青から連想するイメージは海、空、宝石――。私の中では、どれも光輝くものばかり。魅惑の青いラーメンを作っているラーメン店の店長は蒼井さんというらしいが、下の名前は不明だ。内気で世間話の苦手な私は聞く勇気すら持てない。蒼井さんの笑顔は青空のイメージそのもので、屈託のない微笑みに心くすぐられる。
ラーメン屋店主にしては珍しい雰囲気を纏った店長の蒼井さん。まるでカフェのような店構え。蒼井さんはいつも笑顔で爽やかだ。創作ラーメンに熱心で、見た目の美しさ、珍しさと美味しさを両立させる人だ。初めてこの店に足を踏み入れ、メニューと店長とラーメンの味の虜になった。蒼井さんの店と人柄と料理の腕全てにほれ込んだというのが本音だ。つまり、蒼井さんに現在進行で恋していると自覚はある。
しかし、実際のところ、蒼井さんとは世間話は皆無でオーダーをとる時、会計時にのみ会話とも呼べない会話を取り交わす。それが目当てで通っているなんて、言えるはずもない。
そして、私がこの店に通うのは、蒼井さんが魅力的であることに尽きる。もしかしたら仲良くなれるかもしれないというチャンスを狙っているということは、秘密事項だ。ただ、見ているだけでいい。相手が自分という存在を認識してくれるだけでいい。常連だが、話すこともできない臆病者でもいい。そばにいたいと願いながら足しげく通う。
会計時に一瞬触れた指と指。その瞬間一気に体の中から熱い何かがほとばしる。頬も密かに火照る。しかし、それはこちらだけのようで、蒼井さんにその気配は感じられない。もしかして、表に出さないだけで本当はどきりとしてくれていないだろうかという淡い期待を持つが、心を読めるわけでもなく、一人の客としてしか扱われていないことはわかっている。私には特別な魅力もなにもないことは重々承知だ。目を合わすこともできないなんて、こんなにも近くにいるのに。上を向けばきっと目が合う。だから、手をみつめることしかできない。見た目の特徴もない自分のことなんてさほど印象の残るはずはない。
澄んだ青色のラーメンが存在するラーメンコバルトという店は実に洒落ている。青色は食欲を抑制するため、食べ物の色に使われることは少ない。しかし、蒼井さんはあえて、青色を使っている。チャレンジャーなのか、採算がとれているのかはわからないが、注文は圧倒的に普通のラーメンが大半だ。常連の私が言うのだから間違いはない。青いラーメンは話題性というだけで、やはり、無難を選ぶ客が多いという事実。ここ1週間見ていた限り、客も私ももっぱら普通のラーメンを注文するのが実情だ。
一度だけ、見たことがある青いスープのラーメンはまるで太陽が注ぎ、きらめく海のように美しかった。反面、はかなくもある。なぜならば、ラーメンは伸びる前が一番美味しい。いち早く食べられてなくなってしまうのがラーメンという食材だ。はかないというのは、麺が早くなくなってしまうからと勝手に思っているだけだ。ラーメンに対して、はかないなんて思うのは自分だけかもしれない。花の命は短いというけれど、ラーメンの賞味期限も結構短い。
魅惑的な蒼井さんは魅惑的な一品をこの世に生み出す。
常に研究を重ね、挑戦し続ける職人気質な蒼井さんを密かに尊敬して慕っていることは、誰にも話していない。
ずっと慕っている店と蒼井さんがいるだけでいい。
いつも、麺に向き合い、スープの研究をしてひたむきな姿を今日も見つめる。
あくまで迷惑にならない程度に――。気づかれない程度に。
華奢ながら豪快な麺さばきは正直カッコいい。
まるでダンスでも踊るかのように麺をさばく。
彼は私のことなんてこれっぽっちも見ていない。
視線の先にあるのはラーメンだ。それ以上でもそれ以下でもない。
このラーメン店には、他にも禁断のラーメンが何種類かある。禁断というと語弊があるかもしれないが、美しい色合いのスープの変わり種ラーメンだ。どれもが、フルーツなどの変わった味がする麺だ。そういった変わったラーメンも気になっていたが、食べることが怖いような気がしていて、未だにチャレンジできていない。珍しいので、マスコミやネットなどで紹介されることも多いが、実際に食べている人をあまり見たことはない。たまに変わり種ラーメン目当てでやってくるけれど、それはネットにあげるためだとかそういう趣旨の人が多い。つまり、自己顕示欲か好奇心のために食べるということだろう。
ただ、一人で今日もラーメン屋に通う。
話しかけることもなく、ただ席に座り、普通のラーメンを注文する。
普通のラーメンから抜け出せない私。
いつもそうだ。洋服でも髪型でも何でも無難を選ぶ。
目立つことは嫌いだし、人目も気になる。
個性を出したいとも思えない。
映える写真を投稿したいとも思えない。
そんな私だから、珍しいラーメンを注文する勇気がない。
もし、あまり味が好みではなく、残してしまったら、蒼井さんに失礼だと思ってしまう。
もちろんいつも頼む醤油ラーメンは当たりの味で絶品だからまずいはずなんてないとは思っている。でも、新しいことに挑戦する勇気がないのは、私の性格だ。
「お客さん、今日も醤油ラーメンでいいですか?」
「はい。いつもの醤油ラーメンで」
「飽きませんか? いつも同じでしょ」
私のことを覚えていてくれたのか。
そんな少しのことがうれしい。
「煮たまごを1つサービスしておきますね」
配慮ができる大人の男って感じだな。
サービス精神に心がくすぐられる。
「ありがとうございます」
かろうじて言葉を発する。
私は無難なものが好きなので、冒険できずに今日も定番の醤油ラーメンを注文しようと思っていた。普通のラーメンの種類は他店同様もちろんお店にはたくさんある。
ラーメンコバルトに見慣れない美しい女性が店内に入ってきた。
美しいけれど飾らない女性はスニーカーを履いているにもかかわらず背はスラリと高く、ウエストは細くくびれていた。髪の毛は長いけれど、まとめて髪留めをつけている。私服のセンスもいい。
彼女は最近売れっ子のアイドル上がりの女優だ。芸能人に接するのは初めてだ。本当はサインや握手を求めたいところだが、そんなことをしたら失礼な気がして、気が付かないふりをする。実際街中で有名人にあっても気づかないふりをするパターンはわりとありそうだ。
子供の学校の保護者に有名人がいたとしてもきっとみんな本人の前で騒ぎ立てないだろう。本人も黄色い声をかけられるよりは、みてみぬふりをするほうがいいのだろう。客の一人として見守る。
「注文はどうしますか?」
蒼井さんはタイミングを見計らって注文を取る。
芸能関係に疎いらしく、蒼井さんの様子はいつも通りだ。
美人な客だろうと中年男性だろうと扱いは変わらない。
「おなかがすいたので、がっつりで」
意外なことを言う。女優とラーメンって意外とイメージが合わない。
「ラーメンが食べたかったの。食事制限があって、あまりがっつりしたものは食べられなかったので」
食べるぞという意欲が感じられる。
「じゃああっさりした青い海のりんごラーメンはいかがですか? ヘルシーで低カロリーな一品ですよ」
相変わらず爽やかな蒼井さん。
海辺のそよ風に頬を撫でられたような気がする。
恋心は大げさだ。
「噂の青いスープのラーメンでしょ。気になっていたのよね」
女優はとてもうれしそうに微笑む。やはり美しい。
「このラーメン、りんごの果汁を練りこんだ麺に醤油スープをベースにして、りんご果汁が入っています。本物のりんごが上にのっています。スープは鮮やかなブルー。これは、夏の青い海をイメージしたものです」
蒼井さんはラーメンについて説明をしていた。こんな感じで自然に私も彼と会話ができたらいいのに――。頭でわかっていても行動できず、見ているしかできない自分がいた。自分にないものをこの女優さんはたくさん持っている。まずは話す勇気が私にはない。美しさもおしゃれのセンスもこの人と比べたら天と地くらいの差があることは歴然だ。どの男性でも、私を選ぶことはない。
「名付けて青い海のりんごラーメン。これを食べると病みつきになってしまう恐ろしい一品ですよ。毒入りではないですが、中毒性があるので気を付けてください」
噂の澄んだブルーのラーメンについて、面白おかしく解説する。これは、正直挑戦心がないと手を出せそうもない。私は無理だと思う。
「まぁ面白い、いただくわ」
この女優さんは顔に似合わずチャレンジャーで珍味好きな変わり者なのかもしれない。私が感じたその予感は当たることになるのだが――
「ラーメン出来上がりました」
「面白い!! こんな素敵なラーメンに出会えるなんて。いただきます」
女優は躊躇することなく、ズズズと音を鳴らして美味しそうに食べる。勇気があるな。チャレンジャーだ。美味しいのかどうか表情をみる。美味しそうだ。演技ではなさそうだ。今度挑戦してみようかな。そう思わせる笑顔だった。女優は勢いよく吸い込むようにぐいぐい麺をすする。あまり気取らない人だという印象を受けた。
青いラーメンはここでしか食べられそうもない一品で、りんごを切ったものが上に乗っている。冷やし中華で言う、すいかが乗っているような感じだ。たしかに冷やし中華の上のすいかは中華に合う。ラーメンの麺の中にりんご果汁が入っているとはなんと手が込んでいるのだろう。そのさっぱり感があっさりとした味わいを醸し出すのかもしれない。
「ベースは醤油なのね。一見、合いそうもないりんごとラーメンという組み合わせが素敵だわね」
「一見合わないと思われるものでも、相性がばっちりというパターンもあるのですよ」
「あなた、面白いわね。他にどんなメニューがあるの?」
「変わり種だと、魅惑のレモンラーメンに小豆たっぷりのおしるこラーメン、草原をイメージした麺にほうれん草を練り込んだ緑のスープが鮮やかな森林ラーメン、あとは、ピンクのスープの魅惑のメルヘンラーメンっていうのもあります。フルーツが練り込まれていて、女性に人気なんですよ。メニューを考えるときはモチーフをまずイメージして考えるんです。たとえば、りんごラーメンは白雪姫をイメージしていたり、ですかね」
「面白いじゃない。また来るわ」
「チャレンジャーなお客さんだな。結構この奇抜な色を見て、尻込みするパターンが多いんだけどね。だから、この店は客の好みに左右される。好き嫌いがわかれるから、店は客に選ばれるんだ」
「おしゃれなラーメン、個性的なラーメンはこれからの時代に合っていると思うの。食べ物の世界も多様性でしょ」
「お客さん、話がわかるね」
「実は、ここのお店の特集をテレビで見て、あなたのことを知ったの。メニューの考案で苦労した話やお客さんの反応を見ながら改良を重ねているという特集を見てここに来たのよ」
「そうなんですか。俺、テレビって全く見ないから。実は取材を受けた放送すらも見てないんですよ」
「ラーメンのことばっかりなのね。じゃあ、私が何の仕事しているかもわからない?」
「すみません。ちょっとわかんないですね。マスコミ関係の方ですかね?」
「……そんなところよ。あなた、独身でしょ。結婚していないだろうし、交際中の彼女もいないでしょ。あなたは、ラーメン職人で俗にいうラーメン馬鹿だと思うから」
クスリと女優は笑う。
「まぁ、あなたの言う通り妻も彼女もいないです。この通り、ラーメン馬鹿なので」
困ったように自分を指さし店主は笑う。きっと自分が美形なことに気づいていないんだ。もったいないなぁ。自意識過剰な男性もそれはそれで好きにはなれないけれど。
テレビを見て、店長目当てで来た客も多いとSNSで話題になっていた。かくいう私もその一人だ。通学している大学の近くにあるということもあり、海の見えるこの店は私の居場所のひとつであり、生活の一部となった。
「あなたの職人気質な様子をテレビで知って、ひとめぼれしたって今日は言いに来たんだけど。ラーメンにかけて自己紹介してみるね。青い海から来た人魚姫またはりんごラーメン好きな白雪姫だと思ってもらってもいいわよ」
「お客さん、またまたご冗談を」
少し困った様子の店長。頬が赤い。
もしかして、意識しているのかな?
「私、こういう仕事をしている者よ」
写真集とドラマの撮影インタビューの記事を持参で自己紹介する。
「これって……女優さん? 芸能人なんですか?」
驚いた店主は少々腰を抜かしそうになる。
私の方がずっと彼のことを前から好きだったし、お店の常連なのに、今日初めて来た人に取られちゃうの? 目の前で両思いになってしまったらどうしよう。いくら女優だからって契約違反だよ。でも、蒼井さんは女優だからといって選別するような人じゃないと思う。
今までの私は、彼に話しかけることすらできないで、ただ店にいただけだ。ラーメン馬鹿に想いが通じるわけがない。あれくらいストレートに想いをぶつけられたら――私も彼に想いをぶつけてみたらどうなる? 多分、蒼井さんは素直で飾らない人。そして、外見で人を選ぶわけじゃないと思う。でも、あれくらい強引かつ度胸がなければ、彼と恋愛に発展するなんて無謀なような気がする。
彼はラーメン馬鹿。つまり、恋愛や世間のトレンドに超鈍感に違いない。
「たしかに、お客さんはどんな味のラーメンでも味見してくれそうだ。俺、無難な味ばっかり選ぶ人間より面白い。俺自体が珍味な人間だからな。でも、すぐ付き合うとかそういうのはナシだ。ちゃんと知ってからが筋ってもんだ」
「あなた、好きな人がいるの?」
少し戸惑う蒼井さん。この反応は好きな人がいるのだろう。
わかりやすい人だな。全身の筋肉が引力に逆らえないくらい脱力する。
彼の戸惑いにこちらが戸惑う。がっかりして、奈落の底に落ちた気分だ。
私は今現在失恋した。自覚はあるけれど、まだ受け入れる段階には入っていない。
「別に。でも、気になる人はいるよ。青いラーメンはその人のイメージなんだ」
気になる人がいるんだ。全然しゃべったこともないから、気づかなかった。そもそもプライベートも知らない。恋人がいてもおかしくない。なのに、何も知らずにただ毎日通うなんて馬鹿みたい。
なぜか言葉が溢れ出た。いつもは絶対に注文しないラーメンを今日こそ注文しようと決意した。これは、自分が少し変わった瞬間だと思う。今日は、注文しようと思ったら女優がやってきたので、注文しそびれていた。まだ注文していない。それに、挑戦しようかと心のどこかで思っていたのも本当だ。
「私も、青いラーメンをお願いします」
思ったよりも大きな声が響いた。
「お客さん、いいんですか?」
驚いた様子の蒼井さん。
「もちろん」
勇気を出す。負けてはいられない。
「青いラーメン、一丁上がり。サービスでチャーシュー1枚乗せておきました」
サービス精神旺盛だなぁ。
私が常連だから、きっと親切にしてくれているのだろう。
「あちらは?」
「常連のお客さんだよ」
「名前は?」
「知らないけど」
彼は私に関して無関心。名前を聞いてくることはないし、何も詮索してこない。だから、顔見知りで永遠に停止状態だ。
こちらに向かって女優は名前を聞いてくる。
「あなた、常連さんなの? 名前は?」
「私の名前は真城白雪です」
「きれいな名前ね。まさに白雪姫。毒入りりんごを食べたら死んでしまうから、気をつけないと」
「でも、私は白雪姫じゃないから青いりんごラーメンは食べられますよ。それに、毒入りりんごなら、誰が食べても死んでしまいますよ」
私の舌は思ったよりも饒舌で、言葉が巧みに生まれてくる。
二人きりの時は何も話せなかったのに、誰かが間にいるだけで、言葉をどんどん発することができている。
「いやあ、驚いた。一生お客さんがこのラーメンを食べることはないと思ってましたよ」
嬉しそうにしている蒼井さんは、青いラーメン推しなのだろう。
「なんでですか?」
「毎日来るのに、全然興味がなさそうだったし。いつも醤油。たまに味噌ですしね」
客のことはちゃんと把握しているんだな。まさに、ラーメン屋の鏡だ。
「私、チャレンジ精神が少ないんですよね。でも、今日は食べてみたくなったんです」
「それは嬉しいです」
本当にうれしそうで、全開満面の笑みだ。
一口食べてみる。
「あれ? 全然癖がない」
思っていたような奇抜な味じゃない。
見た目こそ派手だけれど、味は普通だ。見た目とのギャップに驚く。
あっさりした美しく食べやすいラーメンを開発したかったのかな。
「見た目と中身のギャップを追求したのがこの青い海のラーメンなんですよ」
「私は次はピンクのラーメンを食べに来るわよ」
女優も相変わらず蒼井さんを推している。
しかもチャレンジャーだ。
「それはありがたい。でも、いくらお客さんでも、恋愛として個人的に付き合うというのは別だよ」
この人、女優に対して断っている。こんなことってあるの?
贅沢極まりない。
というか、理想が高いのかもしれない。
「ねぇ、好きな人ってどんな人?」
初対面の人にぐいぐいいくなぁ。呆れて見ていると、恥ずかしそうにちらりと見られた。客に聞かれるのは恥ずかしいのかも。
「きわどいラーメンを食べようと思ってもなかなか躊躇して食べられない人。でも、本当は食べたいと何度も足を運んでくれる人」
私の他にもそういう女性はたくさんいそうだ。
何度も同じ女性客が食べに来ているのは目撃済みだ。
若い女性客が多いのも特徴だ。
蒼井さん狙いなのは見え見えだ。
「照れ屋さんが好きなのね」
ふてくされた様子の女優。
照れながら話す蒼井さんは少年みたいだ。
あの蒼井さんが惚れ込んだのだから、相当きれいな人だとか話が弾む人なのだろうか。
私が来店した時に、そんなに話をしている客もいない。
でも、私以外に彼のために来店している人がたくさんいることに共感だ。ファンクラブの会員同士みたいな感じだろうか。
ラーメンは美味しくて、思った以上にあっという間にたいらげてしまった。
「白雪ちゃん、青いラーメンおいしいよね」
女優が話しかけてくる。
「青いラーメンも悪くないだろ?」
蒼井さんも話しかけてくる。
「はい。すごくおいしくて、見た目と想像していた味が全然違うなぁって」
「青い海に立つ女性像をイメージして創作したんだ」
「たしかに、そう言われてみるとそんな味がします」
女優さんのおかげで話ができた。
今日は収穫だ。
「あなた、もしかして店長目当てで通っていたりして」
図星だ。口が金魚みたいにただぱくぱくして、言葉は出ない。
頬が熱くなる。あたふたしているのは見抜かれているだろう。
「いつか、絶対、お客さんみたいな保守的な人にも食べてもらいたいって思ってたから、今日はすげーうれしい」
嬉しそうに笑う。もっと早く注文すればよかった。
「今度、また色々なラーメンを注文します」
「また、来てくれたら、サービスするからさ」
「蒼井さんは好きな人とお付き合いできそうな感じなんですか?」
私ってば何を聞いているのだろう。
どこからそんな勇気が溢れたのだろうか。
「難しいかもしれない。まだ、名前も知らない。でも、今日、はじめて青いラーメンを食べてくれたから、それだけで俺は嬉しいからさ」
「もしかして……好きな人って」
女優はいたずらな微笑みで私と蒼井さんを見つめる。
「別に、変な意味じゃないけど、ずっと話してみたいなって思っていたんだ。でも、話すきっかけがつかめなくて。彼氏がいるかもしれないし。好きな人がいるかもしれない」
「私、好きな人がいます」
「そっか……」
残念そうな蒼井さん。私のことで一喜一憂してくれた?
「私が好きな人は青い空や青い海みたいな世界にひとつだけの青いラーメンを作る人です。ちゃんと話したこともないけれど、ずっと慕っていました」
女優は驚いた様子で、
「あとは、両思いとなった二人でゆっくり話したら。ちょうど店内は客もいないし。空いている時間だしね」
「この後、夕方まで休憩時間で一旦店を閉めるから。よかったら、少し、話をしませんか?」
「……はい」
机の上には青いラーメン。窓の外には青い空と青い海が広がっていた。
ラーメン屋店主にしては珍しい雰囲気を纏った店長の蒼井さん。まるでカフェのような店構え。蒼井さんはいつも笑顔で爽やかだ。創作ラーメンに熱心で、見た目の美しさ、珍しさと美味しさを両立させる人だ。初めてこの店に足を踏み入れ、メニューと店長とラーメンの味の虜になった。蒼井さんの店と人柄と料理の腕全てにほれ込んだというのが本音だ。つまり、蒼井さんに現在進行で恋していると自覚はある。
しかし、実際のところ、蒼井さんとは世間話は皆無でオーダーをとる時、会計時にのみ会話とも呼べない会話を取り交わす。それが目当てで通っているなんて、言えるはずもない。
そして、私がこの店に通うのは、蒼井さんが魅力的であることに尽きる。もしかしたら仲良くなれるかもしれないというチャンスを狙っているということは、秘密事項だ。ただ、見ているだけでいい。相手が自分という存在を認識してくれるだけでいい。常連だが、話すこともできない臆病者でもいい。そばにいたいと願いながら足しげく通う。
会計時に一瞬触れた指と指。その瞬間一気に体の中から熱い何かがほとばしる。頬も密かに火照る。しかし、それはこちらだけのようで、蒼井さんにその気配は感じられない。もしかして、表に出さないだけで本当はどきりとしてくれていないだろうかという淡い期待を持つが、心を読めるわけでもなく、一人の客としてしか扱われていないことはわかっている。私には特別な魅力もなにもないことは重々承知だ。目を合わすこともできないなんて、こんなにも近くにいるのに。上を向けばきっと目が合う。だから、手をみつめることしかできない。見た目の特徴もない自分のことなんてさほど印象の残るはずはない。
澄んだ青色のラーメンが存在するラーメンコバルトという店は実に洒落ている。青色は食欲を抑制するため、食べ物の色に使われることは少ない。しかし、蒼井さんはあえて、青色を使っている。チャレンジャーなのか、採算がとれているのかはわからないが、注文は圧倒的に普通のラーメンが大半だ。常連の私が言うのだから間違いはない。青いラーメンは話題性というだけで、やはり、無難を選ぶ客が多いという事実。ここ1週間見ていた限り、客も私ももっぱら普通のラーメンを注文するのが実情だ。
一度だけ、見たことがある青いスープのラーメンはまるで太陽が注ぎ、きらめく海のように美しかった。反面、はかなくもある。なぜならば、ラーメンは伸びる前が一番美味しい。いち早く食べられてなくなってしまうのがラーメンという食材だ。はかないというのは、麺が早くなくなってしまうからと勝手に思っているだけだ。ラーメンに対して、はかないなんて思うのは自分だけかもしれない。花の命は短いというけれど、ラーメンの賞味期限も結構短い。
魅惑的な蒼井さんは魅惑的な一品をこの世に生み出す。
常に研究を重ね、挑戦し続ける職人気質な蒼井さんを密かに尊敬して慕っていることは、誰にも話していない。
ずっと慕っている店と蒼井さんがいるだけでいい。
いつも、麺に向き合い、スープの研究をしてひたむきな姿を今日も見つめる。
あくまで迷惑にならない程度に――。気づかれない程度に。
華奢ながら豪快な麺さばきは正直カッコいい。
まるでダンスでも踊るかのように麺をさばく。
彼は私のことなんてこれっぽっちも見ていない。
視線の先にあるのはラーメンだ。それ以上でもそれ以下でもない。
このラーメン店には、他にも禁断のラーメンが何種類かある。禁断というと語弊があるかもしれないが、美しい色合いのスープの変わり種ラーメンだ。どれもが、フルーツなどの変わった味がする麺だ。そういった変わったラーメンも気になっていたが、食べることが怖いような気がしていて、未だにチャレンジできていない。珍しいので、マスコミやネットなどで紹介されることも多いが、実際に食べている人をあまり見たことはない。たまに変わり種ラーメン目当てでやってくるけれど、それはネットにあげるためだとかそういう趣旨の人が多い。つまり、自己顕示欲か好奇心のために食べるということだろう。
ただ、一人で今日もラーメン屋に通う。
話しかけることもなく、ただ席に座り、普通のラーメンを注文する。
普通のラーメンから抜け出せない私。
いつもそうだ。洋服でも髪型でも何でも無難を選ぶ。
目立つことは嫌いだし、人目も気になる。
個性を出したいとも思えない。
映える写真を投稿したいとも思えない。
そんな私だから、珍しいラーメンを注文する勇気がない。
もし、あまり味が好みではなく、残してしまったら、蒼井さんに失礼だと思ってしまう。
もちろんいつも頼む醤油ラーメンは当たりの味で絶品だからまずいはずなんてないとは思っている。でも、新しいことに挑戦する勇気がないのは、私の性格だ。
「お客さん、今日も醤油ラーメンでいいですか?」
「はい。いつもの醤油ラーメンで」
「飽きませんか? いつも同じでしょ」
私のことを覚えていてくれたのか。
そんな少しのことがうれしい。
「煮たまごを1つサービスしておきますね」
配慮ができる大人の男って感じだな。
サービス精神に心がくすぐられる。
「ありがとうございます」
かろうじて言葉を発する。
私は無難なものが好きなので、冒険できずに今日も定番の醤油ラーメンを注文しようと思っていた。普通のラーメンの種類は他店同様もちろんお店にはたくさんある。
ラーメンコバルトに見慣れない美しい女性が店内に入ってきた。
美しいけれど飾らない女性はスニーカーを履いているにもかかわらず背はスラリと高く、ウエストは細くくびれていた。髪の毛は長いけれど、まとめて髪留めをつけている。私服のセンスもいい。
彼女は最近売れっ子のアイドル上がりの女優だ。芸能人に接するのは初めてだ。本当はサインや握手を求めたいところだが、そんなことをしたら失礼な気がして、気が付かないふりをする。実際街中で有名人にあっても気づかないふりをするパターンはわりとありそうだ。
子供の学校の保護者に有名人がいたとしてもきっとみんな本人の前で騒ぎ立てないだろう。本人も黄色い声をかけられるよりは、みてみぬふりをするほうがいいのだろう。客の一人として見守る。
「注文はどうしますか?」
蒼井さんはタイミングを見計らって注文を取る。
芸能関係に疎いらしく、蒼井さんの様子はいつも通りだ。
美人な客だろうと中年男性だろうと扱いは変わらない。
「おなかがすいたので、がっつりで」
意外なことを言う。女優とラーメンって意外とイメージが合わない。
「ラーメンが食べたかったの。食事制限があって、あまりがっつりしたものは食べられなかったので」
食べるぞという意欲が感じられる。
「じゃああっさりした青い海のりんごラーメンはいかがですか? ヘルシーで低カロリーな一品ですよ」
相変わらず爽やかな蒼井さん。
海辺のそよ風に頬を撫でられたような気がする。
恋心は大げさだ。
「噂の青いスープのラーメンでしょ。気になっていたのよね」
女優はとてもうれしそうに微笑む。やはり美しい。
「このラーメン、りんごの果汁を練りこんだ麺に醤油スープをベースにして、りんご果汁が入っています。本物のりんごが上にのっています。スープは鮮やかなブルー。これは、夏の青い海をイメージしたものです」
蒼井さんはラーメンについて説明をしていた。こんな感じで自然に私も彼と会話ができたらいいのに――。頭でわかっていても行動できず、見ているしかできない自分がいた。自分にないものをこの女優さんはたくさん持っている。まずは話す勇気が私にはない。美しさもおしゃれのセンスもこの人と比べたら天と地くらいの差があることは歴然だ。どの男性でも、私を選ぶことはない。
「名付けて青い海のりんごラーメン。これを食べると病みつきになってしまう恐ろしい一品ですよ。毒入りではないですが、中毒性があるので気を付けてください」
噂の澄んだブルーのラーメンについて、面白おかしく解説する。これは、正直挑戦心がないと手を出せそうもない。私は無理だと思う。
「まぁ面白い、いただくわ」
この女優さんは顔に似合わずチャレンジャーで珍味好きな変わり者なのかもしれない。私が感じたその予感は当たることになるのだが――
「ラーメン出来上がりました」
「面白い!! こんな素敵なラーメンに出会えるなんて。いただきます」
女優は躊躇することなく、ズズズと音を鳴らして美味しそうに食べる。勇気があるな。チャレンジャーだ。美味しいのかどうか表情をみる。美味しそうだ。演技ではなさそうだ。今度挑戦してみようかな。そう思わせる笑顔だった。女優は勢いよく吸い込むようにぐいぐい麺をすする。あまり気取らない人だという印象を受けた。
青いラーメンはここでしか食べられそうもない一品で、りんごを切ったものが上に乗っている。冷やし中華で言う、すいかが乗っているような感じだ。たしかに冷やし中華の上のすいかは中華に合う。ラーメンの麺の中にりんご果汁が入っているとはなんと手が込んでいるのだろう。そのさっぱり感があっさりとした味わいを醸し出すのかもしれない。
「ベースは醤油なのね。一見、合いそうもないりんごとラーメンという組み合わせが素敵だわね」
「一見合わないと思われるものでも、相性がばっちりというパターンもあるのですよ」
「あなた、面白いわね。他にどんなメニューがあるの?」
「変わり種だと、魅惑のレモンラーメンに小豆たっぷりのおしるこラーメン、草原をイメージした麺にほうれん草を練り込んだ緑のスープが鮮やかな森林ラーメン、あとは、ピンクのスープの魅惑のメルヘンラーメンっていうのもあります。フルーツが練り込まれていて、女性に人気なんですよ。メニューを考えるときはモチーフをまずイメージして考えるんです。たとえば、りんごラーメンは白雪姫をイメージしていたり、ですかね」
「面白いじゃない。また来るわ」
「チャレンジャーなお客さんだな。結構この奇抜な色を見て、尻込みするパターンが多いんだけどね。だから、この店は客の好みに左右される。好き嫌いがわかれるから、店は客に選ばれるんだ」
「おしゃれなラーメン、個性的なラーメンはこれからの時代に合っていると思うの。食べ物の世界も多様性でしょ」
「お客さん、話がわかるね」
「実は、ここのお店の特集をテレビで見て、あなたのことを知ったの。メニューの考案で苦労した話やお客さんの反応を見ながら改良を重ねているという特集を見てここに来たのよ」
「そうなんですか。俺、テレビって全く見ないから。実は取材を受けた放送すらも見てないんですよ」
「ラーメンのことばっかりなのね。じゃあ、私が何の仕事しているかもわからない?」
「すみません。ちょっとわかんないですね。マスコミ関係の方ですかね?」
「……そんなところよ。あなた、独身でしょ。結婚していないだろうし、交際中の彼女もいないでしょ。あなたは、ラーメン職人で俗にいうラーメン馬鹿だと思うから」
クスリと女優は笑う。
「まぁ、あなたの言う通り妻も彼女もいないです。この通り、ラーメン馬鹿なので」
困ったように自分を指さし店主は笑う。きっと自分が美形なことに気づいていないんだ。もったいないなぁ。自意識過剰な男性もそれはそれで好きにはなれないけれど。
テレビを見て、店長目当てで来た客も多いとSNSで話題になっていた。かくいう私もその一人だ。通学している大学の近くにあるということもあり、海の見えるこの店は私の居場所のひとつであり、生活の一部となった。
「あなたの職人気質な様子をテレビで知って、ひとめぼれしたって今日は言いに来たんだけど。ラーメンにかけて自己紹介してみるね。青い海から来た人魚姫またはりんごラーメン好きな白雪姫だと思ってもらってもいいわよ」
「お客さん、またまたご冗談を」
少し困った様子の店長。頬が赤い。
もしかして、意識しているのかな?
「私、こういう仕事をしている者よ」
写真集とドラマの撮影インタビューの記事を持参で自己紹介する。
「これって……女優さん? 芸能人なんですか?」
驚いた店主は少々腰を抜かしそうになる。
私の方がずっと彼のことを前から好きだったし、お店の常連なのに、今日初めて来た人に取られちゃうの? 目の前で両思いになってしまったらどうしよう。いくら女優だからって契約違反だよ。でも、蒼井さんは女優だからといって選別するような人じゃないと思う。
今までの私は、彼に話しかけることすらできないで、ただ店にいただけだ。ラーメン馬鹿に想いが通じるわけがない。あれくらいストレートに想いをぶつけられたら――私も彼に想いをぶつけてみたらどうなる? 多分、蒼井さんは素直で飾らない人。そして、外見で人を選ぶわけじゃないと思う。でも、あれくらい強引かつ度胸がなければ、彼と恋愛に発展するなんて無謀なような気がする。
彼はラーメン馬鹿。つまり、恋愛や世間のトレンドに超鈍感に違いない。
「たしかに、お客さんはどんな味のラーメンでも味見してくれそうだ。俺、無難な味ばっかり選ぶ人間より面白い。俺自体が珍味な人間だからな。でも、すぐ付き合うとかそういうのはナシだ。ちゃんと知ってからが筋ってもんだ」
「あなた、好きな人がいるの?」
少し戸惑う蒼井さん。この反応は好きな人がいるのだろう。
わかりやすい人だな。全身の筋肉が引力に逆らえないくらい脱力する。
彼の戸惑いにこちらが戸惑う。がっかりして、奈落の底に落ちた気分だ。
私は今現在失恋した。自覚はあるけれど、まだ受け入れる段階には入っていない。
「別に。でも、気になる人はいるよ。青いラーメンはその人のイメージなんだ」
気になる人がいるんだ。全然しゃべったこともないから、気づかなかった。そもそもプライベートも知らない。恋人がいてもおかしくない。なのに、何も知らずにただ毎日通うなんて馬鹿みたい。
なぜか言葉が溢れ出た。いつもは絶対に注文しないラーメンを今日こそ注文しようと決意した。これは、自分が少し変わった瞬間だと思う。今日は、注文しようと思ったら女優がやってきたので、注文しそびれていた。まだ注文していない。それに、挑戦しようかと心のどこかで思っていたのも本当だ。
「私も、青いラーメンをお願いします」
思ったよりも大きな声が響いた。
「お客さん、いいんですか?」
驚いた様子の蒼井さん。
「もちろん」
勇気を出す。負けてはいられない。
「青いラーメン、一丁上がり。サービスでチャーシュー1枚乗せておきました」
サービス精神旺盛だなぁ。
私が常連だから、きっと親切にしてくれているのだろう。
「あちらは?」
「常連のお客さんだよ」
「名前は?」
「知らないけど」
彼は私に関して無関心。名前を聞いてくることはないし、何も詮索してこない。だから、顔見知りで永遠に停止状態だ。
こちらに向かって女優は名前を聞いてくる。
「あなた、常連さんなの? 名前は?」
「私の名前は真城白雪です」
「きれいな名前ね。まさに白雪姫。毒入りりんごを食べたら死んでしまうから、気をつけないと」
「でも、私は白雪姫じゃないから青いりんごラーメンは食べられますよ。それに、毒入りりんごなら、誰が食べても死んでしまいますよ」
私の舌は思ったよりも饒舌で、言葉が巧みに生まれてくる。
二人きりの時は何も話せなかったのに、誰かが間にいるだけで、言葉をどんどん発することができている。
「いやあ、驚いた。一生お客さんがこのラーメンを食べることはないと思ってましたよ」
嬉しそうにしている蒼井さんは、青いラーメン推しなのだろう。
「なんでですか?」
「毎日来るのに、全然興味がなさそうだったし。いつも醤油。たまに味噌ですしね」
客のことはちゃんと把握しているんだな。まさに、ラーメン屋の鏡だ。
「私、チャレンジ精神が少ないんですよね。でも、今日は食べてみたくなったんです」
「それは嬉しいです」
本当にうれしそうで、全開満面の笑みだ。
一口食べてみる。
「あれ? 全然癖がない」
思っていたような奇抜な味じゃない。
見た目こそ派手だけれど、味は普通だ。見た目とのギャップに驚く。
あっさりした美しく食べやすいラーメンを開発したかったのかな。
「見た目と中身のギャップを追求したのがこの青い海のラーメンなんですよ」
「私は次はピンクのラーメンを食べに来るわよ」
女優も相変わらず蒼井さんを推している。
しかもチャレンジャーだ。
「それはありがたい。でも、いくらお客さんでも、恋愛として個人的に付き合うというのは別だよ」
この人、女優に対して断っている。こんなことってあるの?
贅沢極まりない。
というか、理想が高いのかもしれない。
「ねぇ、好きな人ってどんな人?」
初対面の人にぐいぐいいくなぁ。呆れて見ていると、恥ずかしそうにちらりと見られた。客に聞かれるのは恥ずかしいのかも。
「きわどいラーメンを食べようと思ってもなかなか躊躇して食べられない人。でも、本当は食べたいと何度も足を運んでくれる人」
私の他にもそういう女性はたくさんいそうだ。
何度も同じ女性客が食べに来ているのは目撃済みだ。
若い女性客が多いのも特徴だ。
蒼井さん狙いなのは見え見えだ。
「照れ屋さんが好きなのね」
ふてくされた様子の女優。
照れながら話す蒼井さんは少年みたいだ。
あの蒼井さんが惚れ込んだのだから、相当きれいな人だとか話が弾む人なのだろうか。
私が来店した時に、そんなに話をしている客もいない。
でも、私以外に彼のために来店している人がたくさんいることに共感だ。ファンクラブの会員同士みたいな感じだろうか。
ラーメンは美味しくて、思った以上にあっという間にたいらげてしまった。
「白雪ちゃん、青いラーメンおいしいよね」
女優が話しかけてくる。
「青いラーメンも悪くないだろ?」
蒼井さんも話しかけてくる。
「はい。すごくおいしくて、見た目と想像していた味が全然違うなぁって」
「青い海に立つ女性像をイメージして創作したんだ」
「たしかに、そう言われてみるとそんな味がします」
女優さんのおかげで話ができた。
今日は収穫だ。
「あなた、もしかして店長目当てで通っていたりして」
図星だ。口が金魚みたいにただぱくぱくして、言葉は出ない。
頬が熱くなる。あたふたしているのは見抜かれているだろう。
「いつか、絶対、お客さんみたいな保守的な人にも食べてもらいたいって思ってたから、今日はすげーうれしい」
嬉しそうに笑う。もっと早く注文すればよかった。
「今度、また色々なラーメンを注文します」
「また、来てくれたら、サービスするからさ」
「蒼井さんは好きな人とお付き合いできそうな感じなんですか?」
私ってば何を聞いているのだろう。
どこからそんな勇気が溢れたのだろうか。
「難しいかもしれない。まだ、名前も知らない。でも、今日、はじめて青いラーメンを食べてくれたから、それだけで俺は嬉しいからさ」
「もしかして……好きな人って」
女優はいたずらな微笑みで私と蒼井さんを見つめる。
「別に、変な意味じゃないけど、ずっと話してみたいなって思っていたんだ。でも、話すきっかけがつかめなくて。彼氏がいるかもしれないし。好きな人がいるかもしれない」
「私、好きな人がいます」
「そっか……」
残念そうな蒼井さん。私のことで一喜一憂してくれた?
「私が好きな人は青い空や青い海みたいな世界にひとつだけの青いラーメンを作る人です。ちゃんと話したこともないけれど、ずっと慕っていました」
女優は驚いた様子で、
「あとは、両思いとなった二人でゆっくり話したら。ちょうど店内は客もいないし。空いている時間だしね」
「この後、夕方まで休憩時間で一旦店を閉めるから。よかったら、少し、話をしませんか?」
「……はい」
机の上には青いラーメン。窓の外には青い空と青い海が広がっていた。