僕と彼の怪異七物語 二の物語~妖界は波乱万丈~

「おはよう!凍真、雲川!」

僕達が通う学校の一室。
生徒から特別教室と言われるその空間に元気よく入ってくるのは少し前に特別教室の一員となった瀬戸ユウリさん。
心機一転という風に髪をバッサリと切ってボーイッシュなイメージに変わったけれど、不思議とそのイメージが彼女らしいと思える。

「おはよう、雲川さん」

先に教室へ来ていた僕は挨拶を返す。

「ちょっと、凍真、挨拶をしたんだから返しなさいよ」
「うるさい、俺は眠いんだ」

教室の床。
小さな寝袋。
寝ていたところを起こされて機嫌の悪い新城は瀬戸さんから視線を向ける。

「いいから、ちゃんと挨拶しろぉ、挨拶は大事なんだぞぉ」
「うざい!うざ絡みするな、鬱陶しい!」

器用に転がって瀬戸さんから逃げていく。
寝袋であれだけ器用な動きをする新城に驚くけれど、諦めずに追いかける瀬戸さんの行動力にもびっくりさせられる。

「ちゃんと挨拶しろよぉ」
「うっさい、俺は眠いんだ。これ以上、邪魔するなら」

眉間に皺を寄せて不機嫌ですという表情をしている新城は寝袋の中から数枚のお札を取り出す。

「ちょっと、何するつもり!?」
「なぁに、そのうるさい口を塞ぐ、ついでに俺の安眠妨害できないようにお前を寝不足する呪いをかけてやる!」

新城の表情を見て、本能的にヤバイと察したのだろう。

「それはシャレにならない!やめてよ!じりじり近づかないで!」

慌てた様子で新城から距離をとっていた。
しかし、口を塞いで、寝不足にするなんて言う呪いがあるのだろうか?
祓い屋を営んでいる新城がそういう呪いがあるといえば、そうなのかもしれないけれど。
偶に嘘八百でその場を乗り切ったりすることもあるから正直なんともいえない。

「ちょっと、雲川みていないで助けてよ!」
「おい、そいつの手助けをしたらどうなるかわかってんだろうな」

助けを求める瀬戸さんと、血走った目で僕を見る新城。

「私は自分の身が大事なので中立を宣言します」

こういう場合、僕は両手を挙げて中立宣言を貫く。

「雲川!?」
「さて、覚悟を」

ニヤリと笑っていると頭上で始業のチャイムが鳴り響く。

「チッ、寝そびれた」

舌打ちしながら札を仕舞って寝袋をたたむ新城。
休み時間は寝袋を広げているけれど、授業の時間帯になると自分の席へ腰かける。
意外と授業態度は真面目なのだ。
助かったと息を吐いた瀬戸さんも着席する。
ちなみに、席順については廊下側に僕、真ん中あたりに瀬戸さん、外側に新城の席がある。
三人だけしかいない教室のせいか、思い思いのところに座っても問題ない。
僕は机から教科書と問題集を取り出して勉強をはじめた。
隣を見ると新城はぺらぺらと教科書をめくり、反対側の瀬戸さんはもくもくと問題を解いている。

「よし」

彼らに対抗心を燃やしながら僕も問題を勉強に意識を集中した。
特別教室は基本的に教師がやってこず、基本的に自習ばかり。
自主性を重んじるというわけではなくて、問題を起こした生徒の面倒をみることを嫌がっている教師が多いらしい。
その為、定年退職間近の工藤先生と数学の源先生が授業をしてくれる以外は暇になる。
暇な時間をダラダラするよりも自主勉強をしようという事が暗黙の了解となっていた。
休憩時間になると新城は机の上に突っ伏して、睡眠をとる。

「アイツ、いつも寝ているけれど、睡眠不足なの?」

不思議そうに聞いてくる瀬戸さん。

「新城が言うには疲れているから眠りたいってことらしいよ」
「もしかして休みの日とかも寝ているんじゃないかしら」

否定はできないかも。
休みの日に布団で気持ちよさそうに寝ている新城の姿と怪異と対峙している新城のギャップの差を想像してくすりと笑ってしまう。

「あれ?どうしたの?」
「いや、その、何かツボに入ったというか、ちょっと」

不思議そうにしている瀬戸さんになんて説明するか考えながら必死に笑いを堪える。
いつもなら寝ている新城と二人っきりの教室で誰かと話すという日常の変化にいつの間にか適応しているなぁと説明を終えて、二人して笑っている時、僕はそんなことを考えていた。
けれど、日常の変化はどうやら怪異も呼び寄せてしまったらしく。
僕と新城はその日の夜から街中を歩き回る羽目になるという事をまだ、知らなかった。


















「つまらん」

月が照らす深い森の中。
そこで一人の女性が身の丈の刀を手にしてぽつりと呟く。
彼女の足元には熊が倒れている。
ヒューヒューという小さな音だが、四メートルは超える巨大な熊であり、周囲の木々のざわめきもない為か呼吸音が周囲に響いていた。

「この土地で名のある主だと聞いて、腕試しにきたが、思った以上に歯ごたえがなさすぎた」

女性の前に倒れている熊はこの地方では名の知れた主であり、縄張りに入り込んだ人間や侵略する者達を悉く鋭い爪と牙で屠ってきた。
獣でありながら獣の領分を超えた存在。
そんな噂を聞いた彼女は興味本位で訪れて対峙したものの――。

「弱すぎる」

ドシンと肩にのせていた刀を地面に突き刺す。

「これでは真剣でやりあう価値もない……確かに獣としての領分を超えてはいた、だが、片足にすぎん。こんなのでは準備運動すらならん」

ぶつぶつと言いながら腰まで届く青い髪を揺らしながら月を見上げる。

「もう少し歯ごたえのある奴はいないのか?」

「ったく、マジでどうなっているんだ?」

夜、僕と新城は街中を歩いていた。
学生が街中に歩いていると警察に補導される危険もある。
でも、二人は祓い屋としての仕事で夜の世界を歩いており、警察の怪異を専門とする部署の根回しのお陰で補導される心配もない。
夜、加えて雨が降る道の中、雨具を着て僕達は歩き回っている。

「どこのどいつだ。こんなものをまき散らしやがって」

ぶつぶつと言いながら新城は目の前の石へ札を貼り付ける。
札を貼り付けた途端、ボウ!と黒い何かが噴き出して消えていく。
それと同時に貼り付けた札も破けて四散する。

「チッ、面倒だ」
「今の……祓えたの?」

舌打ちして石に触れている新城へ僕は尋ねる。
明らかに新城は機嫌が悪い。
だからといって何も知らないまま行動していれば、命の危険に繋がることがある。
怪異の前で無知は危険に繋がる。

「わからん」
「え!?」

眉間に皺を寄せながら告げられた返事に僕は困惑する。

「わからないって、どいうこと?」
「わからないはわからないだ。この石に仕込まれている呪いは解呪した、だが、解呪はしたが完全にできたのかがわからない。いつもの手応えがない」

そもそも、と新城は石に触れる。

「霊脈に直接、術を撃ち込む……こんな恐ろしいことを仕出かす奴の正気を疑うね」
「霊脈?」
「この地……いや、大地には特殊な脈がある。それは俺達祓い屋や陰陽師と呼ばれた連中が術を操る際に使用する手段の一つであり、神々が降臨する際に使われる道の役割を持つ、それから」
「とても重要な事だというのはわかったよ。うん」

その後、専門的な用語が次々と飛び出してきたので会話を無理やり打ち切る。

「問題は、そんな重要な場所へどこの誰が、何の目的で呪詛なんてものを打ち込んだのか、こんなの一歩間違えたら神が怒り狂ってこの国が地図から消えるぞ」

ジュウヨウどころか、とってもヤバイってことがわかった。

「しかも、こんなものを何カ所に打ち込んで、好戦的な奴が気付いたら真面目にこの国は消滅するだろうな」
「それって、滅茶苦茶ヤバイんじゃ」
「だからこうして、雨の中も解呪なんて面倒なことをやっているんだ。もし」

新城は置かれている岩に触れる。
ただ触れただけの筈なのに岩は淡く輝きを放つ。

「どっかのバカが俺の考えている事態を望んでいるっていうなら、早急になんとかしないとこの世界は終わりだ」

最悪の未来を想像して、僕はごくりと唾を飲み込んだ。
その日から毎日、僕と新城は解呪に奔走することになった。


















目を覚ますと耳に届く雨音。

「雨かぁ」

ゆっくりと体を起こして目の前のカーテンをめくる。
しとしとと雨が降っていた。

「まだ梅雨じゃないんだけどなぁ」

一週間連続で雨が降り続けている事に気が滅入りながらハンガーにかけてある制服を手に取る。

「おじさんは朝から仕事か」

充電していた携帯電話を手に取るとおじさんからメッセージが届いていた。
あの出来事から家族と距離を置いている僕はおじさんと一緒に生活をしている。
おじさんは何の仕事をしているのか教えてくれないけれど、いつも忙しくて朝起きたらいなくて、僕が寝ている間に帰ってきているらしい。
食べ終わった皿や洗濯機の中に服が入っている。

「無理をしていないといいんだけど」

おじさんは独身だ。
気にしなくていいと言ってくれているけれど、独身であるおじさんが僕を引き取ってくれた事で重荷になっていないか不安になってしまう。

「ダメだな、雨が降っているせいか後ろ暗い事を考える」

前までは気になっていなかった雨のせいかもしれない。

「きっと、あの日なんだろうな」

怪異によって、否、新城の手によって僕の家族が歪んでいると明かされたあの日から、僕は雨が嫌いになった。

「今日も雨かぁ……明日くらいは晴れてほしいんだけど」
「どうだろうね」

昼休み、弁当を食べていると窓の景色を見ている瀬戸さんがぽつりと呟く。
大ぶりというわけでもないけれど、雨が窓を叩いている。

「雨が嫌いというわけじゃないけれど、一週間も雨が続くと流石にうんざりするね」

しとしとと降っている雨に瀬戸さんがうんざりした表情で机に突っ伏す。

「これはただの雨じゃない」

昼休み、寝袋にくるまっていた新城がむくりと体を起こす。

「新城?」
「え?どいうこと、ただの雨じゃないって」
「っち、面倒なことをしやがって」

寝袋からはい出てきた新城は舌打ちしながら廊下へ向かう。

「行くぞ、ついてこい」
「あ、うん」
「アタシも」
「お前はついてくるな」

立ち上がった僕に続こうとした瀬戸さんを新城は止める。

「なんでよ!?」
「怪異絡みだ、関わると碌な事がない。特に今回はついてくるな!」
「その理由を」

新城はバンと瀬戸さんの眼前で手を叩く。
驚いて尻餅をつく瀬戸さんを新城は一瞥する。

「うっさい、問答無用。行くぞ」
「あ、うん」

頷いた僕は新城の後に続いて廊下に出る。

「待ってよ、まだ話は終わって」

詰めよろうとしたところで新城が言葉を紡ぐ。
僕らが理解できないという事は怪異等に使うような術だ。
後を追いかけようとした瀬戸さんは壁にぶつかったみたいに動きを止める。

「痛い、え、なんで、通れないの!?」

「しばらく大人しくしていろ。お前の為でもある。面倒ごとに自分から突っ込もうとするな」

驚いて見えない壁をバンバンと叩きながら困惑している瀬戸さん。
新城はしばらく外に出られないという事を伝えると歩き出す。

「ごめん、後で」

どうやら防音もしっかりしているらしい。
何を言っているのか聞こえない瀬戸さんに謝罪する。

「術を使うなんてやりすぎなんじゃないの?」
「アイツは怪異に関わろうとする。何の覚悟も意思もない奴は買いに関わらない方がいい。
特に、今回みたいな厄介な案件は」
「厄介って、この雨が?」
「この雨はただの雨じゃない」
「え?どういうこと?」
「この雨は怪異が降らせている。普通の雨じゃないということだ」

新城が言うには降り注ぐ雨の中にほんの少しだけだが、怪異の力を感じるという。

「雨の中に怪しい力が込められているというわけじゃないから放置をしていたが、流石に一週間は長すぎる。同業者が動く気配もないから様子を見に行くことにした。道具は持っているな?」
「勿論」

ブレザーをめくって、腰のベルトに隠している十手をみせる。
前の怪異との戦いで新城からもらった十手。
怪異を祓う力はないけれど、怪異に襲われる人達を守るために使える道具。

「戦うことになるの?」
「相手の出方次第だな、やるってなるなら、相手をしなければならない……ただ」

真剣な目で新城が僕を見る。
その目は怪異と対峙するときと同じくらいの覚悟を秘めていた。

「天候を維持するなんて相当の力を持っている相手だ。邪悪な怪異なら俺達の命はないと思った方がいい」
「そんなにヤバイ相手なの?」
「怪異というよりも妖怪や神に近い存在だと思った方がいい」
「前も聞いたと思うけれど、何が違うんだっけ?怪異と妖怪って」
「怪異は人を巻き込む、それは現象であったり、悪霊と呼ばれる、とにかく人に絡んだ事に関わるものだ。だが、妖怪は違う。人と異なる生命、祓い屋の扱う力とは別ベクトルの力を持つ強大な相手だ。上級、もしくは神に至っている存在なら勝てない。逃げの一手しかない」
「そんな存在が雨を降らせているの?」
「理由はわからないけどな」

警戒は怠るなよという新城に僕は腰の下げている十手を握りしめる。
雨の降る中、体育館に繋がる廊下を歩いていた時。
シャン、シャンと鈴の音色が響いてくる。

「出たぞ」

身構える新城。
鈴の音色と共に雨が降り注ぐグラウンドからある一団が姿を見せる。
けれど、それは人ではない。

「さ、魚?」

大名行列のような集団が僕達の前にやってくる。
着物姿の彼らの顔は魚だ。
鯉らしき顔の集団の後に牛車がやってくる。
水牛が引いている牛車の中に強い妖怪がいるのだろうか?

「控えよろう!この方をどなたと心得る!水の神、ミズチ様であるぞ!」

牛車の傍にいた妖怪が叫ぶ。
よくみると肌が青白い事と、耳の部分に鰭のようなものがあることを除けば人に近い存在だ。
この魚人の言葉が真実なら牛車の中にいるのはミズチという妖怪?神様らしい。

「聞こえなかったのか!?そこの人間ども!ひょろっとしたのと、ちっこいの!」
「だぁれがちっこいだぁああああああああああああああああああああ」
「あ」

止める暇もなく魚人の顔へキックを入れる新城。
一般高校生よりも身長が低いことを気にしている新城はチビや小さいと言われる事に耐性がない。
周りの鯉人間達が慌てて助けに向かっていくのを見ながら怒りを発散するように荒い呼吸をしている新城へ視線を向ける。
これって、問題になるのでは?

「無礼者め!この私の顔を蹴るとは!容赦せんぞ!」

蹴りが鼻部分に直撃したんだろう、少し赤くなっている。
怒った魚人の人が腰に下げていた刀を抜いた。

「斬り伏せてくれる!」

激昂と共に振り下ろされる刀をホルダーから抜いた十手で僕は防ぐ。

「貴様、阻むか!」

横から割り込んだ僕に魚人は怒りながら一度、刀を下げる。
刀を押し戻して新城を守るように十手を構えた。

「お前達、陰陽師だな!」
「違うわ、祓い屋だ」

驚いた顔をしている魚人へ新城が突っ込む。

「えぇい、まさかミズチ様を狙う不届きものか!斬り伏せてやる!」
「待ちなさい」

身構える僕達へ響く声。
凛として、そして、何か強い力を感じさせる声。

「刃を抑えなさい。無礼は我らにある」

牛車の幕があがって、そこから一人の少女が姿を見せる。
十二単を纏って、流れる髪はきらきらと輝いていた。
神々しさという言葉は目の前の少女の為にあるのではないかと思ってしまうほどの美貌を持っている。
「我が家臣が無礼を働きすまない、祓い屋様と守り手様。私の名前はミズチと申します」

ミズチと名乗った少女に僕はどうするか、と新城へ視線を向ける。

「十手を下せ」

手を伸ばして新城が僕の手に触れる。

「上級妖怪が相手かと思ったが、まさか本物の神がやってくるなんてな」
「ほう、我の力を見抜くとは、並の祓い屋ではないようですね。これは頼りになりそうです」

ニコリと微笑む彼女に僕達は毒気を抜かれたように警戒を解く。

「アンタに敵意がないことはわかった。その前にこの雨をなんとかしてくれないか?流石に一週間も続いていると気が滅入る」
「それは失礼した。久々の人間界だった故に力の加減を間違えていたようだ」

ぺこりと会釈すると共にさっきまで降り注いでいた雨が嘘のようにやんだ。
新城の言う通り、この雨は目の前のミズチという妖怪の力だった。

「では、祓い屋様、守り手様、そして、そこの女性の方も交えてお話よろしいですか?」
「あ?」
「え、三人?」
「あちらに、お一人」

不思議そうにミズチさんが指さす方をみる。

「…………ぁ」

瀬戸さんがヤバイという表情をして隠れた。

「お前、そこで何をしている?」

あ、ヤバイ、新城もキレている。

「えっとぉ、その、てへ」

ブチッと新城の頭の中の何かが千切れる音が聞こえたような、気がした。