レオ第二王子は、呼吸が苦しくなっていた。
掛け布団と顔が密着していたからである。
(苦しい……横を向いて息をしたい。でも下手に動くと、この部屋に隠れていることがバレてしまう。もしそうなったら、僕は自分の立場を説明するしかないが、この危険なクーデター計画に、コーデリアさんを巻き込みたくはない……)
次第に酸欠状態になり、頭がぼうっとしてきた第二王子の耳に、恋するコーデリア・ブラウンのすすり泣く声と、それを慰めるランの声が聞こえた。
「国が滅びるのは、悲しいですか?」
「……よくわからない。でも、私はこの国に生まれて、家族も友達もいるから」
コーデリアは敬語をやめていた。自然にランとの距離が縮まっている。
「大丈夫。滅びるのは腐った部分だけ。腐ってない人が、また建て直してくれます」
「そんな未来のことまで、転生者には見えるの?」
コーデリアが涙を拭いてそう訊いたときだった。
レオ第二王子の呼吸が限界に達した。
(もうだめだ。ここから出て、コーデリアさんにすべてを打ち明けよう。兄にこれほどひどい目に遭わされながら、この国が滅びると聞いて、涙を流してくれた彼女に)
ランの部屋の隅に敷かれていた布団が、むくっと持ち上がった。
悲鳴を上げかけるコーデリア。その口を、ランがすばやく押さえる。
「安心して。この国を救う人よ」
掛け布団が中からめくられる。
そこから姿を現したのは……
「まあ!」
あまりの衝撃に、コーデリアの時間が止まった。
(レオ第二王子様!? いつから? どうして? なぜ殿下が後宮に?)
第二王子は、照れたように頭を掻いた。
「驚かせるつもりはありませんでした。お詫び申し上げます、コーデリアお義姉(ねえ)様」
彼女のことをお義姉様などと呼んだことは、かつて一度もない。なのにとっさにそう呼んだのは、この場面に決まりの悪さを感じて、おどけてみせたのだった。
(仮にも一国の王子が、女性の部屋の布団に隠れていたとはみっともない。しかもそれを、いちばん見られたくない人に見られてしまった……ああ、何だかドキドキしてきた。何をしゃべればいいのかも、どんな顔をすればいいのかもわからない)
第二王子はモジモジした。そしてコーデリアも、同じくモジモジした。
(レオ第二王子様に聞かれてマズいようなことを、私は言わなかったろうか? ジェイコブ王太子のことをあのクソ野郎とか? ああ、全然思い出せない。でもお邪魔だったのは間違いないわ。殿下も、この美しい少女に惹かれたのね。私、ランにダブルで男性を奪(と)られちゃった)
コーデリアは沈んだ顔をした。しかし元々、レオ第二王子様と自分とでは釣り合わないと思っていたのだ。悲しいけれど、ランに負けたのならしょうがない。転生者とは初めから勝負にならないのだ。
とはいっても、コーデリアも十八歳の乙女である。どんなに負けたと自分に言い聞かせても、それで恋の炎が消えるわけではなかった。
お互いに、まるでお見合いの席での初対面のように相手をチラチラ見ていると、
(王子もコーデリア様もダサすぎるよ。好きなら好きって言っちゃえ!)
ランはそう言ってやりたくてウズウズした。
やがてコーデリアが、ゴクリと喉を鳴らして言った。
「ど、どうして殿下が?」
レオ第二王子は、いかにもリラックスしているふうを装い、よいしょと言って布団の上にあぐらをかいた。
「フフフ。僕には女嫌いという評判がありましてね。それが煙幕になって、後宮が格好の隠れ場所になったというわけですよ」
第二王子は、二十一歳という年齢にふさわしい若々しい笑い声を立てた。
「まあ、それは冗談として、この国を救うには、父と兄を斃(たお)すしかない。ということは、明白な事実です。そのための行動を、ずっとしてきました」
そんな恐ろしい話を、レオ第二王子はサラッと言う。
「僕を支持してくれる人はたくさんいます。あとは本当に、父と兄を斃すだけ。しかしそれを実行に移すには、特別な力がいる。そこで僕がやったのが、転生者捜しです」
さっきは口をあんぐりしたコーデリアが、今度は目をまん丸くする。
「転生者の力を借りれば、このクーデターは成功する。その信念を胸に、捜し続け、そして見つけました。もうおわかりでしょうが、それが彼女です」
ランはまた申し訳なさそうに、首をすくめた。
「彼女を新しい毒見役として、父に選ばせるのは簡単でした。父の好みの髪型や服装を知っていますからね。まあ、兄まで夢中になるとは予想しませんでしたけど。で、彼女が向こうの世界から取り出せる【睡眠薬】に、大変な力があることを、僕は仙女を名乗る女性から教えてもらっていたのです。明日の毒見の機会に、それを父と兄に服ませる手はずでした。が、事情が変わりました」
第二王子はランのほうを見た。
「さて、どうしよう。暴力は使わずに、薬を服ませたいが」
「強硬手段はだめ?」
「何度も言ったように、だめだ」
ランは腕を組んだ。
「じゃあさ、料理人たちを仲間にして、睡眠薬を料理に入れてもらうのはどう?」
すると第二王子は即座に首を振った。
「それは話にならない。彼らは王家に忠誠を誓っている。特に料理長は、コチコチの勤王家だ」
第二王子は知らなかったが、この時点ではすでに、料理長の忠誠は揺らいでいた。ジェイコブ王太子が最低のクソ野郎だと、勤続三十年目にしてようやく知ったから。
「じゃあこうしたらどう?」
ランがまっすぐにコーデリアを見た。
「コーデリア様は、もう王太子を愛してはいないわよね?」
「大嫌いだわ!」
コーデリアは反射的に叫んでいた。
「では、王太子に復讐したいと思ってる?」
「……それは、まあ」
「そしたらさ、コーデリア様が、毒見のときに【睡眠薬】を入れたら?」
コーデリアは固まった。
「えっ? 私が?」
「大丈夫。さっき夕食のときにシミュレーションしたけど、手のひらに隠した薬を料理に入れるのは超簡単。これなら誰でもできるなって思ったから」
「確かに」
と、レオ第二王子も頷いた。
「配膳された料理から、一口分を取り分けるのは毒見役だ。特にサラダを取るときは、そっと錠剤を落とすことはそう難しくない。この錠剤は水によく溶けるので、野菜の水気やドレッシングで充分溶ける。そして父も母も兄も、サラダは必ず残さず食べる。よし、義姉(ねえ)さんにやってもらおう!」
コーデリアに復讐させる、というランの思い付きを、第二王子はすっかり気に入ってしまい、蒼くなった恋する人を「あなたなら絶対できる」と笑顔で励ました。