エセルが事故に遭ったとの報せをレミーが受けたとき、彼女はそれを現実として受け止められなかった。
 顔を蒼白にして暫し呆然とし、子供たちが心配そうにそのスカートを控えめに引いてやっと、正気に戻ったのである。

「あ、ああ、済まない。まさか、こんなことになるなんてね……」

 脱力して椅子に腰掛け頭を抱える。今までこれほど弱気になるレミーを、子供たちは見たことがない。
 いつでも率先してあらゆることをするレミーが、今は見る影もなく小さく見える。

 ――まさか「聖母」と謂れているレミーが、此処まで脆いとは……。

 そのレミーを見てセシルがまず思ったことは、彼女を案ずるでもなく気遣うでもなく、次の行動に出ることが出来ないその(さま)を客観的に評価した意見だけだった。

 冷たいようだが、それは仕方のないことだ。

 そもそもセシルは、自身を拾い住処を提供してくれて、そして一定の生活が出来るだけの環境へと導いてくれたエセルに恩はあっても、()()()()()()()()()()()()のレミーに恩は感じていない――それが、レミーに対するセシルの評価だ。

 何故ならセシルは他の子供たちと違い、孤児院に来て名付けられた次の日から、街の外を駆け回って薬草や毒草といった生薬の原料などを摘んで売ったり、獣を狩って捌いて皮革品や毛皮として卸したり食料の足しにしたりして自分で稼いでおり、更には炊事洗濯掃除などの家事一切を率先してやっていたから。

 そう、彼は(よわい)九歳にして、そして一五歳となった現在までも住居以外は自活出来ていたのである。
 暗殺者の村出身は伊達ではない。誰にも言えないことではあるが。

 ちなみに採って来たり狩って来たりして手に入れた素材の販売は、アップルジャック商会を通していた。せっかくあるコネである、使わない手はない。

 そんなことをしているから、肉魚大好き一狩り行こうぜ鬼人族のレスリーに好意を持たれたりするのだ。
 セシルがクローディアとモニャモニャな関係になっていなければ、今頃彼はレスリーにガッツリ言い寄られていただろう。狩りが巧いと喰いっぱぐれないから。

 余談だが、鬼人族は一夫一妻を好んでおり、男女とも生涯一人に操を立て、そして早い者勝ちで乗り遅れた方が悪いという伝統的な(?)風習がある。なので事実上乗り遅れたレスリーは、セシルに言い寄る資格ははないと考えている。

 まぁクローディアは、そんなの関係ないからどーぞどーぞと言ってはいるが。

 それはともかく、結局その日レミーは何も出来ず、食事すら喉を通らなかった。

 そしてそれをセシルは呆れも侮蔑もなく、ただ一瞥しただけでそれ以上は彼女を視界に入れることすらしない。

 何故なら、何もせず何も出来ず、そしてただその場に佇んでいるだけではなんの解決にもならないばかりか、そもそもそれ以上先に進めないから。

 つまり、セシルは座したまま行動出来ないレミーを切り捨て、独力で今後についてどうするか考え始めたのである。

 そう、自身が生きるために。

 セシルはまず手始めにクローディアを巻き込んでレスリー、シャーロット、メイの美食三人娘を懐柔――じゃなくて説得して安定した食料確保の筋道(ルート)を確立する計画を立て、そしてリオノーラに限られた食材でも効果的に偏りなく安定した食事を子供たちへ提供出来るレシピの開発するように指示する。

 続けて敷地の裏にある、手付かずで雑草が身の丈ほどに育ってしまっている2ヘクタールほどの荒地を安値で買い叩いた。
 その荒地を、せっかくだからと魔法の素養がある子供たちに、練習がてら火魔法でそれらを焼き払ってから岩魔法で邪魔な砂礫(されき)を土になるまでこれでもかとばかりに細かく砕き、木の葉を大量に撒いてから家事魔法で発酵させ土魔法で均してそれらを良く混ぜ合わせる。
 本来それは三ヶ月から一年は掛かるのだが、魔法で発酵を促進させれば、ビックリするほど短期間で腐葉土が完成するのだ。

 とても良い感じで土が完成し、農作業を始めようかと考え始めたところ、それにメイが喰い付いて勝手に耕し畑を作ってしまい、本能なのかそれに続けとばかりに孤児院にいる土妖精の子供たちがそれぞれ計画的に栽培を始めてしまったのである。
 更に草魔法(そうまほう)で成長を促進させて、たった一日で廿日大根(はつかだいこん)やら(かぶ)やら三つ葉やらほうれん草やらを収穫していた。

 現在、芋や大根といった根菜は元より、南瓜(かぼちゃ)や茄子も栽培中。市場に(おろ)す日も、そう遠くないだろう。

 そしてそうやって畑を作れば農作物を獣が狙うのは必然であり、そうして集まった鳥獣を、レスリーら鬼神族の子供たちが狩るという循環が生まれた。

「畑は出来ても果樹園は時間掛かるし……」

 農作業で生き生きしているメイや、近所で一狩り出来て爛々しているレスリーを遠目で眺めて溜息を吐くシャーロット。

 このときセシルは、ショボーンとするシャーロットに同情したわけでもなく、単に果実も絶対に収入源になると考えていた。
 なので更に荒地を1ヘクタールほど買い叩いて同じように農地にして、シャーロットに相談した上で種子を購入するため共に農業ギルドへ向かったのである。

 そういえば述べてなかったが、更地購入の予算は全てセシルが捻出していた。
 ほぼ連日野山を駆け回って野草やら希少な薬草、果ては獣を狩って来る彼の収入は、その辺にいる中途半端な腕前な猟師なんぞより遥かに良かったりする。
 愛用の刺突剣(エストック)で大型の獣の眼球を一突きして狩り、その場で最小限の傷を付けて血抜きをし、肉も素材も状態良く持ち込むのだ。
 ここまで丁寧に仕事をされれば、余程の愚か者でない限り歳など関係なく敬意を払う。
 まぁ中にはその「余程」がいるわけだが、後ろ盾としてアップルジャック商会や商業ギルドが在るために、その「余程」ですらも手を出せないの現状であった。

 そうやって手に入れた種子を果樹園(予定地)に植えたのであるが、当たり前だが果樹が育って実を付けるまでには相当時間がかかる。
 そして種子を売った農業ギルド側も、買いに来たのが成人したばかりのセシルと未だ一二歳であるシャーロットであったため、あくまでも子供のお遊びであると思っていたのだった。

 何故なら、本気で果樹園を作ろうと思ったら膨大な時間が掛かるし、それに購入するのは種子ではなく苗木であるのが「常識的」で、そしてそれが「普通」もしくは「一般的」なのだから。

 だが農業ギルド側は理解していなかった。

 それを成そうとしているセシルを始めとする孤児院の子供たちは全然、ギルド側が言うところの「常識的」でも「普通」でも「一般的」でもないことを。

「では森妖精の子供たち! 用意は良いか!」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』
「今からこの種子に木魔法(もくまほう)を掛けて高速育成する! だが注意して欲しい! 安易な高速育成は種子のためにも木のためにもならない! 丁寧に丁寧に! だが素早く行うのが重要になる! 判るか!?」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』
「良いか子供たち! 君たちは誇り高き――かどうかは知らないけど、とにかく森妖精だ! 森妖精は森と共に木と共に在るのが、古よりの原点にして原典である!」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』
「よって、樹木への愛情と扱いは他種族などとは比べるのも烏滸(おこ)がましい!」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』
「それに、君たちは我らが敬愛するエセル様の直弟子である!」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』
「精神的に未熟? まだ幼い? それがどうした! 我らは物心つく以前より、基礎魔法は元より上級魔法をも学んで来た! ヒト種だがクローディアに至っては、独学で特級魔法すら展開出来る! それは誰にも劣らず、負けず、そして誇るべきものである!」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』
「誇れ! 子供たち! 我らは〝魔法女王(ソルセルリー・レーヌ)〟エセル・アップルジャックの弟子にして、子であることを!」
はい(ウィ・ムッシュウ)!』
「そしてその『力』を、我らを子供と(あなど)る農業ギルドのヒヒジジイどもに見せつけてやるのだ!」
仰せの侭に(アン・ヴォズ・オーダー・ムッシュウ)!』

 そして始まる、奇々怪界な事象。

「桃栗三年柿八年! はい!」
『桃栗三年柿八年! 梨の莫迦めが一八年! 柚子は大莫迦一八年! 林檎にこにこ二五年! 梅は()()い一三年!』

 そんななんだかよく判らない唄(?)を詠みながらセシルの号令で一斉に木魔法が展開される。
 等間隔で植え込んだ種子が見る間に発芽し、それも束の間で気付けば苗木へと育っていた。
 そこへ土妖精の子供たちが腐葉土と堆肥を追加して痩せた木にならないようにして、更に森妖精の子供たちが木魔法を掛け続ける。

「………………ナニコレ」
「………………なんか違うし」

 セシルと森妖精の子供たちが、何かが違う遣り取りをしているのを呆然と眺めるクローディアとシャーロット。

「柚子は九年の花盛り! はい!」
『柚子は九年の花盛り! 柚子は九年で成り下がる! 女房の不作は六〇年! 旦那の不作はこれまた一生!』
「待って! なんだか世知辛くなってるし!」
「あ、でも真実かも。そっかぁ、()()()()()()()()()()かぁ……」
「ディア?」

 そんなイカサマにも似たことを続け、遂に三日で桃と栗が、八日で柿が実を付けた。
 そればかりではなく、一〇日を過ぎた辺りで梨や柚子や梅が実を付け始める。

 そして一四日が過ぎた頃には林檎が実を付け始め、だがそれとほぼ同じに――現アップルジャック商会の会長であるカルヴァドスの訃報が、その母親のレミーの元へ(もたら)された。

 カルヴァドスはまだ四六歳――あまりに早過ぎる逝去であった。