(16)
「実は私も数日前に川に落ちちゃってね。そのとき偶然、そのペンダントを見つけたんだ」
「それで、私が探してたものじゃないかと思って、わざわざ?」
「とても一生懸命探していたからね。間違っててもいいから、確認したいと思ったんだ」
「っ、ありがとう、ございます……!」
涙を滲ませたサチが、ペンダントをぎゅっと胸の中に閉じ込める。
その瞬間、ペンダントの内側に宿った琉々の笑顔を見た気がした。
琉々の住み処はやはりここだった。戻してあげられて、本当に良かった。
「あの、何かお礼をさせてください」
「いいのいいの。こっちが勝手にやったことに、お礼なんていただけないよ」
「え、でも、でも何かっ」
「……サチ! 何をしてるの、そんなところで!」
押し問答をしていた中に、第三者の声が響いた。
サチとともに顔を上げると、三十代半ばとおぼしき女性がこちらに駆け寄ってくる。
目鼻立ちが整っていることもあってか、ジーパンにTシャツというシンプルな格好がとてもよく似合っていた。
「ママ!」
「あんたはまたこんなところで! 性懲りもなく川を探険しようとしてたんじゃ……、え。あの、あなたは?」
肩を怒らせていたサチの母だったが、暁の姿を確認した途端勢いをなくしていった。
「怪しい人じゃないよ。この人がね、わたしのなくしものを見つけ出してくれたの!」
「え、あなた、なにか無くし物をしてたの?」
どうやら、ペンダントを無くしたことは内密にしていたらしい。
適当に言葉を濁そうとするサチに首を傾げる母だったが、次の瞬間、はっと大きく息をのんだ。
視線の先は、娘を追い越した向こう側の橋の端だ。導かれるように、サチも後ろを振り返る。
「っ──、パパ!?」
「サチ! サリナ!」
サチが飛び込んでいったのは、肌が浅黒く焼けた短髪の男だった。
パパ、と判断するにしては随分と体も引き締まり若く思える。両手で迎えた父は、軽々と娘の体を抱き上げた。
「久しぶりだなあ! 元気だったか? 母ちゃんの言うことちゃんと聞いてるか?」
「ふんだ! 少なくとも、怒られてばっかりのパパより、よっぽどサチの方がいい子だもん!」
「ははっ、そりゃそうだな!」
久しぶりの再会らしい親子は、笑顔のまま額をぐりぐりと押しつけ合う。
その横顔は、傍目から見てもとてもよく似ていた。
「サリナ! お前も元気そうだな。よかった!」
「……何を、能天気なことを言ってるのよ」
話を向けられた母が、絞り出すように返答する。
ここにまだ他人の暁がいることで、仕方なしに返した言葉にも思えた。
「はっはっは。まあ、能天気だけが取り柄みたいなもんだからなあ」
「本当よ! 突然故郷で事業をするって沖縄に戻っちゃって、私たちのことはほったらかしで! サチがどれだけ寂しい思いをしていたのかわかってんの!? 私が、どれだけ大変な思いをしていたのかも……!」
「サリナ」
「もう、帰ってこなくてもいい! そんなに好き勝手したいなら、私たち、もう」
「サリナ!」
歯止めが聞かなくなっていた母の肩が、小さく震える。
その細い体を包み込むように、父の腕の中に娘ともどもぎゅうっと閉じ込められた。
「っ……ちょ、ここ、外……!」
「悪かった。寂しい思いも大変な思いもいっぱいさせて。本当に申し訳なかった」
先ほどまでと違う、熱く低い口調に、母の言葉がふっと途切れた。
「実はな。沖縄で手伝わせてもらった事業を、こっちでも展開することになったんだ。社長も俺のことを信用してくれて、東京の責任者を任せてくれた」
「……え」
「それじゃあ、これからは三人で一緒に暮らせるのっ?」
「ああ。その通りだ!」
快活に笑う父に、サチは諸手を挙げて喜ぶ。
対して母はというと、何とも言えない複雑な表情だった。
「なんだ。喜んでくれないのか、サリナ」
「……責任者だなんて、あんた、本当に大丈夫なの?」
「ははっ。大丈夫だ、心配ない!」
「心配ない、ねえ……」
はっきり言い切った父に、母は頭を抱え込む。
どうやらこれがお決まりのやりとりのようだ。
「まあいいや。私も今度また昇給する予定だし。万一何かあっても、食うに困らないくらいは稼いでるあげるから」
「お、そうだったのか? それは帰ってお祝いしないとな!」
「ねえママ! パパが帰ってきたことも、一緒にお祝いだよ。ね!」
「まったく仕方ないわね。……この、テーゲー男」
「はは。面目ない」
詫びながら、父は母の頬をそっとなぞった。
そのとき交わされた視線はとても温かく、他人が決して入り込めない夫婦の繋がりが見てとれた。
そう。その眼差しはまるで、保江があの御社を訪れたときの眼差しと、とてもよく似ていて──。
「お姉ちゃん!」
思考の海に飲まれそうになっていた暁を、サチの声が呼び戻す。
父の肩車に乗せられた少女の首からは、木製のペンダントが提げられていた。
「本当にありがとう、お姉ちゃん。ばいばい!」
「うん。ばいばい!」
見送る三人親子は、三人三様の表情を浮かべているものの、とても幸せに溢れている。
ほらね。やっぱり君は、素敵なあやかしじゃないか。
ペンダントに宿った心優しいあやかしの笑顔を過らせながら、暁はしばらく川の水面を眺めていた。
「実は私も数日前に川に落ちちゃってね。そのとき偶然、そのペンダントを見つけたんだ」
「それで、私が探してたものじゃないかと思って、わざわざ?」
「とても一生懸命探していたからね。間違っててもいいから、確認したいと思ったんだ」
「っ、ありがとう、ございます……!」
涙を滲ませたサチが、ペンダントをぎゅっと胸の中に閉じ込める。
その瞬間、ペンダントの内側に宿った琉々の笑顔を見た気がした。
琉々の住み処はやはりここだった。戻してあげられて、本当に良かった。
「あの、何かお礼をさせてください」
「いいのいいの。こっちが勝手にやったことに、お礼なんていただけないよ」
「え、でも、でも何かっ」
「……サチ! 何をしてるの、そんなところで!」
押し問答をしていた中に、第三者の声が響いた。
サチとともに顔を上げると、三十代半ばとおぼしき女性がこちらに駆け寄ってくる。
目鼻立ちが整っていることもあってか、ジーパンにTシャツというシンプルな格好がとてもよく似合っていた。
「ママ!」
「あんたはまたこんなところで! 性懲りもなく川を探険しようとしてたんじゃ……、え。あの、あなたは?」
肩を怒らせていたサチの母だったが、暁の姿を確認した途端勢いをなくしていった。
「怪しい人じゃないよ。この人がね、わたしのなくしものを見つけ出してくれたの!」
「え、あなた、なにか無くし物をしてたの?」
どうやら、ペンダントを無くしたことは内密にしていたらしい。
適当に言葉を濁そうとするサチに首を傾げる母だったが、次の瞬間、はっと大きく息をのんだ。
視線の先は、娘を追い越した向こう側の橋の端だ。導かれるように、サチも後ろを振り返る。
「っ──、パパ!?」
「サチ! サリナ!」
サチが飛び込んでいったのは、肌が浅黒く焼けた短髪の男だった。
パパ、と判断するにしては随分と体も引き締まり若く思える。両手で迎えた父は、軽々と娘の体を抱き上げた。
「久しぶりだなあ! 元気だったか? 母ちゃんの言うことちゃんと聞いてるか?」
「ふんだ! 少なくとも、怒られてばっかりのパパより、よっぽどサチの方がいい子だもん!」
「ははっ、そりゃそうだな!」
久しぶりの再会らしい親子は、笑顔のまま額をぐりぐりと押しつけ合う。
その横顔は、傍目から見てもとてもよく似ていた。
「サリナ! お前も元気そうだな。よかった!」
「……何を、能天気なことを言ってるのよ」
話を向けられた母が、絞り出すように返答する。
ここにまだ他人の暁がいることで、仕方なしに返した言葉にも思えた。
「はっはっは。まあ、能天気だけが取り柄みたいなもんだからなあ」
「本当よ! 突然故郷で事業をするって沖縄に戻っちゃって、私たちのことはほったらかしで! サチがどれだけ寂しい思いをしていたのかわかってんの!? 私が、どれだけ大変な思いをしていたのかも……!」
「サリナ」
「もう、帰ってこなくてもいい! そんなに好き勝手したいなら、私たち、もう」
「サリナ!」
歯止めが聞かなくなっていた母の肩が、小さく震える。
その細い体を包み込むように、父の腕の中に娘ともどもぎゅうっと閉じ込められた。
「っ……ちょ、ここ、外……!」
「悪かった。寂しい思いも大変な思いもいっぱいさせて。本当に申し訳なかった」
先ほどまでと違う、熱く低い口調に、母の言葉がふっと途切れた。
「実はな。沖縄で手伝わせてもらった事業を、こっちでも展開することになったんだ。社長も俺のことを信用してくれて、東京の責任者を任せてくれた」
「……え」
「それじゃあ、これからは三人で一緒に暮らせるのっ?」
「ああ。その通りだ!」
快活に笑う父に、サチは諸手を挙げて喜ぶ。
対して母はというと、何とも言えない複雑な表情だった。
「なんだ。喜んでくれないのか、サリナ」
「……責任者だなんて、あんた、本当に大丈夫なの?」
「ははっ。大丈夫だ、心配ない!」
「心配ない、ねえ……」
はっきり言い切った父に、母は頭を抱え込む。
どうやらこれがお決まりのやりとりのようだ。
「まあいいや。私も今度また昇給する予定だし。万一何かあっても、食うに困らないくらいは稼いでるあげるから」
「お、そうだったのか? それは帰ってお祝いしないとな!」
「ねえママ! パパが帰ってきたことも、一緒にお祝いだよ。ね!」
「まったく仕方ないわね。……この、テーゲー男」
「はは。面目ない」
詫びながら、父は母の頬をそっとなぞった。
そのとき交わされた視線はとても温かく、他人が決して入り込めない夫婦の繋がりが見てとれた。
そう。その眼差しはまるで、保江があの御社を訪れたときの眼差しと、とてもよく似ていて──。
「お姉ちゃん!」
思考の海に飲まれそうになっていた暁を、サチの声が呼び戻す。
父の肩車に乗せられた少女の首からは、木製のペンダントが提げられていた。
「本当にありがとう、お姉ちゃん。ばいばい!」
「うん。ばいばい!」
見送る三人親子は、三人三様の表情を浮かべているものの、とても幸せに溢れている。
ほらね。やっぱり君は、素敵なあやかしじゃないか。
ペンダントに宿った心優しいあやかしの笑顔を過らせながら、暁はしばらく川の水面を眺めていた。