「ああ、栄祐様。いらっしゃい」
玲燕は顔を上げる。
「準備は整っております。こちらへどうぞ」
立ち上がった玲燕は、菊花殿の裏にある庭へと天佑を案内する。秘密通路に繋がる灯籠もある庭は、真っ暗な闇に包まれていた。
「よい風が吹いておりますね。よかった」
「ああ。少し肌寒いほどだ」
何が『よかった』なのだろうと不思議に思ったものの、天佑は相づちを打つ。
深まる秋の夜、日によっては驚くほど寒くなる。風が木々を揺らす、ざわざわとした音が聞こえてきた。
「それで、残る鬼火の謎も解けたというのは?」
「はい。それでは、お見せしますね」
玲燕が手に持っていた物に、灯籠から火を移す。それは、いつぞやに見た鬼火と同じような色をしている。
「今からこの火を、空に飛ばします」
玲燕はそう言った次の瞬間、鬼火が空高く舞い上がった。そして、空の一カ所でゆらゆらと揺れる。
「これは一体?」
天佑は呆けたように、上空を見上げる。
「原理がわかれば、極めて単純なことでした。これは、黒い凧を使っているのです」
「黒い凧?」
「はい」
玲燕は頷く。
「ゆらゆらと揺れる鬼火は、流れるように移動する鬼火と同じく水辺で見られましたが、違うこともありました」
「違うこととは?」
「ゆらゆらと揺れる鬼火の際は、いつも簡単には鬼火の方向に近づけない構造の場所で見られていたのです。ほら、天佑様が連れて行ってくれた皇城の場所もそうだったではありませんか。つまり、ゆらゆらと揺れる鬼火の下にはいつも凧の操者がいたのです。そのため、近づかれると人がやっていると気付かれてしまうため、そのような場所にしていたのです」
玲燕からそう指摘され、天佑は鬼火を見た現場のことを思い出す。確かに、どの場所も近くに橋がなく、鬼火に近づけない構造をしていた。
「相変わらず、見事な謎解きだな」
「ありがとうございます」
天佑が感嘆の声を漏らし手を叩くと、玲燕は嬉しそうにはにかむ。
「天佑様と猫に驚かされたときに解決の糸口を得ました。凧を揚げたタイミングで鬼火の火が消えてしまわないように調整するのが手間取って、時間がかかってしまいました」
「それにしても見事だ。なにせ、皇都の錬金術師は皆お手上げだと言ったのだから」
天佑は重ねて玲燕を褒め称える。
「鬼火を起こしていた方法がわかったところで、残るは犯人捜しだな」
ようやくゆらゆらと揺れる鬼火の謎が解け、天佑は胸が高鳴るのを感じた。
この娘なら、本当に鬼火の謎を全て解決してくれるのではないか。そう思わずにはいられない。
「ただ、少し不思議なことがあって……。どうして犯人は、わざわざふたつの方法で鬼火を起こしたのでしょう?」
「特に意味はないだろう」
「そうでしょうか。なら、いいのですが」
玲燕は解せないと言いたげに、呟く。
先ほどまで吹いていた風がなくなり、凧が地面に落ちると同時に鬼火もかき消えた。
◆ 第四章 真相
廊下を歩きながら、玲燕は身に覚えのない呼び出しに困惑していた。一度も交流したことがない蘭妃が、玲燕に会いたいと言っているというのだ。
「一体何の用かしら?」
「さあ? 私にはわかりません」
言付けを預かった鈴々に聞いても、首を傾げるだけだ。
蘭妃がいる香蘭殿(こうらんでん)に向かう最中、長い回廊を歩きながら理由を考える。
しかし、一切思い当たることがない。
香蘭殿の手前には、美しく手入れのされた庭園が見えた。
木々の向こうにある大きな池には、鯉が悠然と泳いでいる。そして、池の中央にある小島には阿(あずまや)があり、その小島に渡るための橋があった。
(あまりこちらには来たことがなかったけど……。後宮は、皇帝と皇妃様の私的な空間だけあってどこも美しいわね)
蘭妃が住んでいるのは香蘭殿はこの後宮の中でも大きな殿舎だ。蘭妃の父親は国内有数の大貴族──連家の当主であり、この後宮内の妃としては最も実家の身分が高い。そのため、殿舎もよい場所をあてがわれているのだ。
たった数人のためだけに整備されたその美しい庭園を通り過ぎ、玲燕は蘭妃がいる香蘭殿へと向かった。
「恐れ入ります。蘭妃様のお呼び出しにより、菊妃様が参ったとお伝え下さい」
香蘭殿の前で、鈴々が女官に声を掛ける。襦裙姿の宮女の襟元には蘭の花が刺繍されていた。
「まあまあ、菊妃様でいらっしゃいますか? お待ちしておりました」
本日玲燕がここに来ることは既に女官達に周知されていたようで、すぐに建物の奥へと案内された。
後宮の中にあるいくつもの殿舎はそれぞれに門と塀があり、ひとつの屋敷のような造りをしている。香蘭宮も門を抜けるとすぐに母屋があった。女官はその母屋に入ることなく、ぐるりと庭を回って母屋の裏側、即ち門とは反対側に向かった。玲燕は黙ってその後ろをついてゆく。
「蘭妃様。菊妃様がいらっしゃいましたよ」
女官がひとりの女性に声をかける。縁側に腰掛けて庭の景色を眺めていたその女性──香蘭殿の主である蘭妃はゆったりとした動作で顔をこちらに向けた。
まだ十代のなめらかな頬はほのかに赤みを帯び、やや上がり目の目元からは気が強そうな印象を受ける。
蘭妃は鮮やかな赤の長襦を身に纏っていた。黒く艶やかな髪は緩やかに結い上げられ、後ろに垂れていた。頭上には金細工の髪飾りが輝いている。
「はじめまして、蘭妃様。私は菊妃でございます。お呼びでしょうか?」
「ええ、呼んだわ。ねえ、この中に本物の金と鍍金が混じってしまって困っているの。どれが本物の金か調べられる?」
「は?」
蘭妃は挨拶もそこそこに、黒い漆喰で塗られた盆を差し出す。
「……本物の金と鍍金?」
玲燕は面食らった。
鍍金とは、金ではない金属に金の薄膜を被膜することにより、本物の金のように見せる技術だ。一見すると本物の金と鍍金は見分けが付かないが、中身は金ではないので価値は全く違う。
蘭妃の差し出した盆には四つ、髪に飾る装飾品が置かれていた。一見するとどれも金色に輝いており、本物の金に見える。
「触ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
蘭妃が頷いたので、玲燕は盆から髪飾りを一つひとつ、順番に手に取る。どれも細かな工芸が施こされており、かなり高価な品だろうと予想が付いた。
(見た目の色合いはどれも同じね)
一般的には金と鍍金を見比べると僅かに色合いが異なる。しかし、これらは見る限り、どれも同じに見えた。それだけ高い技術を持って鍍金されたということだ。
(削ればすぐわかるけど……)
鍍金はある金属の表面に金の被膜を張っているだけなので、少し削ればすぐにどれが鍍金わかる。しかし、蘭妃の持ち物を傷を付けるのはまずいだろう。
となると、次に考えられる鑑定方法は金属の比重を比較して誤差を鑑定する手法だ。
しかし、この方法の場合比重を算出するために体積を知る必要があり、体積を計るには水に沈める必要がある。もしも鍍金が上手くできていない部分があれば、そこから内部が錆びてしまいかねない。高価な品なので、それをするのは気が引けた。
(では──)
玲燕は懐を探り、常に持ち歩いている小箱を取り出す。
「それは何?」
蘭妃は興味深げに、玲燕の手元を見る。
「羅針盤です」
「羅針盤? 方角を計るのかしら?」
蘭妃は小首を傾げる。扇子で口元を隠しながらも、視線は羅針盤に定まっていた。
一方の玲燕もじっと羅針盤の指す方向に注目した。針が左右に回転し、やがて一方向を指す。
「わかりました」
玲燕は羅針盤から視線を上げ、蘭妃を見つめる。蘭妃は目を眇め、まっすぐに玲燕のことを見返してきた。
「鍍金の品ですが、こちらでございます」
玲燕は四つの中から、ひとつを指さす。
すると、蘭妃の少し釣り気味の目が大きく見開いた。
「あら、すごいわ。どうしてわかるの?」
「鍍金とは、別の金属の表面に金の薄膜を被膜させる技術です。金は磁石に反応しませんが、地の金属は恐らく鉄ではないかと思ったのです。試しに羅針盤を用いたところ、見事に反応いたしました。でも蘭妃様、あなた様は最初からどれが鍍金の品かをご存じでしたよね?」
玲燕の問いかけに、蘭妃はくすくすと笑い出した。
「あらばれた?」
蘭妃はペロリと舌を出す。
「試すようなまねをしてごめんなさい。陛下から、とても広い知識を持つ面白い錬金術妃だから、試してみるといいと聞いていたの。本当ね」
「さようでございますか」
玲燕はこめかみを指で押さえる。
あの皇帝は、相変わらず何を妃達に吹き込んでいるのか。
「今日呼んだのはね、今度の勝負でなんとか梅妃様の優勝を回避する方法はないかと知恵を借りたくて」
玲燕は首を傾げる。