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 そう続けた甥っ子に、自身の不覚を思い知る。

 よろず屋を始めてすぐに、(さらし)を巻き胸の膨らみを消すことを決めた。
「女」を目的に馬鹿げた仕事を持ち込まれることを防ぐためだ。

 幸い、体のラインが出ないラフな服装は暁の好みと合致していた。
 尻はもともと男を惹き付けるものではなかったので、そのままで問題ない。

 でもまさか、一週間もしないうちに甥っ子に見破られてしまうとは。

「大丈夫だよ。誰にも話したりしないから」
「……そうしていただけると、助かります」
「俺としても、ますますアキちゃん人気が溢れたら困るしね」

 何が困るのかはよくわからなかったが、そのまま暁も頷いた。

「業種的には、あまり目立たないほうが望ましいからね。危ない芽は摘んでおくに限るのよ」

「なるほどね」と千晶は手を打った。

「もしかして、俺に帽子をかぶせてるのもそれが理由?」
「こらこら、顔を見せるなイケメン君」

 目の前のつばをくいっと持ち上げた千晶に、慌てて元に戻させる。
 校内に入る直前、暁がわざわざ家から持ってきた顔隠し用の紺色キャップだ。

 暁一人でもこの反応なのに、加えて甥を堂々と連れてる場面を想像してみよう。
 うわあいやだ。暁はぶるぶると首を振る。
 今校内にいる全女子高生の黄色い歓声に包囲されること山の如しだ。

「無事に今日を終えたければ、職員室までそのイケメン臭は閉じ込めておいてくれよ」
「臭って……初めて言われたかも」

 甥っ子の小さな批難をまるっと無視して、暁は馴染みの校内をそそくさと進んでいった。



「いやあ、それにしても七々扇さんに、こんな優秀な甥っ子さんがいらっしゃったとはねえ」

 必要な書類手続きが済んだあと、担任となる田中先生がにこにこと千晶を眺めた。

 優秀、という言葉に誇張はなかった。
 見せてもらった転校の際の編入試験で、隣の甥っ子はほぼ満点をたたき出していたことが記されていた。
 授業ノートを暗記すれば乗り切れる定期テストとは違う、純粋な学力を見られる編入試験でほぼ満点。

 まじかよ、と暁は思う。
 私も、こんな優秀な甥っ子さんがいらっしゃったとは知りませんでした。

「七々扇さんが我が校で引き起こしている数々の潜入事件──いや失礼、数々の問題行動は、この子とは何もゆかりのないことです。我々がしっかり高校生活をサポートさせていただきますよ!」
「……そういえばその後、奥様の疑念は再燃してはいませんか、田中先生」
「こらっ、生徒の前でいらないことを言わない!」

 慌てて声を張った田中先生に、気のない視線を送る。
 チクリとされたから、チクリと返しただけだ。

 実は以前、田中先生の奥さんから先生の素行を調査してほしいとの依頼を受けたことがあった。
 結論を言うと帰宅時間が遅くなっていた原因は、単純なものだった。
 妊娠中で食事がなかなか喉を通らない奥さんのために、近所の教室で栄養のある料理を勉強していた──というほっこり平和なものだったが、厳つい体育系の田中先生にとってそれは他言厳禁な事柄にあたるらしい。
 つまり、こうしてチクチクし合うにはうってつけのネタだった。

「まあそれはさておいて。七々扇は前の学校で部活は入っていなかったらしいな。うちの学校ではどうだ?」
「うーん、憧れはあるんですけどね。転校生活が長く続いたこともあって、また迷惑をかけるかもしれませんし。でも、よく考えてみます」

 恐らくは体育の成績も優秀だったのだろう。
 期待を込められた質問に、千晶は無難に答えた。

 確かに転校が続くとわかっていると、そこに根付きそうになる要素から遠のこうとするものなのかもしれない。
 どこか寂しさを滲ませる千晶の物言いに、先生もそれ以上追求することはしなかった。

「明日は登校したらこの職員室に来てくれ。きっとみんなが歓迎するぞ。特に女子生徒がな!」

 快活に言い切った田中先生とその他の職員に見送られながら、二人の七々扇は職員室をあとにした。
 後ろに佇む二十代とおぼしき女性教員らが、なにやらひそひそ嬉しそうだ。
 女子生徒、だけではないかもしれませんよ、田中先生。

 明日は学校がイケメンパニックになるかもしれないが、まあいい。
 学校での問題は、先生たちにお任せするとしよう。

「あ、俺ちょっとトイレ行ってもいい?」
「ん。それじゃ私は先に玄関行ってるから」
「りょーかい」

 職員室前の手洗いで別れたあと、暁は先ほどたどった道で玄関を目指した。
 経験的に、この道が一番人目に付かずに玄関まで行けるのだ。

「七々扇さん」

 しかし、その目論見は失敗に終わった。

 振り返るとそこには一人の男子生徒が立っていた。
 瞬間、事情を飲み込んだ暁は表情の起伏を抑える。

 真正面から実物を見るのは初めてだが、第一印象と同様に整った顔立ちだった。
 漆黒の髪はさらさらと癖なく整い、目尻がやや切れ長。着崩しのない、まさに優等生らしい制服の着こなし。
 後ろポケットから見え隠れするのは、蛍光イエローのラインが入った薄い財布だ。

 品良く閉ざされた口は、なかなか次の句を紡ごうとしない。
 この口から先ほど自分の名が出たのか。そう思うと、なおのこと油断せずにはいられない。

 ここに来る前に顔を合わせた、依頼人の姿が頭を過った。

「……あ、の」
「アキちゃん、お待たせ」