毒見役のランは、狭くて、灯りの薄暗い部屋にいた。
 その少女を一目見た瞬間、

(あ、負けた)

 と、コーデリアは思った。

(この子はちっとも派手じゃない。それなのに、輝いている……)

 髪の毛は、コーデリアがブラウンで腰の下まである超ロングなのに対し、黒くて清潔感のあるショート。
 顔の造りは、コーデリアが眉も目も鼻も唇も濃いのに対し、いずれも小ぶりで上品。
 毒見の一族から連想されるような、毒々しさや禍々しさはどこにもない。
 むしろ健康的な感じすら受ける、まぶしいような「美」がそこにあった。

 コーデリアは知る由(よし)もなかったが、ランのまぶしさは天使からもらった「転生特典」である。だから普通の人間(ランから見れば異世界人)である彼女が、敵わないのは当然であった。
 
 しかしコーデリアは、そのまぶしさに心を打たれた。完敗だ。生まれて初めて美しさで負けた。これなら婚約者を奪(と)られても仕方がない。奴隷身分だろうとまだ十四歳だろうと、この子のほうが私より美しいのだもの……

 この瞬間、彼女から高慢さが消えた。
 彼女は謙虚になった。
 公爵令嬢コーデリア・ブラウンは、ほとんど生まれ変わったと言っても過言ではなかった。

「ランさん」

 声の調子にも、謙虚さが溢れた。

「あなたの予言どおり、私は婚約破棄されました。ジェイコブ王太子殿下は、あなたと婚約する代わりに、私に毒見役となるように申し付けられました」

 ランの黒い瞳が、ほんの少し大きくなった。
 ランもまた、心を打たれていたのである。

(貴族令嬢に生まれながら、奴隷の毒見役に敬語を使うなんて……この美貌のお嬢様は、レオ第二王子と同じきれいな心を持っている)

 見つめ合う美しい二人。
 やがてコーデリアが言った。

「王太子殿下は、明日の朝から毒見をしろと申しました。そこでエリナから聞いていたとおり、『それでは毒見役の心得をランさんから習っておきます』と答えて、こちらに参りました」

 ランが驚きの声を上げた。

「え、明日の朝からですか?」
「そうです。その朝食できっと私を毒殺するつもりです。早く厄介払いしたいでしょうから」

 これもまたコーデリアは知る由もなかったが、部屋の隅に敷かれた布団の中では、レオ第二王子が歯を食いしばって拳を握り締めていた。クーデター計画の肝心要の部分が、崩れてしまったからである。

「ですからランさん、もはや私には、あなたに救けていただく以外に道がないのです。どうか解毒の術を教えて下さい。できる自信はないですが、たとえわずかでも、生き延びる可能性に懸けたいのです」

 ランが私を救けると言ったのはそういう意味だろうーーとコーデリアは解釈し、お願いしますと頭を下げた。

 ランは考え込んだ。
 なるほど、そうなったか。明日の朝食で、王たちの食事に【睡眠薬】を入れるという計画はこれで崩れた。となると、やっぱり常人の百倍の力と二百倍のすばやさに物を言わせて、強硬手段に出るしかないか。
 
「えーと、待って下さい。解毒の術ですね?」

 と言いながら、腰に手をやり、少女らしい動物の飾りがついたポーチを開けた。
 このポーチもまた「転生特典」として与えられたものである。その中からは、転生前の世界に存在する薬を自由に取り出すことができたが、それらの薬はこちらの世界で絶大な力を発揮するので、いわゆるチートアイテムになるのであった。

 ランはポーチから摘み出した物を渡した。

「これを食前に服(の)んで下さい。【胃薬】です」
「……胃薬?」

 向こうの世界の【胃薬】を使うと、こちらの世界の人間の胃袋からは、大量の粘液が分泌される。
 その粘液は、胃に達した毒物を包み込み、無毒化してしまう。ちょうど黒魔法の【ポイズン】をかけられても、【完全毒防御】の効果を持つ防具をつけていればダメージを受けないのと同じように。

 ちなみにランのような転生者は、こちらの世界の青酸カリやフグ毒を摂取しても、何も起きない。
 たとえば、殺虫剤は虫にとっては致死的な毒だが、人間の体内に入っても、分解酵素によって速やかに分解されて体外に排泄される。つまりこちらの世界には、向こうの人間にとって殺虫剤レベルの毒しか存在しないのだ。

 そんな事情などいっさい知らないコーデリアは、受け取った数錠の【胃薬】を不思議な気持ちで見つめた。

「あの、これと解毒の術とは、どんな関係がーー」
「ごめんなさい。私は、解毒の術など知らないのです。ただの転生者ですから」

 と、ランはあっさり素性をバラして、いかにも申し訳なさそうに首をすくめた。

「……ただの、転生者?」
「はい。こちらの世界に存在する毒は、私のいた世界と比べるとどうってことありませんし、こちらの世界の人も、向こうの【胃薬】を使えばほぼ解毒できます。間違っても死ぬことはありません」
「あなたの、いた、世界?」

 無理もないが、コーデリアは口をあんぐり開けてしまった。

「はい。向こうの世界でトラックのタイヤに跳ね飛ばされて死んだ私は、天使にお願いして、こちらでの職業を毒見役にしてもらいました。そうすれば、何の危険もなく、王や貴族の食事を毎日食べられるからです。しかも、ご飯の支度も後片付けもしなくていいし、掃除も洗濯も買い物もしなくていいし、食事以外は部屋で寝ていればいい。最高じゃないですか?」

 まったく話についていけないコーデリア。
 ランは続ける。

「だから、私は結婚して、王太子妃になんかならなくてもいいんです。あ、それと、毒見役だからって、雇い主と寝るなんて誤解しないで下さいね。ほかの人は知りませんけど、もしそうされそうになったら、私はぶん殴って出て行きますから。だってこっちの世界の男性は、私の百分の一の力しかないですもん」

 カラカラと笑った美しい顔に、話は理解できなくても、コーデリアは引き込まれた。

(この少女は、信じられる)

 彼女は思わず床に膝をつき、ランの手を両手で握った。

「ランさん。あなたに逃げる力があるのなら、そうなさい。王太子はいい人ではありません。そしてそういう王太子を許している王も王妃もーー」
「知っています。この国が腐っていることは、転生してすぐにわかりました」

 毒見役の少女は、コーデリアの手を優しく握り返した。

「コーデリア様が、それに気づいてくれて良かったです。コーデリア様はとってもきれいなので、この国と一緒に滅びてほしくないと思っていました」

 ランの言うことに、コーデリアは次から次へと驚かされた。

「……シェナ王国は、滅びるんですか?」
「腐った建物は潰れます。理の当然です」

 気がつくと、コーデリアはランに抱きすくめられていた。
 突然聞かされた国の未来にショックを受け、泣きだしたからだ。