「おはよう!凍真、雲川!」

僕達が通う学校の一室。
生徒から特別教室と言われるその空間に元気よく入ってくるのは少し前に特別教室の一員となった瀬戸ユウリさん。
心機一転という風に髪をバッサリと切ってボーイッシュなイメージに変わったけれど、不思議とそのイメージが彼女らしいと思える。

「おはよう、雲川さん」

先に教室へ来ていた僕は挨拶を返す。

「ちょっと、凍真、挨拶をしたんだから返しなさいよ」
「うるさい、俺は眠いんだ」

教室の床。
小さな寝袋。
寝ていたところを起こされて機嫌の悪い新城は瀬戸さんから視線を向ける。

「いいから、ちゃんと挨拶しろぉ、挨拶は大事なんだぞぉ」
「うざい!うざ絡みするな、鬱陶しい!」

器用に転がって瀬戸さんから逃げていく。
寝袋であれだけ器用な動きをする新城に驚くけれど、諦めずに追いかける瀬戸さんの行動力にもびっくりさせられる。

「ちゃんと挨拶しろよぉ」
「うっさい、俺は眠いんだ。これ以上、邪魔するなら」

眉間に皺を寄せて不機嫌ですという表情をしている新城は寝袋の中から数枚のお札を取り出す。

「ちょっと、何するつもり!?」
「なぁに、そのうるさい口を塞ぐ、ついでに俺の安眠妨害できないようにお前を寝不足する呪いをかけてやる!」

新城の表情を見て、本能的にヤバイと察したのだろう。

「それはシャレにならない!やめてよ!じりじり近づかないで!」

慌てた様子で新城から距離をとっていた。
しかし、口を塞いで、寝不足にするなんて言う呪いがあるのだろうか?
祓い屋を営んでいる新城がそういう呪いがあるといえば、そうなのかもしれないけれど。
偶に嘘八百でその場を乗り切ったりすることもあるから正直なんともいえない。

「ちょっと、雲川みていないで助けてよ!」
「おい、そいつの手助けをしたらどうなるかわかってんだろうな」

助けを求める瀬戸さんと、血走った目で僕を見る新城。

「私は自分の身が大事なので中立を宣言します」

こういう場合、僕は両手を挙げて中立宣言を貫く。

「雲川!?」
「さて、覚悟を」

ニヤリと笑っていると頭上で始業のチャイムが鳴り響く。

「チッ、寝そびれた」

舌打ちしながら札を仕舞って寝袋をたたむ新城。
休み時間は寝袋を広げているけれど、授業の時間帯になると自分の席へ腰かける。
意外と授業態度は真面目なのだ。
助かったと息を吐いた瀬戸さんも着席する。
ちなみに、席順については廊下側に僕、真ん中あたりに瀬戸さん、外側に新城の席がある。
三人だけしかいない教室のせいか、思い思いのところに座っても問題ない。
僕は机から教科書と問題集を取り出して勉強をはじめた。
隣を見ると新城はぺらぺらと教科書をめくり、反対側の瀬戸さんはもくもくと問題を解いている。

「よし」

彼らに対抗心を燃やしながら僕も問題を勉強に意識を集中した。
特別教室は基本的に教師がやってこず、基本的に自習ばかり。
自主性を重んじるというわけではなくて、問題を起こした生徒の面倒をみることを嫌がっている教師が多いらしい。
その為、定年退職間近の工藤先生と数学の源先生が授業をしてくれる以外は暇になる。
暇な時間をダラダラするよりも自主勉強をしようという事が暗黙の了解となっていた。
休憩時間になると新城は机の上に突っ伏して、睡眠をとる。

「アイツ、いつも寝ているけれど、睡眠不足なの?」

不思議そうに聞いてくる瀬戸さん。

「新城が言うには疲れているから眠りたいってことらしいよ」
「もしかして休みの日とかも寝ているんじゃないかしら」

否定はできないかも。
休みの日に布団で気持ちよさそうに寝ている新城の姿と怪異と対峙している新城のギャップの差を想像してくすりと笑ってしまう。

「あれ?どうしたの?」
「いや、その、何かツボに入ったというか、ちょっと」

不思議そうにしている瀬戸さんになんて説明するか考えながら必死に笑いを堪える。
いつもなら寝ている新城と二人っきりの教室で誰かと話すという日常の変化にいつの間にか適応しているなぁと説明を終えて、二人して笑っている時、僕はそんなことを考えていた。
けれど、日常の変化はどうやら怪異も呼び寄せてしまったらしく。
僕と新城はその日の夜から街中を歩き回る羽目になるという事をまだ、知らなかった。


















「つまらん」

月が照らす深い森の中。
そこで一人の女性が身の丈の刀を手にしてぽつりと呟く。
彼女の足元には熊が倒れている。
ヒューヒューという小さな音だが、四メートルは超える巨大な熊であり、周囲の木々のざわめきもない為か呼吸音が周囲に響いていた。

「この土地で名のある主だと聞いて、腕試しにきたが、思った以上に歯ごたえがなさすぎた」

女性の前に倒れている熊はこの地方では名の知れた主であり、縄張りに入り込んだ人間や侵略する者達を悉く鋭い爪と牙で屠ってきた。
獣でありながら獣の領分を超えた存在。
そんな噂を聞いた彼女は興味本位で訪れて対峙したものの――。

「弱すぎる」

ドシンと肩にのせていた刀を地面に突き刺す。

「これでは真剣でやりあう価値もない……確かに獣としての領分を超えてはいた、だが、片足にすぎん。こんなのでは準備運動すらならん」

ぶつぶつと言いながら腰まで届く青い髪を揺らしながら月を見上げる。

「もう少し歯ごたえのある奴はいないのか?」