(4)
久しぶりに持ち込まれた人間からの依頼は、それから数日後のことだった。
「すみません。ただのイタズラかもしれないことに、わざわざ時間を頂いて」
「それが仕事ですから。そこで恐縮されたら、逆にこちらの仕事がなくなってしまいますので、どうぞお気軽に」
からっと言い放った暁に、依頼主は少し肩の力が抜けた様子を見せた。
依頼主には、依頼することが申し訳ないと考えるものが一定数いる。
確かに暁の事務所は初回相談は無料を謳っているが、それは互いの信頼関係を結べるか否かを図るためだ。
次回はしっかり料金を受け取るし、尻込みする必要はどこにもない。
飲み物の好みを尋ねたあと、暁はレモンティーと茶菓子を添えて再びソファー席に戻った。「さて、西岡さん」
「概要はお聞きしましたが、なかなかしつこいイタズラのようですね。イタズラというには、度が過ぎてるとも思いますが」
依頼内容を書き出したメモを眺め、暁は眉をしかめる。
依頼主は西岡琴美、二十五歳。
間黒駅近くの美容室で美容師として勤務しているらしい。
目の前のソファーに腰掛ける彼女は、派手すぎず地味すぎずの絶妙なヘアスタイルと身なりを整えていた。
美容師はその力を納得してもらうため、まずは外見から整えなければならないのだろう。
そんな彼女の話によると、はじまりは二ヶ月前。勤務先からの帰宅途中に、人に尾けられている気配を感じるようになったのだという。
「最初はただの勘違いかと思っていたんです。でも一ヶ月前辺りから、自宅に無記名の手紙が何通も送られてくるようになったり、職場に無言電話がかかるようになったり。最近では、美容室のネットレビューに私宛に批判が書き込まれるようになってしまって、職場にまで迷惑が……」
説明の後、差し出されたのは件の手紙だった。
消印も切手もない無記名の白い封筒。
中の便せんにはパソコン文字で中傷文字が記されていた。消えろ、職場を辞めろ、許さない──ドラマや映画で散々使い古された、語彙力のない言葉の羅列だ。
「クソみたいな脅し文句ですねえ」
「え?」
「え?」
ああまずい。口に出ていた。
表情を固定したままぱっと口を手で覆うも、すでに遅い。
そんな暁をぽかんと見つめた琴美は、しばらくすると小さく吹き出した。
「あ、はははっ。確かにそうですよね。改めて見てみると、なんだかすごく馬鹿っぽい文面かも」
「えっと。すみません」
「いいんですよー。お陰で少しだけ心が軽くなりました」
にぱっと微笑む琴美からは、接客業には不可欠の愛嬌が滲んでいる。
暁がいうのもなんだが、笑うと少し幼い。
切り揃えられた短めの前髪の下で、つぶらな瞳にわずかに明るさが戻った。
「それじゃアキちゃん、明日からその人の帰宅時に同行するの?」
「うん。依頼主のシフト次第だけど、大体夜九時から十時あたりね」
夕食時。
しばらく夜出掛ける旨を説明すると、千晶はあからさまに眉を寄せた。
「それって何か危なくない? 警察に任せた方がよくない?」
「警察沙汰にするには踏ん切りがつかないことも、世の中にはたくさんあるのだよ。高校生」
とはいえ、今手元にある情報では、どうも犯人像が浮かんでこない。
真っ先に想定されたのはストーカーだが、本人に思い当たる節はないらしい。
美容師の仕事は忙しい。さらに専門学校時代からバイトを掛け持ちしていた彼女は、今まで恋人がいたことがないのだと明かしてくれた。
合コンの参加経験もなく、異性の知り合いはと問われれば職場スタッフか客くらいだという。ちなみに暁も合コンの参加経験はない。
「実際犯人とご対面できれば、解決も早まるんだけどねえ」
「ちょっと待ってよ。それで逆にアキちゃんが襲われちゃったらどうするわけ?」
「うん? ぶちのめす」
さらっと告げた暁に、千晶は「えー……」と食事の手を止めた。
その隣の席からは、黙々と食事を進めていた烏丸が「物騒な女だな」と吐き捨てる。
「そうかな? じゃあ聞くけど、女性に陰湿な嫌がらせを繰り返す輩がいたとして、君たちはどう対応する?」
「え、特になにも」
「どうして俺が手を貸す必要がある?」
「……ごめん。聞く相手を間違えた」
この二人と共同生活を始めて、気づいたことが一つある。
それはこの二人が他人様への関心が相当に薄いということだ。
烏丸はそもそも人間を好んでいないらしく、基本的に屋根の上から見下して過ごしている。
その姿も食事係の暁には便宜上見せているが、他の人間には基本的に目につかないようにしているらしい。
そして一見人懐こい甥もまた、一筋縄ではいかなかった。
高校生活では支障なく人付き合いをしているようだが、何か透明な壁で自らを囲っているように感じられる。
それはまるで、学生時代の暁自身のように。「あ、そうだ!」
「烏丸。アキちゃんの代わりに、お前が依頼主の警護をしてやってよ。夜目もきくし空も飛べるし。まさに適任じゃない?」
「断る。そんな面倒ごとを引き受ける道理はない」
「どうせ暇でしょ。毎日延々ハチミツ食べてるだけじゃん。このハチミツニート」
「誰がハチミツニートだ、ああ?」
「ちょっとちょっと。食事中に喧嘩するなら、窓から放り出すよ?」
これまたさらっと告げた暁に、二人の口がピタリと止まる。
二人はしばらくにらみ合ったあと、ほぼ同時に視線を外した。相変わらず仲がいいのか悪いのかわからない。
「あとね。気持ちは有り難いけれど手出し無用だから。これは私の仕事だからね」
「……アキちゃんにもしものことがあったら、俺はまた一人だよ」
久しぶりに持ち込まれた人間からの依頼は、それから数日後のことだった。
「すみません。ただのイタズラかもしれないことに、わざわざ時間を頂いて」
「それが仕事ですから。そこで恐縮されたら、逆にこちらの仕事がなくなってしまいますので、どうぞお気軽に」
からっと言い放った暁に、依頼主は少し肩の力が抜けた様子を見せた。
依頼主には、依頼することが申し訳ないと考えるものが一定数いる。
確かに暁の事務所は初回相談は無料を謳っているが、それは互いの信頼関係を結べるか否かを図るためだ。
次回はしっかり料金を受け取るし、尻込みする必要はどこにもない。
飲み物の好みを尋ねたあと、暁はレモンティーと茶菓子を添えて再びソファー席に戻った。「さて、西岡さん」
「概要はお聞きしましたが、なかなかしつこいイタズラのようですね。イタズラというには、度が過ぎてるとも思いますが」
依頼内容を書き出したメモを眺め、暁は眉をしかめる。
依頼主は西岡琴美、二十五歳。
間黒駅近くの美容室で美容師として勤務しているらしい。
目の前のソファーに腰掛ける彼女は、派手すぎず地味すぎずの絶妙なヘアスタイルと身なりを整えていた。
美容師はその力を納得してもらうため、まずは外見から整えなければならないのだろう。
そんな彼女の話によると、はじまりは二ヶ月前。勤務先からの帰宅途中に、人に尾けられている気配を感じるようになったのだという。
「最初はただの勘違いかと思っていたんです。でも一ヶ月前辺りから、自宅に無記名の手紙が何通も送られてくるようになったり、職場に無言電話がかかるようになったり。最近では、美容室のネットレビューに私宛に批判が書き込まれるようになってしまって、職場にまで迷惑が……」
説明の後、差し出されたのは件の手紙だった。
消印も切手もない無記名の白い封筒。
中の便せんにはパソコン文字で中傷文字が記されていた。消えろ、職場を辞めろ、許さない──ドラマや映画で散々使い古された、語彙力のない言葉の羅列だ。
「クソみたいな脅し文句ですねえ」
「え?」
「え?」
ああまずい。口に出ていた。
表情を固定したままぱっと口を手で覆うも、すでに遅い。
そんな暁をぽかんと見つめた琴美は、しばらくすると小さく吹き出した。
「あ、はははっ。確かにそうですよね。改めて見てみると、なんだかすごく馬鹿っぽい文面かも」
「えっと。すみません」
「いいんですよー。お陰で少しだけ心が軽くなりました」
にぱっと微笑む琴美からは、接客業には不可欠の愛嬌が滲んでいる。
暁がいうのもなんだが、笑うと少し幼い。
切り揃えられた短めの前髪の下で、つぶらな瞳にわずかに明るさが戻った。
「それじゃアキちゃん、明日からその人の帰宅時に同行するの?」
「うん。依頼主のシフト次第だけど、大体夜九時から十時あたりね」
夕食時。
しばらく夜出掛ける旨を説明すると、千晶はあからさまに眉を寄せた。
「それって何か危なくない? 警察に任せた方がよくない?」
「警察沙汰にするには踏ん切りがつかないことも、世の中にはたくさんあるのだよ。高校生」
とはいえ、今手元にある情報では、どうも犯人像が浮かんでこない。
真っ先に想定されたのはストーカーだが、本人に思い当たる節はないらしい。
美容師の仕事は忙しい。さらに専門学校時代からバイトを掛け持ちしていた彼女は、今まで恋人がいたことがないのだと明かしてくれた。
合コンの参加経験もなく、異性の知り合いはと問われれば職場スタッフか客くらいだという。ちなみに暁も合コンの参加経験はない。
「実際犯人とご対面できれば、解決も早まるんだけどねえ」
「ちょっと待ってよ。それで逆にアキちゃんが襲われちゃったらどうするわけ?」
「うん? ぶちのめす」
さらっと告げた暁に、千晶は「えー……」と食事の手を止めた。
その隣の席からは、黙々と食事を進めていた烏丸が「物騒な女だな」と吐き捨てる。
「そうかな? じゃあ聞くけど、女性に陰湿な嫌がらせを繰り返す輩がいたとして、君たちはどう対応する?」
「え、特になにも」
「どうして俺が手を貸す必要がある?」
「……ごめん。聞く相手を間違えた」
この二人と共同生活を始めて、気づいたことが一つある。
それはこの二人が他人様への関心が相当に薄いということだ。
烏丸はそもそも人間を好んでいないらしく、基本的に屋根の上から見下して過ごしている。
その姿も食事係の暁には便宜上見せているが、他の人間には基本的に目につかないようにしているらしい。
そして一見人懐こい甥もまた、一筋縄ではいかなかった。
高校生活では支障なく人付き合いをしているようだが、何か透明な壁で自らを囲っているように感じられる。
それはまるで、学生時代の暁自身のように。「あ、そうだ!」
「烏丸。アキちゃんの代わりに、お前が依頼主の警護をしてやってよ。夜目もきくし空も飛べるし。まさに適任じゃない?」
「断る。そんな面倒ごとを引き受ける道理はない」
「どうせ暇でしょ。毎日延々ハチミツ食べてるだけじゃん。このハチミツニート」
「誰がハチミツニートだ、ああ?」
「ちょっとちょっと。食事中に喧嘩するなら、窓から放り出すよ?」
これまたさらっと告げた暁に、二人の口がピタリと止まる。
二人はしばらくにらみ合ったあと、ほぼ同時に視線を外した。相変わらず仲がいいのか悪いのかわからない。
「あとね。気持ちは有り難いけれど手出し無用だから。これは私の仕事だからね」
「……アキちゃんにもしものことがあったら、俺はまた一人だよ」