エリナはコーデリア付きの女官であり、美しい女主人を好きであった。だから王太子から聞いた話には、憤懣やるかたなかった。
二人でランの部屋に戻ると、さっそく怒りをぶち撒けた。
「陛下はひどすぎる! いったい何を考えてるの!」
ランは「まあ座って」とエリナに床を示し、
「王があんな命令するわけないじゃん。何も得しないんだから」
少し落ち着きを取り戻したエリナは、
「えっ、じゃあ?」
あぐらをかいて座る美少女に、尋ねる視線を向ける。すると、
「きっと王太子は、婚約者に飽きたのよ。それで私と交換したくなったんじゃない? ダッサ!」
あの好色のサディスト王子ならやりそうなことだ、と思いながら、エリナは訊いた。
「ねえ、ランさん。ダサとかダッサってどういう意味? どこの国の言葉?」
「え、知らない? ダサいっていうのは、かっこ悪いってこと。外国語じゃないよ」
「ふーん。初めて聞いた。じゃあダルは?」
「ダルい。めんどくさいって意味」
「難しい言葉を知ってるのね」
「難しい……あー、宮廷や貴族社会では使わないのね。平民とか奴隷は普通に使ってるよ」
エリナは床に座ってくつろいだ。
「で、どうする? 王太子様と結婚するの?」
オェーと吐く真似をするラン。
「冗談じゃない。じゃあ逆に訊くけど、あなたはゴキブリと結婚したい?」
「でも命令されたら、逆らえないでしょう?」
「殴って逃げる」
「無理よ」
「いや、勝てる。あいつ動き遅いもん。ボディを蹴って、ガラ空きになった顎を打ち抜く」
シュシュシュと言って、ランが目にも止まらぬ速さでパンチを繰り出すと、エリナの青い髪がふわっと広がった。
「すごい。拳闘ができるのね?」
とはいえ、もし王宮内でそんなことをしたら、たちまち衛兵に取り囲まれて銃殺されるだろう。
エリナは目を細めて、毒見役の美少女を見た。
「……ねえ。あなた本当に、毒見の一族の出身?」
鋭い質問だった。
ランはニヤッとするだけで答えない。
さらに質問を重ねる。
「ランさん。あなた、王宮の毒見役になるのが、王様の女になることだって知ってるわよね?」
これにもニヤニヤ。エリナは畳み掛ける。
「だとすると、閨房でのことを叩き込まれているはず。王様を悦ばせるために、たとえばどんなことを教わった?」
ついにランは噴き出した。
「王様を悦ばせる? アハハ。もし触ってきたら、ワンツーからのハイキックでノックアウトよ」
エリナは確信した。ランは決してセイユの者などではない。
「これでわかったわ。もしあなたが毒見の一族だったら、絶対にそんなことを言うはずがない。だって、雇い主の代わりに死ぬ役を務めるのだから、徹底してその雇い主を尊敬するように教育されているはずよ」
ランはまだ笑っている。
「ズバリあなたは、反体制派が送り込んだ女スパイ。そうなんでしょう?」
「だったら?」
もはや認めたも同然。
エリナは考え込んだ。
これほど大きな秘密を知ったからには、中途半端な立場ではいられない。
ランと王室、どっちにつくか?
あくまでも王室への忠誠を貫くなら、今すぐ部屋を飛び出して、スパイが侵入した事実を伝えるべきだ。
でもエリナは、そうしたくなかった。
ランを好きだったし、コーデリアを裏切った王太子を激しく憎んでいたから。
(私は王様も、お妃様も、王太子様も本当は好きじゃない。王室で好感が持てるのは、第二王子のレオ様くらい。この際、スパイに味方して、王室をひっくり返すのに協力しちゃおうかな?)
しかしそれは、危険すぎる賭けである。
バレれば死。それも、エリナの一族すべてが反逆者の烙印を押されて、極めて残酷な方法で、不名誉な処刑をされるに違いなかった。
「エリナさん、どうしたの? 難しい顔して」
エリナはムッとした。
「それはそうよ。あなたが、重大なことを隠しもしないから」
「ほんとは毒見の一族じゃなくて、スパイだってこと?」
「そうよ。スパイって、死んでも正体を明かさないものなのに。あなたはスパイの風上にも置けないのね」
「じゃあ私のこと、告げ口する?」
「したらどうする? 私を殺す?」
「んなわけないじゃん。私、エリナさん好きだもん」
エリナはキュンとした。
「エリナさんはいい人だから好き。好きな人に、嘘はつけないでしょ?」
「ありがとう。私もランさんが好き」
「じゃあお互いに、さん付けをやめようか?」
「うん、ラン」
エリナはデレッとした。
「エリナ、あなたを巻き込むつもりはないし、絶対に迷惑はかけないから安心して」
「ありがとう。でも、協力できることがあったら遠慮なく言ってね」
「今のところ頼むことはないわ。ところでエリナは、コーデリアさんの世話係なのよね?」
「うん」
エリナは頷いた。エリナの女主人は、仕事をほとんど言いつけないので、こうして後宮で暇にしていられることが多いのだ。
「そしたら、王太子の裏切りを教えてあげて。きっと近いうちに、『お前を毒見役と交代する』って言われるよって」
「心の準備をさせてあげるのね」
「それで、もしそう言われたら、『では毒見役の心得を教わってきます』と王太子に言って、私を訪ねてくるようにと伝えて。そうしたら、コーデリアさんを救けてあげられるかもしれない」
「本当に? 奥さんを救けてくれる?」
「うまくいけば。でも救けるのは私じゃなくて、私のボスだけど」
「反体制派のリーダーね。どういう人?」
「あなたもよく知っている人よ、エリナ」
不思議な「毒見役」の少女は、純粋な心から味方になった同い年の女官に、魅力的ないたずらっぽい目を向けて言った。
「その人の名前は、レオ第二王子」