チャイムが鳴り、学校の私立文系コースの授業が終わり、昼休み。
ノートや筆箱を抱えて、自分のクラスの教室に戻ろうとしたときだった。
「柊木さん!あのさ…」
突然声をかけられた。振り返るとその声の主は漆原くんだった。
「なに?」
びっくりした。会話らしきやり取りをしたのは、こないだの自習室が初めてなのだ。
漆原くんが女子である私と対峙しているだけで、しだいに廊下にいる周囲が歩みを止めたのを肌で感じた。
「えっと……」
塾に関することで止むを得ず声をかけてきたのだろうかと思ったが、何やら言い淀んでいるようだった。
妙に窓の外に視線を泳がせていたので、私もそちらを眺めたが、枯れ木が寒そうな風に煽られているだけだった。もう一度彼に顔を向けると、左手で塾でも使ってる筆箱とテキストを握りつぶすように持って、右手にはカイロを持っていた。
「放課後、一緒に勉強しよう。出来れば塾じゃなくて、学校で。誰かとしたほうがきっと効率いいよ」
「なんで?私?」
頭の中にハテナがいっぱいだった。すると、いきなり私の手の甲を取った。そのてのひらで、私にカイロを握らせた。
「前から気になってたんだ、ずっと……。付き合って、ほしい」
周囲の女子数人が、高い悲鳴をあげた。
きっと端から見たらロマンティックな光景だったはずなんだろうな。なんて他人事のようにそのときの私は考えていた。
ただ、触れられた場所は生暖かかった。
私たちのことは、エンタメに飢えている三年生の学年中に一瞬にして広まった。
「まゆ、そんな髪じゃダメだぞ。放課後デートだろ」
けいちゃんが、髪を梳いてナチュラルな編み込みのスタイリングをしてくれた。
「いやぁ、まさか友人のデートヘアを仕立てる日が来るなんてなぁ」
私たちが同じ塾に前から通っていたこともいつの間にか知れ渡っていた。どうやら漆原くんが理由を聞かれたときにそう答えているらしかった。
悲鳴を上げた女子辺りにもっと詮索されるかと思ったが、思ったほどではなかった。目前に迫った卒業で、上京して会えなくなるイケメンより、その先にある出会いに期待することにしたのかもしれない。それとも相手である私があまりに平凡で騒ぎ立てる気が失せてしまったのだろうか。
「漆原くんいるなら無敵じゃん、恋も合格も両取りしちゃおう」
後戻りできなくなってきた。
私は漆原くんに返事をしていなかった。私なんかが彼を否定する価値もない気がして、怖かった。流されるがまま、誰にも言えずにいた。
「うん……でも、勉強デートはやだな。私、そんなんより普通に食べ歩きとか、可愛い服とかみたいよ」
「終わったら漆原くんとできるって、しんぼう、しんぼう」
けいちゃんは、ねじった毛束をヘアピンでとめた。
完成した私の髪を整えるその顔は、本当に嬉しそうだった。
本当は、漆原くんと勉強するくらいなら、けいちゃんと遊びに行きたかった。
でも、こんなに合格を期待してくれてるのに、けいちゃんの気持ちを無碍にすることはできなかった。
もし、叶うのならば、けいちゃんとサナギの話をしてみたかった。誰かにサナギの話ができたら、話せてたら良かったのかもしれないのに。
だったら、彼の抱えていることにもっと早く気付けたかもしれないのに。


