(14)
「さっきの人ってあの人でしょ。七々扇千晶先輩!」
弾けるような女子の会話の中で、突如飛び出た身内の名前。
間黒新橋を渡る途中で耳にしたそれに、夕飯の買い物に向かう途中だった暁はぴたりと歩みを止めた。
「あーあ。やっぱり美男美女がくっつくのは自然の摂理ってことかあ」
「あんた、前から槙野先輩のファンだったよね。やっぱ少し複雑?」
「んー。でも七々扇先輩なら許す! さっきも絵になる二人だったし!」
七々扇千晶なんて名前、同姓同名の人間はほぼいないと考えていいだろう。
そういえば今日の千晶は、いつもよりも帰りが遅い。
加えて「槙野先輩」。槙野。
あれ、その名前って確か──。
「あのー。すみません」
「え」
「わ」
橋のふちでガールズトークを繰り広げていた女子高生二人に、暁は思わず声をかけた。
会話の内容から二人とも一年生だろう。一人は繊細かつ計算し尽くされたゆるふわウェーブをなびかせ、もう一人は背中にかかる長さのストレートヘアに白百合のバレッタが留められていた。
カミキリ少女からずばり告げられた、髪の手入れ不行き届きの指摘が頭を過る。
ここまでの女子力は、一生暁が身につけることはないだろう。
「今話していた美男美女さんは、一体どちらにいらっしゃいました?」
「え。どちらにって……ど、どうする由香里」
「というか、あなたは何処のどなたですか?」
案の定、思いっきり不審な目で見られる。
特に美女側のファンと話していたストレートヘアの子は、先ほどまで笑顔から一転、鋭い視線でこちらを睨みつけている。
「あ、急にごめんなさい。私は……」
「アキちゃん?」
え、と三人揃って後ろを振り返る。
暁は手元のスマホを操作するのと、先ほど噂されたばかりの美男美女を目にするのは殆ど同時だった。
「やっぱりアキちゃんだ。こんなところでどうしたの。聞き込みか何か?」
「ううん。たまたま千晶の名前が会話で聞こえたから、つい声をかけちゃって」
「俺の名前?」
「この人は、七々扇くんの家族だよ。中村さん」
千晶の隣合っていた美女が、一年生二人に笑顔で説明してくれる。どうやらストレートの子とは顔見知りらしい。
「あ、そ、そうでしたか……!」
「失礼しましたっ!」
ぽっと頬を赤らめた一年生の二人は、そそくさと坂を駆け上っていく。ああ、やっぱりだ。
「お久しぶりです、アキさん」
「夏帆ちゃん」
槙野先輩と言われた彼女は、以前会ったことのある千晶のクラスメート、槙野夏帆だった。
「はあ? 俺が? 槙野と付き合ってる?」
夕食を囲みながら先ほど耳にした話を伝えると、千晶はこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。
「確かに放課後少し槙野と話し込んだけど。だからってすぐにくっつけようとするのは、さすがに安直すぎない?」
「私が言ったんじゃなくて、先ほどの一年生の子らが話してたの。美男美女でお似合いだって」
「うーん。美男美女なのは認めるけどねえ」
認めるんかい、という突っ込みはないまま、会話は進む。
今夜のメニューは豚骨ラーメン。ずずずと麺をすする男二人の姿が、なんだか妙に幼く見える。
「今日はただ、帰り途中に槙野とばったり会ってさ。何か妙に深刻な顔してたから、ちょっと話を聞いたってだけだよ」
「珍しいこともあるな。お前が人の面倒ごとに首を突っ込むとは。今夜は雨だな」
「……ああ、確かにそうだねえ」
自分でも不思議そうに答える千晶だったが、暁としては夏帆の様子のほうが気になっていた。
先ほど言葉を交わしたときには、いつもと変わらない様子に見えたからだ。
「槙野はああ見えて苦労性でね。美人が故に周りからの期待も高いし、男女問わずファンも多い。だから、何か悩みがあってもうまくガス抜きできないみたい」
「悩み、あるんだ」
「ん。好きな人がいるんだって」
それはとてもシンプルかつ、複雑な悩みだった。
「でも、どうしても気持ちを伝えられない相手らしい。相手が誰かは俺にも話さなかったけど。もう顔を見せられないかもしれないって、すごく辛そうでさ」
顔を見せられない。
どこか変わった言い回しだ、と暁は思った。
さらに言えば、あの夏帆からの告白を無碍にする相手がいるとも思えない。
一体どこの贅沢者だ。
「いやいや、顔が良くても、それだけで告白オーケーされるわけないってば。アキちゃんもしかして、恋バナ疎い?」
「……悪かったな」
さらりと図星を付かれ、目の前のラーメンをずずずとすすり上げる。
「生物学上は女ですけどね。どうせ疎いですよ。こちとら青春らしい青春は、まるで送ってこなかったもので」
「え、そうなの」
「ん、そうなの」
「じゃあもしかして、恋人いたこともないの」
ぐいぐい来るなあこの甥っ子は!
「ないよ。悪いか」
「え。ええ。じゃあじゃあもしかして、アキちゃんってまだ」
「おい。食事時に品のない話題はやめろ」
「えー。烏丸だって気になるでしょ」
「こいつの異性経験に興味はない」
「結局言ってるからね! いいから早く食べなさい!」
噛みつくように言いつけ、空にした器をシンクに置く。
辛うじて熱を帯びていない頬を確かめながら、暁はちゃっちゃと外出準備を整えた。
「それじゃ、話してたとおり今日は私一人で琴美さんの警護に行くから。二人は仲良く家で留守番しててね」
早口で言い残し、暁はさっさと家を出た。
烏丸が予言した通り、雨降りを予感させる湿気った夜だった。
「さっきの人ってあの人でしょ。七々扇千晶先輩!」
弾けるような女子の会話の中で、突如飛び出た身内の名前。
間黒新橋を渡る途中で耳にしたそれに、夕飯の買い物に向かう途中だった暁はぴたりと歩みを止めた。
「あーあ。やっぱり美男美女がくっつくのは自然の摂理ってことかあ」
「あんた、前から槙野先輩のファンだったよね。やっぱ少し複雑?」
「んー。でも七々扇先輩なら許す! さっきも絵になる二人だったし!」
七々扇千晶なんて名前、同姓同名の人間はほぼいないと考えていいだろう。
そういえば今日の千晶は、いつもよりも帰りが遅い。
加えて「槙野先輩」。槙野。
あれ、その名前って確か──。
「あのー。すみません」
「え」
「わ」
橋のふちでガールズトークを繰り広げていた女子高生二人に、暁は思わず声をかけた。
会話の内容から二人とも一年生だろう。一人は繊細かつ計算し尽くされたゆるふわウェーブをなびかせ、もう一人は背中にかかる長さのストレートヘアに白百合のバレッタが留められていた。
カミキリ少女からずばり告げられた、髪の手入れ不行き届きの指摘が頭を過る。
ここまでの女子力は、一生暁が身につけることはないだろう。
「今話していた美男美女さんは、一体どちらにいらっしゃいました?」
「え。どちらにって……ど、どうする由香里」
「というか、あなたは何処のどなたですか?」
案の定、思いっきり不審な目で見られる。
特に美女側のファンと話していたストレートヘアの子は、先ほどまで笑顔から一転、鋭い視線でこちらを睨みつけている。
「あ、急にごめんなさい。私は……」
「アキちゃん?」
え、と三人揃って後ろを振り返る。
暁は手元のスマホを操作するのと、先ほど噂されたばかりの美男美女を目にするのは殆ど同時だった。
「やっぱりアキちゃんだ。こんなところでどうしたの。聞き込みか何か?」
「ううん。たまたま千晶の名前が会話で聞こえたから、つい声をかけちゃって」
「俺の名前?」
「この人は、七々扇くんの家族だよ。中村さん」
千晶の隣合っていた美女が、一年生二人に笑顔で説明してくれる。どうやらストレートの子とは顔見知りらしい。
「あ、そ、そうでしたか……!」
「失礼しましたっ!」
ぽっと頬を赤らめた一年生の二人は、そそくさと坂を駆け上っていく。ああ、やっぱりだ。
「お久しぶりです、アキさん」
「夏帆ちゃん」
槙野先輩と言われた彼女は、以前会ったことのある千晶のクラスメート、槙野夏帆だった。
「はあ? 俺が? 槙野と付き合ってる?」
夕食を囲みながら先ほど耳にした話を伝えると、千晶はこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。
「確かに放課後少し槙野と話し込んだけど。だからってすぐにくっつけようとするのは、さすがに安直すぎない?」
「私が言ったんじゃなくて、先ほどの一年生の子らが話してたの。美男美女でお似合いだって」
「うーん。美男美女なのは認めるけどねえ」
認めるんかい、という突っ込みはないまま、会話は進む。
今夜のメニューは豚骨ラーメン。ずずずと麺をすする男二人の姿が、なんだか妙に幼く見える。
「今日はただ、帰り途中に槙野とばったり会ってさ。何か妙に深刻な顔してたから、ちょっと話を聞いたってだけだよ」
「珍しいこともあるな。お前が人の面倒ごとに首を突っ込むとは。今夜は雨だな」
「……ああ、確かにそうだねえ」
自分でも不思議そうに答える千晶だったが、暁としては夏帆の様子のほうが気になっていた。
先ほど言葉を交わしたときには、いつもと変わらない様子に見えたからだ。
「槙野はああ見えて苦労性でね。美人が故に周りからの期待も高いし、男女問わずファンも多い。だから、何か悩みがあってもうまくガス抜きできないみたい」
「悩み、あるんだ」
「ん。好きな人がいるんだって」
それはとてもシンプルかつ、複雑な悩みだった。
「でも、どうしても気持ちを伝えられない相手らしい。相手が誰かは俺にも話さなかったけど。もう顔を見せられないかもしれないって、すごく辛そうでさ」
顔を見せられない。
どこか変わった言い回しだ、と暁は思った。
さらに言えば、あの夏帆からの告白を無碍にする相手がいるとも思えない。
一体どこの贅沢者だ。
「いやいや、顔が良くても、それだけで告白オーケーされるわけないってば。アキちゃんもしかして、恋バナ疎い?」
「……悪かったな」
さらりと図星を付かれ、目の前のラーメンをずずずとすすり上げる。
「生物学上は女ですけどね。どうせ疎いですよ。こちとら青春らしい青春は、まるで送ってこなかったもので」
「え、そうなの」
「ん、そうなの」
「じゃあもしかして、恋人いたこともないの」
ぐいぐい来るなあこの甥っ子は!
「ないよ。悪いか」
「え。ええ。じゃあじゃあもしかして、アキちゃんってまだ」
「おい。食事時に品のない話題はやめろ」
「えー。烏丸だって気になるでしょ」
「こいつの異性経験に興味はない」
「結局言ってるからね! いいから早く食べなさい!」
噛みつくように言いつけ、空にした器をシンクに置く。
辛うじて熱を帯びていない頬を確かめながら、暁はちゃっちゃと外出準備を整えた。
「それじゃ、話してたとおり今日は私一人で琴美さんの警護に行くから。二人は仲良く家で留守番しててね」
早口で言い残し、暁はさっさと家を出た。
烏丸が予言した通り、雨降りを予感させる湿気った夜だった。