レオ第二王子の頭が真っ白になったのは、

「婚約者のコーデリアとは婚約破棄する。そしてあなたを正式に妻として迎える。これは勅命であるし、コーデリアも身を引いて毒見役と交代する所存だ」

 と、ジェイコブ王太子がランに語ったと聞いたからだ。

 完全に虚を衝かれた。
 せっかくランを王宮に入れ、毒見役という立場を活かして薬を入れさせようとしたのに、王太子妃になったらその機会が失われてしまう。

 毒見役は、王と王太子とそれぞれの配偶者(または婚約者)の飲食物に毒物が混入していないかチェックするために、全員分の食事に近づける(ちなみにレオ第二王子は、農民の窮状を知って以来王室の美食を拒みつづけ、使用人と同じメニューを自室で摂るようになっていた)。

 ところが王太子妃の立場になると、王や王妃からはかなり離れた位置に座ることになる。ランが王や王妃の食事に【睡眠薬】を入れるには、食卓を立って彼らに近づく必要があるが、いくらすばやさが常人の二百倍あっても、そこまで大きな動きをしたら気づかれる恐れがあった。

(まったく意外すぎる展開だ。どうしてこんなことになったのか……)

 勅命、ということは、グレイス二世が息子の婚約者と毒見役の交代を命じたことになるが、そんなことをする理由やメリットがどこにあるのか?

 どこにもない。あるとすれば、父がコーデリアさんを欲しくなり、愛人にするためにこんな奇策を編み出したということくらいだが、兄が素直に従っているのがおかしい。いくら王が独裁者でも、自分の後継者から婚約者を奪うなどという、確実に禍根を残す真似をするわけがなかった。

 もっとおかしいのが、コーデリアさんが自ら身を引いたという点だ。これこそ理由がない。彼女は公爵令嬢だ。奴隷身分の毒見役になるくらいなら死を選ぶだろう。たとえ彼女が奴隷に同情的であっても、自分からそうなるとはどう考えてもあり得ない話である。

 残るは兄の動機だが……

「王太子、キモかったなー。あれ完全に私に惚れてたよ。ダサッ!」

 ランがオェーッ吐く真似をした。もしそれが本当なら、今日毒見役に決まったばかりのランに一目惚れした兄が、父にコーデリアさんとランを交換してくれるように頼み、父がそれを了承し、コーデリアさんに圧力をかけて毒見役になるよう命じたことになるが……

 メチャクチャである。確かに父も兄もデタラメなところがあるが、これはいくら何でも行きすぎだ。クレージーすぎる。二人とも、あの心のきれいなコーデリアさんを何だと思っているのか。こんな残酷な仕打ちをできるなんて、彼女に対する情というものがないのか?

 待てよ。と、レオ第二王子は思い直した。

(ひょっとすると、兄には最初から、コーデリアさんに対する情などなかったのではないか?)

 仮に、この婚約全体が兄によるお芝居、偽装結婚ならぬ偽装婚約だったとする。コーデリアさんから送られた写真を見て一目惚れした、という出発点がそもそも嘘だったとしてみるのだ。

 なぜそんな嘘をついたのか? それは、自分に寄ってきた美しいコーデリアさんを、父親に対して、毒見役との交換のカードに使いたかったからだ。

 そう言えば……と、レオ第二王子は思い出した。

 かつて兄はこう言ったことがある。「毒見役の美しさは別物だ。とてもこの世のものとは思えない。あれを独り占めして好きにしている父は羨ましい。お前もそう思わないか?」と。

 そうだ。昔から兄は、決して手に入らない父の「所有物」に懸想し、嫉妬の炎を燃やしていたのだ。

 その兄の懐に、期せずして美しい獲物が飛び込んできた。さっそく兄は父にその写真を見せる。陛下、どうです? 上物(じょうもの)でしょう? 私と婚約したがっている女ですが、陛下に差し上げます。その代わりに、この次毒見役となる女はぜひ私に……

 あの兄なら、考えそうなことである。それに対して、父はどう反応しただろう? 

「わかった。余のものにしよう。もしそれを嫌がったら、毒殺すればよい。毒見役として余の代わりに死ねば、その名は歴史に残るのだから、ただの王太子妃になるよりずっと名誉なことだ」

 このくらいのことは言ったかもしれない。あの父ならば。

 レオ第二王子は唇を噛み締めた。

(何と血も涙もない男どもだろう。待ってろよ、コーデリアさん。あいつらの毒牙からもうすぐ救い出すからな。そう、明日の朝には……)

 自分の推理が当たっていると確信した第二王子は、ランに鋭い目を向けた。

「ラン、予定を変更するぞ。明日の朝食時に決行だ」

 ランはすでに前任の毒見役からその役を引き継ぎ、今日の晩餐で初の毒見をしていた。
 そして予定では、明日の朝食と昼食も実際に毒見をし、夕食時に【睡眠薬】を入れることになっていた。つまり今夜と合わせて都合三回、一種の「リハーサル」をする予定だったのである。
 しかし今では、いつコーデリアさんと交代しろと告げられるかわからない。であれば、明日の朝食を本番にするしかなかった。

「私はいつでもいいよ」

 ランはあくび混じりに答える。元々彼女は楽勝と思っていたのだ。

「交代はいつだろうな。これまで後宮に入った毒見役は、三日間は教育期間として女官からしきたりを指導される決まりだった。それを過ぎると父が夜這いにくるから、その前に決行すれば良いと思っていたが……王太子妃にする気なら後宮に置いておく意味はない。さすがに今夜はもう遅いからないだろうが、明日にはコーデリアさんと部屋を交換しろと言ってくるかもしれない」
「別に夜這いだろうと結婚だろうと」

 ランは第二王子の前であぐらをかく。

「私はそいつらの百倍力があるんだから、来たらぶっとばすだけよ。何なら毒見役から降ろされて【睡眠薬】を使えなくなっても、食堂でみんなまとめてノックアウトするからいいよ」
「いや、万が一王宮内の衛兵に見られたらアウトだ。僕らは反逆者として軍に処刑されるだろう。決して暴力は使わず、王宮に仕える侍医(じい)に王と王太子は奇病の『眠り病』にかかったと診断させてこそ、軍関係者を黙らせることができるんだ」

 そうかなー、私なら暴力の証拠を残さずに制圧できるけどなー、とランは自信を覗かせたが、第二王子はそれは最終手段だと言って認めなかった。

 そのとき、ランの部屋がノックされた。

 第二王子の心臓が跳ね上がった。

(しまった。兄がもうランを連れ出しに来たか?)

 第二王子は急いで部屋の隅に敷かれた布団に潜り込んだ。
 見つかったらやるしかない。ランの力で兄を制圧し、間髪入れずに父と母も制圧する。そして気絶した三人の喉に【睡眠薬】を流し込む。衛兵に見つかる危険はあっても、緊急事態になれば一瞬たりとも躊躇すべきではなかった。

 がーー

「ラン、お客様よ」

 それは女官のエリナの声だった。

(お客様? 兄ではないのか? ではこんな時間に誰だ?)

 布団の中で息を潜めている第二王子の耳に、ドアを開ける音と、エリナの秘密めかした声が聴こえてきた。

「奥さんをお連れしたわ。どうか約束どおり救けてあげてね」