(6)
苦笑する暁を睨むように、烏丸の強い眼差しが突き刺さる。
それはまるで人を見定めるような視線で、軽口を紡ぐ口も自然と閉ざされた。
もともと薄明かりだった部屋に、窓から白濁の月明かりが注がれる。
月光を浴びた男の姿はあまりに扇情的で、ああ、本当に美しいあやかしなのだな──と改めて認識させられた。
「成長がねえな。お前も」
「え?」
思わずこぼれたらしい言葉は、見た目相応の気安い話し口調だった。
千晶以外にはあまり向けられないそれはまるで気を許され始めた印のようで、胸に淡く喜びが通うのを感じる。
そんな暁の心情を見透かしたように、烏丸がすっと目を細めた。
「何故だろうな。お前が笑うのを見ると、胃が妙にむかむかしてくるのは」
「ふふ。それじゃあ、胃に優しいホットミルクでも作ろうか。もちろんハチミツ入りで」
「お前、俺がハチミツでなんでも釣れるとでも?」
「あ、本当にいらない?」
「いる」
顔をむっつりさせた烏丸が、ソファーにだらりとふん反り返る。
やっぱり、百歳越えの子どもだな。笑っていることを悟られないように注意しながら、暁は冷蔵庫からそっと牛乳を取り出した。
◇◇◇
コップに注がれた白い液体を、最後まで飲み干す。
これを手渡した人物が寝室に消えたのを確認すると、底に溜まった食欲そそるハチミツ色の見つめ、烏丸はシンクへと向かった。
この建物は、千晶の叔母──暁の持ち家らしい。
二十代の独身女がどういったいきさつでこの不動産を手に入れたのかは不明だが、他人の家に居座っている以上、洗い物のひとつ位しておくのが礼儀だ。
シンクで適当にスポンジを滑らせ、コップは水切りかごに置いた。他のコップに倣い左側に逆さに伏せておく。
烏丸はふと自分の右手に視線を落とした。
次の止まり木として暁に白羽の矢が立ったとき、薄らいでいたはずの記憶が呼び起こされた。
それは嵐の中、泥まみれの山道をひたすら裸足で蹴っていた人間の姿。
千晶は妙に暁を気に入っている。
その懐きようは今までの経験からは考えられないほどで、それが一層、烏丸の警戒心を煽った。
あの馬鹿が今度こそ行き場を失えば、迷惑を被るのは自分なのだ。
──ただ……ありがとう。
──私の甥っ子を、大切に思ってくれて。
「……珍妙な女め」
昔のことだ。
あんなもんに自分は簡単に絆されん。
小さく呟くと、男の姿は静かに月光の溢れる空へ消えていった。
◇◇◇
翌日の夜。
美容室近くのファミレスで、暁は琴美の帰宅時間を待っていた。
依頼主からは、美容室を出る前に連絡が来る手はずになっている。美容室の営業時間はもう終えたし、そろそろ頃合いだろう。
「烏丸。そろそろ出るから準備しておいてね」
「あー」
他人様に目につかない状態になっているらしい烏丸が、気のない返事をする。
「そして千晶。君はいい加減、家にお帰りなさい」
「い・や・だ。何で俺一人が除け者なの。烏丸が行くなら、俺も行く!」
来店時は暁と烏丸の二人だったボックス席に、何故か留守番を任されたはずの甥の姿があった。
テーブルに頬杖をついて、すっかりふて腐れている。
「あのね、今回の仕事は目立たないのが第一の仕事なの。超絶イケメンの君がいたら仕事にならないの。分かる?」
「大丈夫だよ。前にアキちゃんから借りた、この顔隠し用のキャップがあるから」
カバンから取り出した帽子をぽすんと被り、千晶はどうだと言わんばかりに笑顔を向ける。
確かに比較的ましにはなるが、超絶イケメンから帽子を被ったイケメンになるだけの話だ。
隠したいものの半分も隠しきれていない。
「それにさ。イケメンが問題って言うなら……アキちゃんのほうもなかなかだと思うけど?」
「ん? なにが?」
物言いたげな視線を向けられ、暁は自らの服装を見直す。
今の服装は普段に増して地味にまとまっているはずだ。
グレー調のカットソーとジーンズをほとんど覆うような、オーバーサイズのマウンテンパーカ。
頭にはキャップが見つからなかったため、黒のワークキャップを深く乗せていた。
何か問題があるだろうか。
首を傾げる暁に千晶は烏丸に視線を寄越し、烏丸は面倒そうにそれを受け流した。
「なるほどね。無自覚イケメンだ」
「はい?」
「まあいいや。無自覚イケメンは俺らが守ればいいし。ね、烏丸?」
「俺に話を振るな」
最終的に、暁は千晶を帰宅させる説得を諦めた。
色々とうるさく言ったが、千晶が仕事の邪魔をするような失態を冒すとは思えない。
叔母馬鹿と言われればそれまでだが、その辺りは暁よりも余程その場の判断が的確だろうと思う。
加えて、顔隠しのキャップもそうだが、その服装も高校生を思わせる若々しさは殆どなかった。
どちらかというと大学生か社会人を思わせる、落ち着いたシャツとチノパンにジャケット。もしかしたら、わざと大人っぽいものを選んできたのかもしれない。
運悪く未成年者補導の憂き目に遭うとするならば、それの対象は恐らく暁のほうだ。
「時間だね。そろそろ出るよ。それと千晶、ちょっと待った」
リュックから取り出したストールを、千晶の首元にくるりと巻き付ける。
幸いこちらも地味なグレーを選んだため、男の千晶にも問題なく馴染んだ。
「いくら若くて丈夫と言っても、今夜は少し冷えるみたいだから。風邪引いちゃ駄目だよ」
苦笑する暁を睨むように、烏丸の強い眼差しが突き刺さる。
それはまるで人を見定めるような視線で、軽口を紡ぐ口も自然と閉ざされた。
もともと薄明かりだった部屋に、窓から白濁の月明かりが注がれる。
月光を浴びた男の姿はあまりに扇情的で、ああ、本当に美しいあやかしなのだな──と改めて認識させられた。
「成長がねえな。お前も」
「え?」
思わずこぼれたらしい言葉は、見た目相応の気安い話し口調だった。
千晶以外にはあまり向けられないそれはまるで気を許され始めた印のようで、胸に淡く喜びが通うのを感じる。
そんな暁の心情を見透かしたように、烏丸がすっと目を細めた。
「何故だろうな。お前が笑うのを見ると、胃が妙にむかむかしてくるのは」
「ふふ。それじゃあ、胃に優しいホットミルクでも作ろうか。もちろんハチミツ入りで」
「お前、俺がハチミツでなんでも釣れるとでも?」
「あ、本当にいらない?」
「いる」
顔をむっつりさせた烏丸が、ソファーにだらりとふん反り返る。
やっぱり、百歳越えの子どもだな。笑っていることを悟られないように注意しながら、暁は冷蔵庫からそっと牛乳を取り出した。
◇◇◇
コップに注がれた白い液体を、最後まで飲み干す。
これを手渡した人物が寝室に消えたのを確認すると、底に溜まった食欲そそるハチミツ色の見つめ、烏丸はシンクへと向かった。
この建物は、千晶の叔母──暁の持ち家らしい。
二十代の独身女がどういったいきさつでこの不動産を手に入れたのかは不明だが、他人の家に居座っている以上、洗い物のひとつ位しておくのが礼儀だ。
シンクで適当にスポンジを滑らせ、コップは水切りかごに置いた。他のコップに倣い左側に逆さに伏せておく。
烏丸はふと自分の右手に視線を落とした。
次の止まり木として暁に白羽の矢が立ったとき、薄らいでいたはずの記憶が呼び起こされた。
それは嵐の中、泥まみれの山道をひたすら裸足で蹴っていた人間の姿。
千晶は妙に暁を気に入っている。
その懐きようは今までの経験からは考えられないほどで、それが一層、烏丸の警戒心を煽った。
あの馬鹿が今度こそ行き場を失えば、迷惑を被るのは自分なのだ。
──ただ……ありがとう。
──私の甥っ子を、大切に思ってくれて。
「……珍妙な女め」
昔のことだ。
あんなもんに自分は簡単に絆されん。
小さく呟くと、男の姿は静かに月光の溢れる空へ消えていった。
◇◇◇
翌日の夜。
美容室近くのファミレスで、暁は琴美の帰宅時間を待っていた。
依頼主からは、美容室を出る前に連絡が来る手はずになっている。美容室の営業時間はもう終えたし、そろそろ頃合いだろう。
「烏丸。そろそろ出るから準備しておいてね」
「あー」
他人様に目につかない状態になっているらしい烏丸が、気のない返事をする。
「そして千晶。君はいい加減、家にお帰りなさい」
「い・や・だ。何で俺一人が除け者なの。烏丸が行くなら、俺も行く!」
来店時は暁と烏丸の二人だったボックス席に、何故か留守番を任されたはずの甥の姿があった。
テーブルに頬杖をついて、すっかりふて腐れている。
「あのね、今回の仕事は目立たないのが第一の仕事なの。超絶イケメンの君がいたら仕事にならないの。分かる?」
「大丈夫だよ。前にアキちゃんから借りた、この顔隠し用のキャップがあるから」
カバンから取り出した帽子をぽすんと被り、千晶はどうだと言わんばかりに笑顔を向ける。
確かに比較的ましにはなるが、超絶イケメンから帽子を被ったイケメンになるだけの話だ。
隠したいものの半分も隠しきれていない。
「それにさ。イケメンが問題って言うなら……アキちゃんのほうもなかなかだと思うけど?」
「ん? なにが?」
物言いたげな視線を向けられ、暁は自らの服装を見直す。
今の服装は普段に増して地味にまとまっているはずだ。
グレー調のカットソーとジーンズをほとんど覆うような、オーバーサイズのマウンテンパーカ。
頭にはキャップが見つからなかったため、黒のワークキャップを深く乗せていた。
何か問題があるだろうか。
首を傾げる暁に千晶は烏丸に視線を寄越し、烏丸は面倒そうにそれを受け流した。
「なるほどね。無自覚イケメンだ」
「はい?」
「まあいいや。無自覚イケメンは俺らが守ればいいし。ね、烏丸?」
「俺に話を振るな」
最終的に、暁は千晶を帰宅させる説得を諦めた。
色々とうるさく言ったが、千晶が仕事の邪魔をするような失態を冒すとは思えない。
叔母馬鹿と言われればそれまでだが、その辺りは暁よりも余程その場の判断が的確だろうと思う。
加えて、顔隠しのキャップもそうだが、その服装も高校生を思わせる若々しさは殆どなかった。
どちらかというと大学生か社会人を思わせる、落ち着いたシャツとチノパンにジャケット。もしかしたら、わざと大人っぽいものを選んできたのかもしれない。
運悪く未成年者補導の憂き目に遭うとするならば、それの対象は恐らく暁のほうだ。
「時間だね。そろそろ出るよ。それと千晶、ちょっと待った」
リュックから取り出したストールを、千晶の首元にくるりと巻き付ける。
幸いこちらも地味なグレーを選んだため、男の千晶にも問題なく馴染んだ。
「いくら若くて丈夫と言っても、今夜は少し冷えるみたいだから。風邪引いちゃ駄目だよ」