可能だ。
「残念ながら、それは無理です」
「……そう。あなたをもってしても無理なのね」
蘭妃はあからさまにがっかりしたような顔をする。
「しかし、その勝負には私が参戦しましょう」
「菊妃様が? 甘家が出場するってこと?」
蘭妃は目を丸くして興味深げに身を乗り出した。
後宮入りにあたり、玲燕は表向きは『天佑にゆかりの者』ということになっている。なので、蘭妃は玲燕の『私が参戦しましょう』という言葉を『甘家の参加』と考えたのだろう。
「ええ、そうです。ところで、勝負の内容は『誰が一番重い重りを持ち上げられるか』で間違いないですね?」
玲燕は蘭妃に念押しする。
「そうよ」
蘭妃は玲燕に見せるように、もう一度先ほどの案内を差し出す。
「かしこまりました。では、黄家の優勝阻止はお任せ下さい。このお触れは少しの間お借りしても?」
「構わないわ」
蘭妃は頷く。
玲燕はお触れの紙を蘭妃から受け取ると、それを懐にしまった。
「蘭妃様はよく金と鍍金の違いをご存じでしたね。蘭妃様のご実家は、冶金産業に関わっているのですか?」
近年、冶金産業に力を入れる貴族がその収益から巨額の富を得ているのは有名な話だ。蘭妃の実家である連家が出資していたとしてもおかしくはない。
「ええ、そうよ。あとは、梅妃様のところも」
蘭妃は梅妃とのやりとりを思い出したのか、嫌そうに顔を顰める。
「そうですか。ありがとうございます」
玲燕は頷く。
(……大きな収穫ね)
冶金産業に関わっているならば、錬金術師と懇意にしている可能性が高い。鬼火を偽装するために使われた方法も知っていたかもしれない。
「ところで蘭妃様。先ほど梅妃様が体調を崩されていると仰っていましたが、そうなのですか?」
「知らないけど、最近梅園殿を頻繁に医官が出入りしているのを目撃したって侍女達が言っていたわ」
蘭妃は両手を挙げ、肩を竦めて見せる。
「へえ……」
梅妃の体調については、天佑からは何も聞いていない。
(季節の変わり目の風邪かしら?)
段々と深まる秋は、間もなく冬へと変わる。朝晩は特に冷えるようになってきたので、風邪を引いたとしても不思議はない。
◇ ◇ ◇
地方で働く官吏達の異動をどうするかについての書類を確認していると、執務机をバシンと叩く音がした。
「天佑様! どういうことでございますか」
そこには、両手を執務机について頬を上気させる玲燕がいた。官吏姿に男装しており、片手には何かが書かれた紙を握りしめている。
「玲燕か。ちょうど今日か明日辺り会いに行こうと思っていたからちょうどよかった。随分と後宮を抜け出すのが上手くなったな?」
玲燕が着ている服は、以前天佑が渡したものだ。自分で着替え、秘密通路を通って抜け出してきたのだろう。
「そんなことより、どういうことです!」
玲燕は先ほどと同じ言葉を繰り返す。
「どういうことって、何が?」
「何が、ではございません。本日、蘭妃様に呼ばれました。天佑様は理由を知っておりますね?」
「ああ。それ」
天佑は口の端を上げる。
「まあまあ、そう怒るな。目論見通り、怪しき人間に一気に会えるぞ」
「そのために、こんな勝負事を持ちかけたのですか?」
玲燕は息をつく。
玲燕は初めて官吏の姿に変装して後宮を抜け出して以降、度々変装しては天佑の部下として有力貴族達に接触を試みた。ただ、一介の官吏では交わせる会話に限界があり、多くの人と会うことは困難だったのは事実だ。
「ああ、そうだ。これが手っ取り早い。大会の日は玲燕を含めた五人の妃も特別に鑑賞を許す予定だ。臣下達の人間関係を知るよい機会だろう?」
「まあ、それはそうでございますが」
玲燕はふてくされながらも、前傾にしていた体を起こす。
天佑の言うとおり、期せずして後宮の妃のひとりから呼び出されて、自然に顔つなぎをすることができた。それに、このような勝負事では普段の人間関係が自ずと現れる。
「それで、蘭妃には何か助言してやったのか?」
「私がその勝負に参戦すると申し上げました」
「は?」
その回答は天佑にとって予想外だったようだ。
先ほどまでの涼しい顔が一転して、目を丸くしている。
その反応を見て、玲燕は溜飲が下がるのを感じた。秘密裏に力試し大会などを企画して玲燕を驚かした意趣返しだ。
玲燕はずいっとお触れの紙を天佑の顔に突きつける。