「おい、そこ! 火が強すぎるぞ!」
王宮の地下の厨房で、料理長の厳しい声が飛ぶ。
「タマネギは弱火で炒めるんだ。そうすれば、素材の甘さが溶け出して、より美味しいポタージュになる。そういうところで手を抜くな!」
言われた料理人は頭を下げながら、思った。
(何だかこの頃は、病人みたいに暗い顔をして俺たちを心配させたくせに、今朝はやけに元気だ。ひょっとして、男の更年期ってやつか?)
料理長は気合いが入っていた。王太子の命令に背き、コーデリアの頼みを聞いてやり、この国の未来のために料理に特殊な薬を入れるのである。
(昨日までの自分には、とてもできると思えなかった行為だ。自分は生まれ変わった。今日はその、記念すべき第二の誕生日なのだ!)
料理長自慢の、今朝の特別メニューは以下のとおり。
・季節野菜てんこ盛りのオードブル(【睡眠薬】入りトマトをどうぞ)。
・カプチーノ風に泡を立てたクリーミーなポタージュ(料理長の気合い入り)。
・バターで皮をカリッと焼き上げた白身魚のムニエル(普通に美味しいです)。
・切り口の赤々しいミディアムレアの最高級フィレステーキ(天使の無毒化済みフグのレバーペーストを載せて)。
・旬なフルーツをふんだんに使ったゼリーとソルベ(コーデリア様への秘めた愛情を込めて)。
・そして王が必ず食後に飲まれるアロマチックなカフェ(危険なクーデター風味)。
あとはいつもどおりやるだけ、と料理長は自分に言い聞かせた。
(怪しまれずに、三人がトマトを食べればすべては終わる。いや、すべてがそこから始まるのだ。とにかく怪しまれないように、怪しまれないように……)
◆◆◆◆◆
(怪しまれないように、いつもどおりにしよう)
いよいよその日の朝を迎えたレオ第二王子は、日課である王宮の庭園の散歩を終えて、ことさらゆったりと一階の廊下を歩いた。
(頑張れ、コーデリアさん。あなたならきっとできる)
第二王子は、料理長が仲間になったことをまだ知らない。だから【睡眠薬】は、コーデリアが毒見のときにこっそりサラダの皿に入れる手はずのままだと思っていた。
第二王子は歩く速度を変えずに、食堂の前を通りかかった。
いつものように、扉の前に衛兵が二人。
と思ったらーー
「おや?」
よく見ると衛兵は三人いた。しかもそのうちの一人は、衛兵隊長のコールマンだった。
(どういうことだ? コールマンは夜中に父の寝室を警護するから、午前中は寝(やす)むことになっているのに……)
「コールマン?」
レオ第二王子が近寄って声をかけると、コールマンは敬礼をした。
「朝からどうしたんだ? 昨夜は父の寝室を警護しなかったのか?」
「いえ」
コールマンは直立不動で答える。
「寝もうとしたのですが、眠れなかったのです。そういうときは、任務に就くことにしています」
(余計なことを)
と、コールマンが仲間になったこともやっぱり知らなかった第二王子は思った。しかし顔には出さずに、
「ご苦労さま。だが、休めるときは休めよ」
と言って立ち去ろうとした。すると、
「おお、コールマン。ここにいたのか」
息せき切って、ジェイコブ王太子が駆けてきた。
「父への進言、なるべく早く頼むぞ。実はたった今、後宮へ行ってきて、コーデリア付きの女官の任を解いて、ランには王太子妃の部屋に移る準備をするようにと言付けてきたのだ。こういうことは早いほうがいいからな。だからお前も、行動は迅速を旨とするように。じゃ」
と早口で言って踵を返そうとしたときに、
「ん? レオか」
ようやく第二王子の存在に気づいた。
「そういや、お前にはまだ言ってなかったが、婚約は解消したよ。コーデリアのやつ、毒見役になりたかったんだってさ」
あり得ない大嘘を、しゃあしゃあと弟に告げる。
「そしたら陛下が、例のセイユの毒見役を俺にくれるって。まあ、毒見の一族だから身分は奴隷なんだけど、俺はこういうことはきちんとしたいから、正式に妻にしようと思ってね。というわけでよろしく」
最低の男め、コーデリアさんを毒殺しようとした報いは受けてもらうからな、と第二王子が内心で毒づいていると、
「ところで、レオ。お前、軍務を解かれて、シェナ王国史の編纂をやらされるみたいだぞ。おかしな意地を張って俺たちと同じ食事を摂らないから、陛下に愛想を尽かされたんだな。そのうち勅命が下るだろうけど、がっかりすんなよ」
王太子は弟を見下して言った。
と、そのときだった。
いつもより三十分は早く、王と王妃が食堂にやって来た。
仲睦まじく、手を握り合って。
三人の衛兵は敬礼を、王太子と第二王子は目礼をした。
「ジェイコブ」
グレイス二世が、鷹揚な態度で長男に言う。
「新しい毒見役を呼んで来てくれ。食事の前に、少し話をしたいのだ」