朧咲夜5-愛してる。だから、さようなら。-【完】


「そう。私も、降渡に敵うようになりたくてこの世界目指したっていう動機が不純な人だからさ。法律家なら犯罪事件に直結する職業だし、相手方の力になれることもあるんじゃない?」

「………弁護士」

「かなりの勉強が必要になるわよ? それを覚悟出来るなら、だけど」

「……弁護士だったら、日本中、追いかけられますかね?」

「そうね。国際弁護士とかになったら国をまたにかけることも出来るしね。あー、でも大学に法科大学院に司法修習生にってあるから、すぐ追いかけるのは難しいな……」

絆さんは顎に手を当てて考え出した。まだそこまで親しい関係ではないのに、親身になって話を聞いてくれているのがわかる。

「何年もかかっても大丈夫? それとも……」

「……贅沢を言うようですが、出来たらすぐにでも追いかけたいです。勉強しながら日本廻るとか……」

「それはちょっと無謀ね。弁護士目指すならそんな中途半端な勉強の仕方じゃ無理よ」

「……ですよね……」

私が落ち込んでしまうと、反対に絆さんは何かに気づいたように瞳を見開いた。

「こっちならどうかしら。勉強のレベルが下がるわけじゃないけど、受験資格に年齢がないものがあるわ」


「………」

「………」

「………」

「……咲桜、だんだん土下座が上手くなっている娘もなかなかいないよ。そんでそんな娘の父親の哀愁もちょっと考えて」

確か今日は、咲桜たちは二年生の始業式だったはず。

玄関で土下座している娘の出迎え方に、相当困った。

「今日はお願いというか、進路相談なんです」

「座りなさい」と告げると、咲桜は場所をリビングに移して、ソファに座りなおした。

ソファの上に正座されて、また困った。なんなんだ、今日は。

「進路相談?」

「うん。――じゃなくて、はい。だから夜々さんにも来てもらいました」

「こんばんわー」

「………」

……軽く額を押さえた。ふつーに登場したよ、この幼馴染は。


「夜々さんは聞いてもらう側だから、父さんの方座って。今日は私の味方じゃなくて、聞いてほしいの」

「……どうぞ、夜々ちゃん」

咲桜が夜々ちゃんに、私の隣を示す。夜々ちゃんが少し困った顔をしたので、こちらから招いた。

夜々ちゃんと隣に座り、L字の一方に咲桜がつく。

「進路相談、なんだけど、私、大学には行かないで仕事に就こうと考えてます」

「……それは、その……迷惑だとかそういうことを考えて?」

私の控えめな問いかけに、咲桜は首を横に振った。こんな言い方もしたくないけど……。

「ではないです。そういうことを、全く考えてないわけではないけど……。出来るだけ早く――目標は高校生のうちに、行政書士の資格をとる事です」

「行政書士?」

いきなり出て来た単語に、オウム返しに訊いた。夜々ちゃんも瞳をぱちぱちさせている。

「絆さんから教えてもらったんです。今は先輩と二人で事務所をやっているそうで。行政書士なら学歴は問われないし、場所も問わない仕事だって教わりました。――追うために、私は大学には行きません。法律家ならば、流夜くんの仕事の、どこか役に立てるかもしれないし、どこにいようと追って行けます。勉強が苦手とか、言い訳は通用させません。私はあの人の傍にいたいです。……結婚とか、できなくてもいいです。ただ、一緒にいたいです。お願いします。私の父親は、在義父さんだけだから、反対しないでください」

咲桜が、深く頭を下げた。

諏訪山くんが教えたという、一つの道。行政書士。

「……それは、咲桜が選んだ道なんだね?」

「はい」

「なら、私は反対はしない。ただし」

「……はい」

「やるからには、本気で挑みなさい。言い訳が通じる相手を、咲桜は好いていないだろう?」

あの流夜くんに、言い訳なんて。

咲桜は凛とした眼差しで答えた。

「はい。ありがとうございます」

通じないだろう。さすが、俺の娘。

いばらの道を切り開いてゆけ。


大学へは行かない。二年生のはじまり、四月に、笑満や頼にも宣言した。二人から反対はなく、力になることがあれば、と言ってもらった。

じゃあお言葉に甘えて最初のお願い、として、『頼、流夜くんの写真撮って来て』と言ったら『あの人は無理。俺の範囲外』と消極的な反応があった。

頼が執着対象者の写真を諦めるなんて……いなくなる前に何かしら、頼に話でもつけていきやがったか。

今日は降渡さんと吹雪さんが、時間があると言ってくれたので、《白》の一隅を借りてノートを広げていた。

二人も教師の資質あるんじゃないかと思うくらいわかりやすい説明で展開してくれる。

遙音先輩は卒業前には龍生さんの養子になる算段が整っている。

龍生さんと二人で話して、大学への進学を決めたそう。

傍ら、《白》の跡継ぎとしても修行中。そして笑満も《白》での接客を勉強中だった。

今は先輩と並んでカウンターの中にいる。龍生さんがコーヒーの淹れ方を笑満に教えてくれていて、今日もカメラ常備の頼はそれをカウンター席から眺めて写真に収めている。

そんな、のんびりした空気に一つの声が響いた。

「咲桜姉様―!」

「い、斎月⁉」

《白》への急な来訪者。大和斎月。流夜くんの相棒にして弟。

やばー! ここ遙音先輩いんだけど! 私が知る限り、まだ先輩と斎月の間に面識はないはずだ。

「いらっしゃいませー。咲桜の知り合い?」

案の定、カウンターの中の先輩が私に訊いて来た。

「はじめまして、夏島さん。将来的に咲桜姉様の妹です!」

ややこしいバラし方するな! そして斎月の方は先輩のこと把握済みか! やっぱりな!

先輩はきょとんとして瞬いている。

……うん、これが深い『流夜くんたちと遙音の差』か。

「咲桜ねえさま? 咲桜ってきょうだいいたっけ?」

「ええ⁉ あたし知らないんだけど! 咲桜! いつの間にそんな子が出来たの⁉ あたしに飽きたの⁉」

「そんなわけないでしょう! 私の女の子の一番は笑満だって!」

もっとややこしい誤解を生みだしている幼馴染(わたし)たちに、吹雪さんから一喝が降りた。

私、笑満、頼と斎月、とばっちりで先輩まで、正座。

吹雪さん仁王立ち。


「あのね、斎月だけでかなりすっごいバカみたいに面倒いハナシなんだから、余計な誤解混ぜないでよ。って言うか斎月、お前のお兄さんから、ここ出禁とかされてんじゃないの?」

「お兄さん?」

先輩が呟く。

け、決定的な一言が斎月の口から言われてしまうのか……。背筋が戦慄した。

斎月は年齢にそぐわない妖艶な笑みを見せた。

正座させられているくせに。

「兄さんの言うことを私が聞くとでも?」

「むしろ兄さんの言うことしか聞かないから、お前が現場に出ると流夜も呼ばれるんだろうが。お前は災害みたいな奴だからさ」

「あ」

……吹雪さんが言っちゃった。私が思わず声をもらすと、案の定先輩から驚愕の声が聞こえた。

「お兄さんて、神宮? ってことはあの神宮の弟……女装男子なのか⁉」

「そこなの⁉」

反射的に私がツッコんだけど、先輩はワナワナ震えながら斎月のことを見ている。

斎月は先輩の驚きに首を傾げている。

「元・男として育てられてた正真正銘女子です」

「はっ。お前が女子名乗るのって厚かましいよね」

「吹雪さん、今の言い方は赦せないよ」

「……ごめん」

指摘した私に、吹雪さんがバツが悪そうに謝った。

それを見ながら、愉快そうに苦笑する降渡さん。斎月は拍手する。

「吹雪さんに謝らせられるなんてさすが姉様。流夜兄さんの奥方に文句なしですね」

「ちょ―――――――――っと待ったあああああああ!」

笑満から盛大なストップがかけられた。

「姉様って何⁉ 先生も出てくんの⁉ 現場ってなにだし元男なの⁉」

唯一、斎月の存在に対して何の情報も持たない笑満は、情報の大洪水を起こしているようだった。

笑満が叫んだとき、斎月の肩が大袈裟ではなく跳ねたのを私は見ていた。

……斎月の女性恐怖症って本当なんだ……。

あ、びくびくしてる。


「はじめまして。大和斎月といいます。流夜兄さんの大学の同期で、現同業者です」

――のも一瞬で、さっと何でもないカオをして挨拶した。何のプロだよ。

「………」

笑満、固まっていた。大洪水は収まりを見せない。

「あーあ。遙音が見つける前に自分から出てくるとかさあ、バカじゃないの? お前」

「バカですよ? 流夜兄さんには、一日に十回は言われますし」

「………」

吹雪さんのツッコミどころが悪かったらしい。

吹雪さんが敗北したみたいな顔をしている。

と言うか流夜くん、女の子(しかも弟扱い)に何てこと言ってるの。

「そんな私、ただいま絶賛反抗期です」

『………は?』

私と吹雪さん、降渡さんの声が揃った。

「流夜兄さんに反抗したくてバラしに来ましたってだけです」

「……お前、本当最悪な性格してるよね」

「それも半日に十回は言われます」

レベルあがってる。

「……本当に、神宮の相棒の『大和斎月』なんですか?」

ようやく先輩の思考は追いついたらしい。このタイムラグが、未熟のゆえなのだろう。

「そんなんじゃないですよ?」

「……違うの?」

「周りはそう言いますけど、私としては兄さんなので。兄さんも弟扱いしてきますし」

「周知の事実になってんじゃないですか」

「は、遙音くん? だ、誰?」

「あ、えーと……神宮の相棒って言われる、犯罪学者。雲居や春芽じゃなくて」

「学者さん? なんですか?」

「はい。あ、でも敬語とかしないでください。私のが年下ですし」

『………え?』

今度は笑満と先輩の声が揃う。

「私今、十五歳です」


『……………え。………ええええええええええええええええ⁉』

《白》の屋根が吹っ飛ぶかと思う絶叫が轟いた。

「笑満まで驚くの?」

「な、なんかノリで!」

あまりの大音量に耳を塞いだ私に、笑満は慌てて言った。その隣の先輩は……

「………」

やばい。瞬きすらしていない。呼吸まで止まってないといいけど……。

斎月、今は私服なのだけど、制服という目印がないとやっぱり未成年には見えないよなあ。

と言うかそもそも、斎月はもう制服を持っていない。人のこと言えた私ではないけど。

「あららー。やっぱ斎月姫爆弾はでかすぎるって」

降渡さんが呆れ感満載で頬杖をつく。

「つまりは遙音にバラしにきたってこと?」

「かもしれませんねー?」

吹雪さんが訊くと、斎月は薄ら笑った。

ガタッ

「……放せ降渡。僕はそろそろこいつを殺(や)らなきゃいけない」

「まー待て? お前が向かって行っても返り討ちだから」

顔に影を作って今にも殴りかかりそうな吹雪さんを、降渡さんが羽交い絞めのようにして押さえている。

「嘘ですよ。帰国したら時間があったんで、こちらに寄ってみただけです。そしたら皆さん揃ってらっしゃる。兄さんに逆らったのは本当ですけど」

「あ、ドイツの大学に行ったんだっけ?」

「よく主咲が許したなあ」

私と降渡さんが続けて口にする。その間も吹雪さんは、降渡さんの捕縛に対してギリギリと反抗して殴りかかろうとしていた。

「吹雪さん、相変わらず怖いなあ」

「この人格破綻者め……よく普通のカオで僕らの前に出て来れるよねえ……?」

「普通を装うのは日常ですから。それから――」

「え? あれ?」

と、頼が自分の手元を見て驚いている。

私が反射的に斎月を見ると、斎月が頼のカメラを手にしていた。にっこり笑う。

「すみません。私、写真アウトなので、データ消してからお返ししますね」


「………」

頼は無言で斎月を睨む。反抗しない……無意味だと、本能的に悟っているとかだろうか。

斎月はすぐに頼にカメラを返した。データ消去早っ。

「あの、大和、さん? 神宮と大学の同期ってどういうことですか?」

先輩、まだ敬語が抜けなかった。年下って信じてもらえてないな……。

「流夜兄さんがアメリカ留学してるとき、私も同じとこにいたんです。私、生まれ育ちがアメリカなんで、ちょっと早めに大学入ってたんです」

「本当に男だと思われて女子生徒に襲われて、女性恐怖症が今も治らないんだよねえ」

え。吹雪さんも知っていた? 流夜くんも斎月も、話していないようなこと言っていたけど……。

ああ、流夜くんたち幼馴染の間で隠し事は意味がない、だったっけ。

「吹雪さん」

「ん? 僕がバラさないとでも思った?」

……なんだか吹雪さんの性格がいつもと違うな……。攻撃的と言うか……。

「……ふ、降渡さん? 吹雪さん大丈夫ですか?」

今にも血管が切れそうな顔の吹雪さんが心配になって、降渡さんに聞いた。

「あー、吹雪は斎月が苦手なんだよ。周りの人に、斎月って俺らより

「降渡! この偏屈に有利になることを言うな!」

「別にそれ、私はこだわないんですけどね」

「その余裕っぷりがムカつくんだよバーカ!」

ふ、吹雪さんが小学生の喧嘩みたいなことを言っている。しかし斎月はちらりとも相手にしていない。

「もう出てけお前! 今は咲桜の勉強中なんだよ!」

犬を追い払うように手を振る吹雪さん。さ、さっきから言動が子どもだ。

「んー、わかりました。咲桜姉様、またこっち来たら連絡しますので、お友達も一緒に遊んでください」

「あ、うん。勿論」

「では、お騒がせしました」

斎月は綺麗な礼を取って、ざわついた空気も一緒に持って行くように店を出た。

「……………雲居、春芽」


先輩から、地を這う様な声が聞こえた。降渡さんの肩が揺れた。

「あ、はる――

「あれが神宮の相棒なんだな?」

俯いたままの遙音先輩。怒髪天の吹雪さんにも困っている降渡さんが、「そうだ」と肯いた。

ギリッと、顔をあげた先輩が鋭い眼差しを見せた。

「――上等じゃねえか。あの女男、超えてやる」

怒りや失望ではない、挑戦的な光。その言い方をするならせめて男女なのだけど――と訂正しかけた私だけど、それは言わないでおいた。

流夜くん、吹雪さん、降渡さんという憧れがあっただけの先輩。目標にして、そこへ近づこうと。

――憧れてしまえば、超えられはしない。斎月に対して抱いた『超える』という感情は、先輩を流夜くんたちよりも高みを見せるだろう。

絆さんという、私が目標にした、先にいる人が出来て、私も憧れや目標の存在感がわかってきていた。

ごつん。

「痛っ、何すんだよ親父!」

それまで傍観者に徹していた龍生さんから、先輩が一撃を喰らった。先輩の呼び方はもう染まっている。いつも微笑ましいなあ、と思う。

「いや、お前がすげえことほざいてっから、頭は正気かと」

「う……やっぱあのトシで神宮と並び称されるレベルって……ハンパないってこと?」

「そりゃあな。斎月の小娘は世界に通用するぞ。だがまあ――最初っから尻尾巻いてるよりゃあいいか」

頑張ってみろよ、と龍生さんは、今度は軽く先輩の額を小突いた。

「そうだよ、その勢いだ遙音! あんな女男なんざぶっ潰してしまえ!」

「お、おう……? 春芽にそんなテンションで応援されるなんてむしろ心配だけど、頑張るしかねえな!」

「僕も徹底的にお前の応援してやるから!」

吹雪さんのヘンなテンションにつられるように、先輩も勢いづいている。こそっと降渡に訊いた。

「吹雪さんどうしたんですか?」

降渡さんは苦笑気味に答えてくれた。