(7)

「うん。……え、もしかして、実家で聞いてなかった……?」

 返答はなかった。それが答えだった。
 結局、そのまま車内の空気は変わらないまま、暁たちは自宅兼事務所のある間黒市に舞い戻った。



「今夜こそ、この部屋で眠るのかい」
「するか。これももう、何度目のやりとりだ」
「いや。最近は夜になっても、外は相当蒸し暑いでしょう」

 琉々は再び間黒川へ戻り、暁たちも自宅で夕食を終えた。
 夕食のメニューに上がったのは、琉々がどこからか捕ってきてくれた新鮮な鮎だった。

「鮎、美味しかったのにね」

 食卓に残された、一人分の食事。
 暁は丁寧にラップをかけて冷蔵庫に保存する。

 帰宅してからも、千晶は一言も話さなかった。
 食卓に呼んでも決して反応せず、今は長い一人風呂中だ。

 車内での自分の不用意な発言のせいだ。
 それはわかっていたが、暁にはどうするべきかわからない。

 千晶があそこまで態度を豹変させた理由はなんだろう。
 暁が、保江と血のつながりがないとわかったから?
 血の繋がりのない叔母なんて信用できないということだろうか。

「本当なのか。保江とお前に、血の繋がりがないというのは」

 烏丸にまで真剣な眼差しで問われ、小さく苦笑する。
 やはり、この話をするために食後もわざわざ部屋に残っていたらしい。

「本当だよ。嘘をつく理由なんてないでしょう」
「……」
「私の父と母は、結婚して数年で養子をとったの。それが保江姉さん。跡取りに五月蠅い家だったし、養子として引き取られた保江姉さんは幼い頃からその才を認められていた。だから私の両親は、手放しで喜んだみたい」

 そして十数年後、母の予定外の妊娠が発覚した。

「それが私。最初は血を継いだ子ということで期待されたみたいだけど、すぐにそれもなくなった。保江姉さんと比べるまでもなく、私はまるで出来の悪い子だってわかったからね」
「……」
「それでも、保江姉さんは私のことを本当の妹として可愛がってくれた。私も、保江姉さんが本当に大好き。だから……」
「血の繋がりがあるからだと、思っていたんだがな」
「……え?」

 暁の手首を、烏丸が掴んだ。

 暁が咄嗟に見上げると、およそ烏丸らしくない表情でこちらを見つめていた。
 気分の赴くままに事を進めるいつもとは違う。胸につかえる何かを堪えているような。

 かすかに揺れる長い睫。
 綺麗だ。男のものとは思えないほどに。

「そうでなければ説明がつかん。血も分けない赤の他人のあいつのことを、何故お前はそこまで気にかける」
「烏、丸?」
「保江の子だからか? だが、その保江だって、血が繋がってねえじゃねえか」
「そりゃ、最初は保江姉さんの子だから何とかしなきゃと思ったけれど……」

 烏丸の言わんとしていることが掴めない。
 暁の考えはそんなにおかしなものなのだろうか。

「血が繋がりがなくたって、大切な人はいるよ。烏丸にとっての、千晶だって同じじゃない。私にとっての保江姉さんも、千晶も……嫌かもしれないけれど、烏丸もそうだよ」
「……」
「何も、可笑しくなんてないでしょう……?」
「……暁」

 烏丸の喉仏が、ゆっくりと上下するのがわかった。

「お前は、本当に……」
「烏丸」

 部屋に静かに落ちた声に、暁と烏丸は揃って振り返った。

「就寝時間だ。お前も早く床に就いた方がいい」
「ち、あき」

 タオルを肩にかけ寝間着に身を包む、見慣れたはずの甥の姿。
 しかし、向けられた無感情な眼差しに暁はすっと背筋が凍る。

 こんな千晶は初めて見た。

「久しぶりだな。お前のその表情は」

 向かいあっていた烏丸が、ふっと口元に笑みを浮かべた。
 神経を逆なでするような、皮肉な笑みだった。

「初耳の情報に驚くのはわかる。だが、何をそこまで狼狽えている?」
「……」
「むしろお前としては、まったく真逆の反応をとると思っていたがな」
「……無駄口を叩くな」
「っ、きゃ!」

 次の瞬間、千晶の体から強い圧のようなものが発せられる。
 烏丸の体が風に一気に煽られかと思ったときには、すでに忽然と姿が消えていた。
 一瞬呆然とした暁は、我に返り慌てて辺りを見回す。

「ちょっと千晶、か、烏丸はどこに……!」
「家の外に出しただけだよ。問題ないでしょ。あいつの寝床はもともと外だ」
「……」

 怖い。
 本来甥に抱くべきではない感情が芽生える。