「何ですって?」

 ニコラス・スミス宰相が大きな声を上げた。
 レオ第二王子は、唇に指を当ててシーッとした。

 ここは第二王子の部屋。
 ランの部屋から帰ってきたあと、予定どおり深夜にニコラス宰相が忍んできて、明日に備えた最後の打ち合わせをしているところだった。

「コーデリア嬢にそこまで話したのですか? クーデター計画の詳細は、殿下と私とランの三人だけが知る。あとは誰にも洩らさない。そう決めたではないですか?」
「仕方なかったのだ、ニコラス。これは運命の糸だ」

 その糸は、きっと赤い色をしているんでしょうな、という皮肉が口から出そうになるのを、第二王子の恋心に気づいて苦々しく思っていたニコラス宰相は、懸命にこらえた。

「コーデリアさんには、クーデター計画を打ち明けただけではない。実はーー」

 明日の朝食で、【睡眠薬】を入れる役目を頼んだと第二王子が話すと、宰相は頭を抱えた。

「どうしてそんな……あれはただの貴族のお嬢様だ。そういうことのできる度胸や勇気などあるはずがない。彼女が失敗したらどうするつもりです? 最悪の結果になりますぞ!」
「ニコラス。僕は信じているのだ」

 第二王子の目が遠くを見つめた。

「遠い将来、この一連の出来事すべては、きっと伝説になると。『眠り姫』や『灰の姫』のように、人々に語り継がれていくだろうとね。であるならば、主役は僕やランではなく、数奇な運命に翻弄された彼女であるべきなのだ」

 そしてラストは性格の良い王子様と結ばれてめでたしめでたし、というわけですかな? いやはや、まったく。

 宰相は、もはや言うべき言葉がなかった。
 伝説? 眠り姫? 灰の姫?
 これはおとぎ話ではない。現実だ。それなのに、この第二王子は、まるでロマンチックな夢の中にでもいるかのようだ。

 しかし、と宰相は思い直す。

 もし彼に、ロマンを求める心がなければ、失敗すれば死が待っているクーデターなど考えもしなかったであろう。
 国王の次男という、極めて恵まれた境遇に、安穏として収まっていればよかったのだ。

(仕方がない。この船の船長は彼だ。私は喜んでそれに乗った。ならば最後まで、このロマンチックな船長と運命をともにするのみだ)

「わかりました、殿下。私も運命を信じることにします」

 と言って自室に引き上げながらも、一抹の不安はどうしても拭えなかった。

(コーデリア嬢は、女官のエリナに何か洩らさないだろうか? あれはまだ十四歳の少女で、いささか軽率なところがある。そういうところから、いよいよ大詰めまできた計画が破綻しなければよいが……)


 ◆◆◆◆◆


 ジェイコブ王太子は胸騒ぎがしていた。
 眠れぬまま、時計の針が午前零時を回る。

(情熱のままにプロポーズしたのはいいが、果たして父は、ランを正式な妻として認めてくれるだろうか?)

 夜が更けるにつれて、その心配がずんずん大きくなっていった。
 
 ランの身分は奴隷だ。
 それが王太子妃になれば、将来は国王の妻、王妃になる。
 前例がない。
 いまだかつてシェナ王国で、貴族以外が王太子妃や王妃になった例はないのだ。

(ランをもらうことは約束したが、妻の座に据えるとは言わなかった。ひょっとすると父は、それを許さないかもしれない。だが……)

 一世一代の恋に落ちた王太子は、かつてコーデリアに向かって、

『貴族は貴族であり、平民は平民であり、奴隷は奴隷だ。これが崩れたら大変なことになる。特に王家はこれを守らねばならない』

 と上から目線で言ったくせに、その奴隷身分である毒見役を、何としても正妻に迎えたいのだった。

(愛人ではだめだ。それは彼女に対する冒瀆だ。俺は彼女に対して、勅命によってお前を妻にするとはっきり言った。それは俺の情熱から思わず出た嘘だが、その嘘を本当にするために、父をうまく説得して勅命を引き出さなければならない)

 明日コーデリアは死んで、婚約者はいなくなるのだから、できるだけ早く勅命をいただきたい。しかし、どう話を持っていけば、奴隷を王室ファミリーにすることを納得させられるだろう?

 眠れぬ王太子は、必死に知恵を絞って考えた。
 やがて出た結論は、

「衛兵隊長のコールマンを動かそう」

 というものだった。

(父は誰よりも、コールマンを信用している。コールマンが進言すれば必ず聞く。そしてコールマンは、俺の頼みを断わることはできない。なぜなら、将来王になる王太子の切なる願いを断われば、やがて代替わりの時期が来たときに、それまでに得た勲章をすべて剥奪される恐れがあるからだ。軍人にとって、これほど不名誉で悲惨な末路はあるまい)

 ジェイコブ王太子は自室を出た。
 夜間、王の寝室前で王の警護をしている衛兵隊長に、話をしに行くためである。
 
(コールマンの口から、父に言ってもらおう。ご子息が本気で望んでいる結婚を、決して邪魔してはなりません。祝福するのです。そうすれば、王と王太子は一枚岩となり、国民に対する支配力がより強固になります、と)

 王太子が王の寝室へ近づくと、

(……何奴(なにやつ)?)

 衛兵隊長が左手に持ったランタンを掲げた。

(おや? 王妃殿下に続いて、王太子殿下も? 今夜はやけに慌ただしい……)

 衛兵隊長はランタンを足元に置き、王妃のときと同じく、銃剣を身体の前で垂直に立てて、捧げ銃(つつ)の敬礼をした。

「コールマン、敬礼はよい」

 王太子のいかにも悪そうな笑みが、暗い廊下で、ランタンの黄色い光りに浮かび上がった。

「折り入って頼みがある。実はーー」

 王太子が言いかけたときだった。
 寝室の扉が、いきなり中から開いた。

「コールマン、ちょっと。折り入って話がーー」

 と言ったグレイス二世は、息子がそこにいるのを見て驚いた。

「どうした、こんな深夜に?」

 焦る王太子。懸命に口実を探す。

「えー、その、コーデリアが志願した毒見役との交代のことで、いろいろ心配になって眠れなくて……」
「何だ、お前も眠れずにいたのか」

 王太子のしどろもどろの説明の途中で、王は不安そうな顔つきで口を挟むと、

「だが、いいところに来た。二人とも中に入ってくれ。重大な相談がしたいのだ」