ランはこっそり自室を出た。
 深夜である。向かった先は、王宮の地下にある厨房。

 小腹がすいて眠れないから、ちょいと盗み食いにーー
 来たわけではない。
 いくら元は普通の中学生で、かなり能天気なタイプでも、そこまでハチャメチャなことはしない。
 彼女は彼女なりに、真剣に考えていた。

(あのゲスの王太子、コーデリア様を毒殺しようとしてるなら、きっと料理長に頼んで、毒物を用意してあるはず。コーデリア様には【胃薬】を渡してあるから大丈夫だけど、万が一手違いが起こって別の人ーーたとえば王妃とかーーが死んだら面倒だわ。第二王子の計画が狂っちゃう)

 だから、毒を探して処分するのがベストだ。布団にもぐってからそう思い立ったので、むくっと起きて、暗い廊下をそろりそろりと歩いたのだった。

(何だか修学旅行のイタズラみたい。夜こっそり、先生の目を盗んで旅館の探検……あーあ、あっちでもう少し生きていたら、中学校の修学旅行に行けたのになー)

 そのぶん異世界で、青春を取り戻さないと。ランは思い出づくりのためにも、このクーデター計画の中で、何かしら重要な役目を果たしたいと願った。

 厨房に鍵はかかっていなかった。
 そもそも鍵がついているのは、王家の人々の私室くらいである。だから、衛兵に見つかって射殺されることさえ気にしなければ、いくらでも侵入し放題であった。

 厨房の入口にランタンがあった。中のろうそくにマッチで火を点けて、その灯りを頼りに毒の保管してありそうな場所を探す。

 まずは棚。大小さまざまな壜。これが怪しい。

(ドクロマークなんて貼ってあるはずがないから、中身が毒かどうかは、舐めてみなければわからない)

 ランはいちばん手前の壜を取り、中身を手のひらに出して舐めてみた。しょっぱい。きっと肉料理につかうソースだ。

 こんな調子で、十数本の壜のテイスティングをし、非常に切迫した喉の渇き(み、水!)を覚えたときに、ごく初歩的な誤りを犯していることに気づいた。

(そういえば、毒って変な味がするとはかぎらない。無味、無臭のものもある。毒を服んでも死なないし気分も悪くならない私が、いくら舐めてもそれが毒だとわかるはずがない)

 こちらの世界に存在する「毒」が、ランにとって無害であることが、この場合は仇となった(毒の味がわかる舌を、天使に転生特典として要求すれば良かった!)。
 
 が、ここで諦めるわけにはいかない。味で判断できなくても、見た目でいかにも怪しそうなのが、どこかにあるかもしれない。

 ランには、さっきから気になる物があった。
 木製の氷の冷蔵庫である。

(アンティークだなあ。といっても、こっちにはまだ家電がないんだから当たり前か。どれ、中を見てみよう)

 ランの背とほとんど同じくらいの高さの冷蔵庫には、二つ扉があり、上の扉を開けると、四角い大きな氷が入っていた。

(氷屋さんから買ったのかな? それとも王宮のどこかに氷室(ひむろ)でもあるのかな? なんせ今日来たばかりだから、細かいところは全然わからない)ーーちなみに正解は、氷屋さんである。

 ランは下の扉を開けた。
 紙に包まれた物が入っている。
 取り出して紙を開くと、肉の塊だった。

「牛肉かな? きっと最高級品ね。私まだサーロインっての食べたことないんだよな。明日の食事が楽しみ」

 豪華な食卓を思い浮かべて、危うく何のために来たのか忘れそうになる。
 ランはほかの包みも取り出してみた。どれも中は肉だった。

「肉専用の冷蔵庫なのね。どれ、最後の包みも見てみよう」

 その包みの中身だけ、匂いも見た目も違った。
 匂いは魚で、見た目は内臓だった。

「は? 魚の内臓? こんなにたくさん? ちょっとグロテスクだけど、これも高級食材なのかな」

 ランは広げた包みをしばらく眺めた。
 やがて、

「何か怪しい」

 独り言を洩らした。

「……ひょっとして、これが毒じゃないの?」

 このいかにも気色悪いものが、冷蔵庫のいちばん奥に隠すようにしまわれていたことが、ランの疑惑を深めた。

「毒があるとかいう、フグの内臓かもね」

 ビンゴだった。女官のエリナもそうだが、若い女子の勘には、なかなか侮りがたいものがある。

「これが毒だとして、どう処分すればいいんだろう? 流しやトイレに捨てるのは最悪。その場合、行き着く先は王宮の近くを流れる川だから、罪のない川魚をたくさん殺しちゃう。ゴミ箱に捨てるのももってのほか。残飯の処理方法として、家畜のエサや畑の肥料にされたら大変。そう考えると、どうやら私が全部食べるしかないようね」

 ランは、そのぬめぬめとした、白っぽいフグの肝臓を、指でつまんで口に近づけてみた。

「ウ……ウ……オェッ!」

 食べられなかった。悲しいかな、いくら猛毒の処理という重大な使命を帯びていても、これが十四歳の少女の限界だった。しょせん崇高な使命感や責任感などに、ゲテモノを飲み込ませるだけの力はないのである。

「どうしよう。困った」

 天を仰いだときだった。
 天井に張りついていた何者かと、目が合った。

「わっ!」

 ランは悲鳴を上げ、とっさに逃げようとした。

(今のは何? ニンジャ? スパイ? とにかく私は常人の二百倍のすばやさがある。相手が何であっても絶対逃げられるはずよ!)

 ランは閃光のようなすばやさで、厨房の扉に達した。
 がーー
 相手のほうが速かった。
 ついさっき天井にいた何者かの手に、扉を開けようとした手は押さえられてしまった。