今日もカウンターに一直線。はじめに一昨日借りた本を返した。二日もかければ読み終わる。司書さんに「どうだった?」と聞かれ、「面白かったです」と返した。
「今日も、ラブレターだよね」
「……その前に」
私は息を吸う。
「……ええと、私、水木絆さんのこと、聞きたいんです」
伝えると、司書さんは困ったように眉をひそめて、口を開いた。
「絆に告白されてる十和さんにこれを言うのは、ちょっと気が引けるんだけどね」
「あ、はい」
「まずはじめに――絆とはもう会えない。一年前、”今日がサイゴ”とか、言われなかった?」
「えっ」
素っ頓狂な声が出る。何を言われているのか、さっぱり分からなかった。
――私が、絆さんと知り合い?
それに、言い方的に――。
「どういうこと、ですか」
「……話して、いいんだよね?」
私は返事をしなかった。私に問われているというよりも、他の人――絆さんに言っているように聞こえたから。
「十和さん、心臓病、だっけ? 中学の時に入院してたでしょ」
「その時出会ったんだよ」、と続ける司書さん。
やっぱり知っていたか、私の心臓のこと。私の心臓じゃ、ないこと。
然し、私は知らない。”水木絆”という名前、存在は。
「私、その辺の記憶が曖昧で」
「そうなの?」
「……ひゃい。……あ」
「ふっ……」
噛んだ。笑われた。恥ずかしくなって思わず下を向く。
その間に、少し考えた。
告白するってことは、それくらい仲の良い関係だったのかな。なんで私は分からない、忘れているんだろう。司書さんは”サイゴ”と言っていた。病院で知り合ったのだし、やっぱりそれは”最期”という意味なのかもしれない。
「……けっこういい感じだったとか、絆言ってたけど」
「え、うそっ。……ってか、司書さんはなんで絆さんのことを知っているんですか?」
「それは秘密かなあー」
「えええ、なんでですか。あ、それと……水木絆さんって私のこと、す、好きだったんですか?」
「そうだと思うよ。図書室のラブレター預かり制度も、絆が発案者だし。利用者が少ないからって提案してきたの」
懐かしむような顔をして「十和さんに渡すためだったのかもね」と付け足した司書さんは、コーヒーを一口啜った。それから、ふわっとあくびをした。私は真剣に話をしているのに。なんなんだ。しかも、カフェイン摂取した瞬間に眠そうにするとか、本当なんなんだ。
「あ、そういえば、十和さんの用事はラブレターだっけ」
司書さんは話を戻し、引き出しの中からクリアボックスを取り出した。
「あ、そうでした。なんか衝撃的ですっかり……。今日の合言葉は”V”です」
「ん。……そういえばさ」
「はいっ」
「なんで、フルネームなの?」
「……んー、特に理由はないですけど。別にいいじゃないですか」
「ふーん」
口を尖らせた私に少し笑って、司書さんは手紙を取り出し、「はい」と差し出した。ありがとうございます、と受け取る。
「俺が持ってるラブレターはこれがサイゴだから。……まだ、絆について聞きたいことある? って俺、そろそろ駅の図書館の方行かなきゃだけど」
「へえ、大変ですね。……あのっ」
「ん?」
「今日、ここで読んでもいいですか?」
「……なんで?」
「秘密、です」
今日はお母さんが帰ってくるから。なんとなく。だけど、それだけではない。
心臓が叫んでいた。私には。聞こえた。
――ここで読んでいけ、と。
司書さんは「まあ、いいけどさ」と返事をして、カウンターの上に置いてあった本を開いた。ぺらりとページをめくった。
私も開封する。
――これが、サイゴかぁ。
楽しみ。それでいて、少し寂しいと感じた。
咲良十和さま
何度も言うけど、とにかく感謝ばっかりです。
生きていてくれたり、色々。ほんとに。
――俺は、永遠の心臓です。
サイゴは《E》で。
水木絆
「ねえ、十和さん」
「はいっ」
「死にたいとか、言わないで」
「えっ……?」
予想外の言葉に顔を上げる。司書さんはもう本は読んでいなくて、ただ悲しそうに笑っていた。胸がキュッと締め付けられる。
――もしかしてあの時、聞かれていたとか?
記憶は、鮮明に反芻される。
死んでしまいたい、生まれ変わりたいって思って、その刹那ラブレターを見つけて。図書室へ行って、司書さんがいて。ラブレターをもらって、意味の分からない感謝をされて。
「今度こそ、ほんとにサイゴだし」
「……司書さん? 何言って」
――るんですか?
遮られる。
「なんでもないよ。……とにかく、生きてねーってこと。俺も一緒に生きるし。俺が伝えたかったことは、それだけ」
「言われなくても、ちゃんと生きますよ。死ぬの、こわいですし」
「うんうん、そうして。俺はいつも、見てっからね」
――ひとつの可能性が頭の中をよぎり、ひとつの方程式をひらめいた。
心が少し、軽くなる。
どんよりと濁っていた心が、わずかに煌めいた。
「司書さん――いや、絆さん?」
彼は返事をしてくれなかった。
方程式。
司書さん=絆さん。
それが正解かは分からない。
だけど、私は確信していた。
だから続ける。
「司書さん、私はちょっと、感謝をしてます」
「……えーと、ちょっとっていうのは?」
「言いたいのは、やり方が分かりにくいってことです」
頬を膨らます。本気で怒っているわけではないけれど、隠されたまま終わるのは嫌だったから。
「ごめんって」
「サイゴ、なんですよね。……教えてくれたって、隠さなくたっていいじゃないですか」
「……うわあ、予定狂ったんですけど。バレないまま終わって、彼岸に行く予定だったってのに」
「……伝えに来てくれたのは嬉しかったです。すごく」
ありがとうございます、とお辞儀をする。深々。
司書さんは、私を見てふっと笑った。それから、「こちらこそ、生きさしてくれてありがと」と頭を下げた。そして、ゆっくりと口を開く。
「もっかい言うけどさ、俺は十和さんに生きてほしいって思ってるわけ。だから、絶対生きてよ。死にたいとか、言わないで。思わないで」
「ごめんなさい」
「いーえ」
すうっと息を吸う。
「絆さん、私、生きようって思う。――生きたいって」
失った記憶、忘れている存在なんて、ひとつもなかった。最初からなかった。
”はじめまして”で、”さようなら”
それが、絆さんとの時間だった。
いや、違う。この先もずっと一緒なのだから、別れなんてない。
「ってか、”けっこういい感じ”って、どういう……」
「あー……あれは誤魔化すためのウソ」
「なんだー……」
「期待した?」
「気になっただけです」
司書さんは「だよねえ」と笑った。
それから優しく私を抱きしめて、サイゴに言った。
「吐いても、いいんだよ。一回じゃ足りなかったら、ふたり分。俺の分まで吐いちゃって」
――弱音も息も、思いっきり。
司書さんは優しく微笑んだ。
「じゃあね」