(7)
「……ん。ありがと」
礼を告げた甥の顔は、思った以上に近距離だった。
ふんわり柔らかく微笑む千晶は暁より余程可愛らしく、胸をじんわり温めるものがある。
時折垣間見える問題児な面もあるが、それも許せてしまうのが千晶の天性の愛嬌だった。
自分もすっかり千晶に毒されてるな、と暁は思う。
「烏丸も、着物姿で寒くない? 私のパーカで良ければ貸すよ」
「いらん。それを脱いだとして、お前のほうが余程薄着だろうが」
「でも仕事を手伝ってもらってる身だし、烏丸にだって風邪引いてほしくないし」
「……今俺の姿は、お前たちにしか見えていない。それをまとえば、パーカが宙を浮きながらお前を追うことになるが」
「……うん。やめとこうか」
思い描いた怪奇現象を素直に回避したのと同時に、依頼主からの連絡が入った。そろそろ勤務先を出るらしい。
「さてと。万一犯人が出ても、下手に単独で動かないように。わかった?」
ワイヤレスのイヤホンマイクを耳に装着する。
すでに声のトーンを抑えて告げた暁に、目の前の美形二人は視線で頷いた。
『……そ、いえば、今週も来ませんでしたねえ』
『まあ、学生さんも色々と忙しいでしょうからね。それじゃあ、失礼します』
『あ。帰り道気をつけてよ、琴美ちゃん。例の嫌がらせのこともあるし』
『ありがとうございます店長』
少しの雑音のあと、聞き覚えのある声を交えた会話が耳に入ってきた。
琴美にあらかじめ装着してもらった受信機とイヤホンマイクも、調子はすこぶる良好のようだ。
しばらくの間は、イヤホンで会話をしながら帰宅時の追尾をする予定だ。
琴美が美容室を出るタイミングを見計らって、暁たちは距離を保ちながら姿を追った。
「お疲れさまです西岡さん。希望があればもっと近くからご自宅にお送りしますが、どうしましょうか」
『あ、大丈夫です。ただ少しだけ緊張してますけど……』
イヤホンから聞こえる声は、確かに緊張からか強張りが感じられる。
嫌がらせ被害に加えて、ほぼ他人の暁との通話も加わったのだ。
慣れないことずくしで肩に力も入るだろう。暁は小さく笑みを漏らした。
「大丈夫。なにかあれば私がいますから、安心してくださいね」
『七々扇さん……』
「さてと。では女子同士らしく、少し世間話でもしながら帰りましょうか。会話に集中しすぎて、信号を見逃すことだけは気をつけて」
『……はい! ありがとうございます』
よかった。沈んだ声色に明るさが僅かに戻った。
「……すごいね。アキちゃん、さすがプロって感じ」
「ん?」
実際話した言葉は、今は琴美に筒抜けになってしまう。
視線だけで隣を歩く千晶に疑問を投げるも、千晶は笑顔で肩をすくめただけだった。
さて。今夜犯人は、その尻尾を見せてくれるだろうか。
「へえ。そんなに忙しいんじゃ、昼食もまともに食べられないんじゃないですか?」
『そうなんですよー。仕事はお互い代わる代わるの進行なので、食べれたとしても裏の部屋でほぼ立ち食いですね』
「華やかそうに見えますけれど、美容師さんもやっぱり体力仕事ですねえ」
『お金を稼ぐって、本当大変ですよねえ』
「いや、本当に」
イヤホン越しに可愛らしく笑みを漏らす琴美から、徐々に緊張がほぐれていくのがわかる。
普段は客中心の会話になることの多い職業だ。もてなす必要のないとりとめない会話が新鮮なのかもしれない。
「お店のホームページも拝見しました。琴美さん、かなり腕を買われているんですね。予約サイトでの評価も、かなり高いようでした」
暁が覗いた大手予約サイトの評価は、実際にネット予約で訪れた客限定で評価をすることができる。
そのためその予約サイトは、今回の嫌がらせ犯に評価を荒らされることはなかった。
『それはとても有り難いんですけれど……でも、まだまだです』
「いいんですよ、謙遜しなくても。ここまで技術職でやってこられたのは本当に」
『謙遜じゃないんですっ。私、本当、ダメダメで……』
「……琴美さん?」
え。泣いてる?
とっさに目の前を歩く彼女の仕草を確認する。どうやら、涙を流すまでは至っていないようだ。
『すみません。実は、今回のこととはまったく別件で、少し落ち込んでいて』
「別件でもなんでも、構いませんよ。言ったでしょう? これはただの世間話ですから」
『……ありがとうございます、七々扇さん』
琴美が語った世間話の内容は、仕事関係の悩みだった。
ここ数年琴美を指名し続けてくれていたある顧客が、突然訪れなくなったのだという。
『お客さまが他店に移るなんてよくあることで、落ち込んでいたらやっていられないくらいの出来事なんです。でも……あの子には私、思っていた以上に思い入れがあったみたいで』
「あの子、というと年下の方ですか?」
『高校生の女の子です。確か、間黒南高の二年生って言ってたかな』
ふと隣と歩く甥に視線を向けた。あらま。同じ学校じゃないか。
『すごく綺麗な子で、さらさらなロングヘアがとても素敵で。いつもほぼ二ヶ月おきに予約が入っていたんですが……四ヶ月経っても連絡がないんです』
二ヶ月おきに美容室か。
少しでも伸びたら自分でカットしてしまう自分には、縁遠いスケジュールだ。
「急な引っ越しとも考えられますが……何かあったんでしょうか」
『それが理由がわからなくて。もしかしたら前回の来店で、私が何か粗相をしてしまったのかも……、えっ?』
「琴美さん?」
会話の途中に唐突に弾けた疑問符に、目を見開く。
「アキちゃん!」
遠くなる甥の呼びかけをそのままに、ほとんど無意識に暁は地面を強く蹴り上げていた。
女一人に男二人。
男のほうは大学生といったところか。品定めするような目つきに調子の良さそうな口元は、女を困惑させるのには十分な光景だった。
「ちょっと待って、お兄さんたち」
「わっ、なんだよお前」
「この子の知り合いか?」
不快そうに上がる声を一切無視して、暁は目の前の細い肩をぐいっと抱き寄せた。
女性特有のほのかな香りとともに、はっと息をのむ気配まで胸の中に素早く閉じ込める。
その瞬間、周囲からもかすかに色めき立つような視線が集まった。
「残念だけど、この人はこれから『俺』と大事な話の続きなんだ。だからナンパはお断り」
「……ん。ありがと」
礼を告げた甥の顔は、思った以上に近距離だった。
ふんわり柔らかく微笑む千晶は暁より余程可愛らしく、胸をじんわり温めるものがある。
時折垣間見える問題児な面もあるが、それも許せてしまうのが千晶の天性の愛嬌だった。
自分もすっかり千晶に毒されてるな、と暁は思う。
「烏丸も、着物姿で寒くない? 私のパーカで良ければ貸すよ」
「いらん。それを脱いだとして、お前のほうが余程薄着だろうが」
「でも仕事を手伝ってもらってる身だし、烏丸にだって風邪引いてほしくないし」
「……今俺の姿は、お前たちにしか見えていない。それをまとえば、パーカが宙を浮きながらお前を追うことになるが」
「……うん。やめとこうか」
思い描いた怪奇現象を素直に回避したのと同時に、依頼主からの連絡が入った。そろそろ勤務先を出るらしい。
「さてと。万一犯人が出ても、下手に単独で動かないように。わかった?」
ワイヤレスのイヤホンマイクを耳に装着する。
すでに声のトーンを抑えて告げた暁に、目の前の美形二人は視線で頷いた。
『……そ、いえば、今週も来ませんでしたねえ』
『まあ、学生さんも色々と忙しいでしょうからね。それじゃあ、失礼します』
『あ。帰り道気をつけてよ、琴美ちゃん。例の嫌がらせのこともあるし』
『ありがとうございます店長』
少しの雑音のあと、聞き覚えのある声を交えた会話が耳に入ってきた。
琴美にあらかじめ装着してもらった受信機とイヤホンマイクも、調子はすこぶる良好のようだ。
しばらくの間は、イヤホンで会話をしながら帰宅時の追尾をする予定だ。
琴美が美容室を出るタイミングを見計らって、暁たちは距離を保ちながら姿を追った。
「お疲れさまです西岡さん。希望があればもっと近くからご自宅にお送りしますが、どうしましょうか」
『あ、大丈夫です。ただ少しだけ緊張してますけど……』
イヤホンから聞こえる声は、確かに緊張からか強張りが感じられる。
嫌がらせ被害に加えて、ほぼ他人の暁との通話も加わったのだ。
慣れないことずくしで肩に力も入るだろう。暁は小さく笑みを漏らした。
「大丈夫。なにかあれば私がいますから、安心してくださいね」
『七々扇さん……』
「さてと。では女子同士らしく、少し世間話でもしながら帰りましょうか。会話に集中しすぎて、信号を見逃すことだけは気をつけて」
『……はい! ありがとうございます』
よかった。沈んだ声色に明るさが僅かに戻った。
「……すごいね。アキちゃん、さすがプロって感じ」
「ん?」
実際話した言葉は、今は琴美に筒抜けになってしまう。
視線だけで隣を歩く千晶に疑問を投げるも、千晶は笑顔で肩をすくめただけだった。
さて。今夜犯人は、その尻尾を見せてくれるだろうか。
「へえ。そんなに忙しいんじゃ、昼食もまともに食べられないんじゃないですか?」
『そうなんですよー。仕事はお互い代わる代わるの進行なので、食べれたとしても裏の部屋でほぼ立ち食いですね』
「華やかそうに見えますけれど、美容師さんもやっぱり体力仕事ですねえ」
『お金を稼ぐって、本当大変ですよねえ』
「いや、本当に」
イヤホン越しに可愛らしく笑みを漏らす琴美から、徐々に緊張がほぐれていくのがわかる。
普段は客中心の会話になることの多い職業だ。もてなす必要のないとりとめない会話が新鮮なのかもしれない。
「お店のホームページも拝見しました。琴美さん、かなり腕を買われているんですね。予約サイトでの評価も、かなり高いようでした」
暁が覗いた大手予約サイトの評価は、実際にネット予約で訪れた客限定で評価をすることができる。
そのためその予約サイトは、今回の嫌がらせ犯に評価を荒らされることはなかった。
『それはとても有り難いんですけれど……でも、まだまだです』
「いいんですよ、謙遜しなくても。ここまで技術職でやってこられたのは本当に」
『謙遜じゃないんですっ。私、本当、ダメダメで……』
「……琴美さん?」
え。泣いてる?
とっさに目の前を歩く彼女の仕草を確認する。どうやら、涙を流すまでは至っていないようだ。
『すみません。実は、今回のこととはまったく別件で、少し落ち込んでいて』
「別件でもなんでも、構いませんよ。言ったでしょう? これはただの世間話ですから」
『……ありがとうございます、七々扇さん』
琴美が語った世間話の内容は、仕事関係の悩みだった。
ここ数年琴美を指名し続けてくれていたある顧客が、突然訪れなくなったのだという。
『お客さまが他店に移るなんてよくあることで、落ち込んでいたらやっていられないくらいの出来事なんです。でも……あの子には私、思っていた以上に思い入れがあったみたいで』
「あの子、というと年下の方ですか?」
『高校生の女の子です。確か、間黒南高の二年生って言ってたかな』
ふと隣と歩く甥に視線を向けた。あらま。同じ学校じゃないか。
『すごく綺麗な子で、さらさらなロングヘアがとても素敵で。いつもほぼ二ヶ月おきに予約が入っていたんですが……四ヶ月経っても連絡がないんです』
二ヶ月おきに美容室か。
少しでも伸びたら自分でカットしてしまう自分には、縁遠いスケジュールだ。
「急な引っ越しとも考えられますが……何かあったんでしょうか」
『それが理由がわからなくて。もしかしたら前回の来店で、私が何か粗相をしてしまったのかも……、えっ?』
「琴美さん?」
会話の途中に唐突に弾けた疑問符に、目を見開く。
「アキちゃん!」
遠くなる甥の呼びかけをそのままに、ほとんど無意識に暁は地面を強く蹴り上げていた。
女一人に男二人。
男のほうは大学生といったところか。品定めするような目つきに調子の良さそうな口元は、女を困惑させるのには十分な光景だった。
「ちょっと待って、お兄さんたち」
「わっ、なんだよお前」
「この子の知り合いか?」
不快そうに上がる声を一切無視して、暁は目の前の細い肩をぐいっと抱き寄せた。
女性特有のほのかな香りとともに、はっと息をのむ気配まで胸の中に素早く閉じ込める。
その瞬間、周囲からもかすかに色めき立つような視線が集まった。
「残念だけど、この人はこれから『俺』と大事な話の続きなんだ。だからナンパはお断り」