流夜くんは、それはあっさりゆるしてくれた。

私に対して言った『絶対に自分を責めるな』の言葉ひとつで。

吹雪さんが言っていた。

自分たちは『十三桜』と呼ばれた初代Pクラスの生き方や信念に、少なからず影響を受けている。流夜はそういう考え方が出来るんだ、と。

そういう考え方、ですか? そう訊ねると、吹雪は簡単に教えてくれた、簡単な言葉で。

「『真実を否定してもしょうがないなら、真実を歪めるだけだ』」

真実や現実を求めることを生業としている人たちの言葉とは思えなかった。

驚いてしまったが、吹雪さんは続けた。

「もっと砕いて言うなら、被害者遺族である『神宮流夜』と、犯罪学者としての『神宮流夜』を、流夜ははっきりわけている。認識の上、別の個人とすることが出来る。そして今の流夜は、ただの学者としての人生を歩いている。被害者遺族としての『神宮流夜』を、『一つの真実(ほんとう)』を、過去に置いて」

「……過去に、おいて……」

「受け容れ難い考え方ではあるかもね。でも、それでいいじゃない」

「……自身への認識の問題、なんですか?」

「自分がどう在るかを、流夜はそう決めたってだけだね。それでいいと思ってるよ、僕らは。目を背けたくなる現実や真実なんてそこらに転がってる。それらを総て受け容れて生きていたら、どんだけ生きにくい人生だよ。ありのままの自分を受け容れろ? ふざけてろよ。受け容れてるから生きてるんじゃないか。生きてるだけで現実だ。だから、自分の中の真実は、自分で決めていい。自分に要らないものは、要りませんって言って突き返していいんじゃないかな」

……相変わらずズバズバ言う人だ。
 
でも、その言葉にどこか救われる自分もいて。

そうですね、と答えた。