衛兵隊長のコールマンは、自分を抱いている者の顔を見上げた。

 イケメン。
 そしてーー背中には大きな翼。

「どうも、コールマンさん。私は天使です」

 だろうな、とコールマンは思った。初めて見るが、少なくとも人間ではない。
 天使が手を放すと、コールマンは床に立ち、部屋をゆっくりと見渡した。

 コーデリア・ブラウン嬢。
 料理長。
 女官のエリナ。
 新しい毒見役の少女。

 気を失う前の記憶が甦る。
 廊下で料理長とエリナを見つけ、誰何した。
 料理長がパニックを起こして逃げ出し、それを追った。
 するとエリナが飛び出してきたので、威嚇するために銃剣を向けた。
 が、暗い廊下で目測を誤り、銃剣の先がエリナの左胸を抉った。
 倒れたエリナを見降ろすと、女官服に赤いシミが広がっていった。
 その直後、風が吹いたように感じ、気を失った。

(そうか。あのとき天使が天から舞い降りてきて、俺を気絶させたのだな)

 そうコールマンは考えた。事実は、ランのビンタに意識を飛ばされたのだったが。

「コールマンさん」

 天使が穏やかに言う。

「あなたはこちらの少女を殺すところでした。ランさんが【絆創膏】で傷の手当てをしなかったら、エリナさんは出血多量で息を引き取る運命でした。なぜならこの王宮では皆ーーあなたも国王も侍医もーー罪のない十四歳の女の子が死ぬのを黙って見殺しにすることになっていたからです」

 その発言に、コーデリアが反応した。

「エリナ、あなたの胸!」

 うかつなことに、コーデリアはほかに気を取られることが多すぎて(突然の天使の出現や、料理長への頼み事など)、エリナの服が血に染まっていることに気がつかなかったのだ。

「奥さん、心配いりません。ランが転生者のアイテムで治してくれましたから」

 エリナが元気よく答えると、コーデリアは鼻をすすった。こんな少女でも命をかけて闘っているーーということに、胸を打たれたのだ。

「そして運命では」

 天使が続けた。

「あなたは料理長さんとコーデリアさんを拷問し、それによって聞き出したことを国王に告げ口し、国王は命令を出して、レオ第二王子と宰相とコーデリアさんを処刑することになります。そこには一片の正義もありません。ですから私は、地上のことに介入するのは本意ではありませんが、こうして降りてきたのです」

 衝撃的な天使の未来予告に、コーデリアたちは絶句した。

「しかし」

 なおも天使は続ける。

「あなたが国王の元へ行き、巡回したが何も異常はなかったと報告すれば、今言ったことは起こりません。代わりに正義がなされます。どうでしょう、コールマンさん。あなたはどちらの行動を選択しますか?」

 コールマンは、ギロリと天使をにらんだ。

「俺は国王陛下に忠誠を誓っている。だから嘘の報告などできん」

 すると、この衛兵隊長に大切な親友を殺されかけたランが、固く握った拳(こぶし)を突き出して怒鳴った。

「偉そうにすんな! あのとき私がビンタじゃなくてグーで殴ってたら、今頃あんたはお陀仏(だぶつ)だったんだぞ!」

 コールマンは顔色一つ変えなかった。言われたことの意味がわからなかったのである。

「衛兵隊長さん」

 コーデリアが、情に訴えかけるように言った。

「あなたの行動によって、広く国民に慕われているレオ殿下が死ぬかもしれないのです。殿下の優しさはあなたもご存じでしょう? その罪のない血を流す代わりに、命を救う選択をして下さいませんか?」

 コールマンがコーデリアに顔を向けたが、やはり表情は変わらなかった。

「答えは一緒です。国王陛下に対し、ありのままの事実を報告するのみです。それとも陛下を裏切れとでも?」

 このとき、料理長がゴクリと唾を呑み、勇気を振り絞って言った。

「コールマンさん、聞いてくれ。私はジェイコブ殿下に、コーデリア様を毒殺するよう命令された。もちろんそれは、陛下の了承を得てのことだと思う。これはただの殺人だ。婚約者に飽きただけの、身勝手極まる行為だ。だから私は、もう陛下や王太子殿下を尊敬できなくなり、盲目的に従うことをやめた。どうかコールマンさんも、現実を見てほしい。国王陛下と王太子殿下に、果たして忠誠を貫き通すだけの価値があるかどうかを」

 コールマンはじっと虚空を見つめた。ジェイコブ王太子に、尊敬できない面があることは確かだ。本当に国のことを第一に考えているのかと疑問に感じることもある。が、だからと言って、軍人が忠誠を捨てたら国を守れない。それだけは、何があってもしてはならないことだ。

「料理長」

 コールマンは冷たく言い放った。

「お前の考えなどどうでもいい。俺は俺の務めを果たす」
「ねえ、隊長さん」

 その鋭い勘で、物事の本質をズバリと突くことのあるエリナが、不意に質問を投げかけた。

「隊長さんは、それで幸せ?」

 コールマンはエリナを見た。質問には答えなかった。
 エリナが一歩前に出る。

「本当は知ってるんでしょ? 私たちの王が、国民を幸せにしていないことを。その王に仕えることで、人を不幸にする体制をせっせと支えていることを。だからあなたは、そんな不幸せそうな暗い目をしてるんだわ」

 コールマンが銃剣を持ち上げた。
 その刹那、風が吹き、手から銃剣が消えた。
 銃剣は、ランの手に移っていた。

「殺せたよ」

 銃剣の先は、正確にコールマンの心臓に向けられている。

「あんたがまばたきするあいだに、私はあんたを殺せる。でもそうしないのは、私は人殺しの王様とは違うから。こちらの天使さんもそう。その気になれば、あんたの命なんか一瞬で奪えるのよ。でもそうしないのは、あんたが正しい道を選べるように、チャンスを与えてやってるんだよ!」

 コールマンは銃剣の先を見据えた。
 そして、おもむろに床にあぐらをかき、

「殺すなら殺せ。俺は陛下のために死ぬ覚悟はできている。陛下を裏切ってまで、生き延びようとは思わない」

 ランは天使のほうを見た。
 天使は、仕方ないですね、と言って肩をすくめた。

「コールマンさん」

 天使が近づいて、羽でコールマンを撫でた。
 と、たちまちコールマンの身体は硬直した。天使の力によって動けなくされたのである。
 
「あなたには、言葉による説得は通じないようです。なので今からこの国の実態を見てもらいます。自分の目で見たものによって、どう行動するかを決めて下さい。ではランさんも一緒にどうぞ」

 そう言って天使は翼を広げると、その背中にコールマンとランを乗せ、まるでつむじ風が舞い上がるように王宮から消えた。