「今まで、色んなことを教えてくれてありがとうございました」
箏子さんを『師匠(せんせい)』と呼ぶ理由。日常のマナーから護身術。お茶のたて方、華道の基本。どれも咲桜の軸になっているようだ。
「私、流夜くんがすきです。だから、お嫁に行きたいです。師匠にも、認めてほしいです」
咲桜の声は落ち着いていて、柔らかかった。
反して、箏子さんは悔しそうに顔を歪める。
「な、なんでこんなに早いんですかっ」
「先生。へそ曲がりも大概にしてくださいよ。そういう言い方ばかりするから、咲桜は嫌われると思ってしまったんでしょう」
在義さんに指摘されて、箏子さんは悔しそうに口を引き結んだ。
「……師匠?」
「あ、在義が認めた男性ならばと思っていましたが……ここまで狡猾(こうかつ)だと心配になりますよ」
「すみません。生まれつきです」
否定出来ないな。
「まあでも、だからこそ護れますよ? 色々から」
俺の言葉に在義さんが一つ肯いたのを見て、箏子さんは声を引いた。
「……帰ります」
「あ、母さん――」
「夜々子。お前の役目が多くなりました」
「え?」
「……学校で、何があっても問題にさせてはいけませんよ。………咲桜のために」
小さく言って、箏子さんは在義さんの隣をすり抜けて出て行ってしまった。
咲桜と朝間先生はぽかんとした顔でその背を見送る。
扉は閉まり、外の光が消える。
口を開いたのは降渡だった。
「あー、疲れたー」
「悪かったな。急に」
「いや、それはいんだけどな? 在義さんに化けろってムリ多すぎだし」
「いや、降渡くんの腕もあがったよねえ」
「お褒めにあずかり光栄です。じゃ、次の仕事あるから行くわ」
「ああ」
「それから咲桜ちゃん。絆がりゅうの落としどころ狙ってるから、話すときは気を付けてねー」
「えっ、あ、はいっ」
咲桜の硬直が融けて、反射的に返事した。
降渡はにこやかに出て行く。