──「クレナイ。手紙で伝える形になってしまってごめん。何を隠しているのか、クレナイに聞かれたときとても嬉しかった。でも、うまく伝えることができなかった。だけど、どうか、知りたいと思ってくれるのならば、ここから先を読んで」



サナギの字を見るのは初めてだった。でも紛れもなくサナギだと確信した。
読みたくない。知らなくていい。
でも、……弱さごと含めてサナギだって認めてあげたい。
ふるえる指でその先をなぞった。



──「僕には、最愛の女性がいました。その人は、僕と血が繋がっており、僕の娘でした。僕は、21歳のときに父になりました。当時付き合っていた女性のとの間に出来た子でした。入籍だけ先にして、結婚は卒業してからにしよう、という話でした。順番が逆になったこと、早すぎる年齢、世間体もあって、親や周りからの目が掌を返したように冷たくなり、僕は常にきちんとした父親を求められる、つまり周りから監視される対象物になりました。育児やノイローゼでなかなか大学に通えない彼女の分も、大学に行ってしっかりしたところに就職して、はやく一人前だと認めてもらわなくてはいけない。プレッシャーで押しつぶされそうなときの、唯一の拠り所が血のつながった娘でした。」


店長がくんでくれた、水を飲んだ。



──「僕に笑いかけてくれるのが嬉しくて、何者でもない僕を求めてくれるそのつぶらなまなざしに、くじけそうなとき何度も救われました。僕は、娘と同じご飯を食べることを楽しみにしていました。料理なんてしたことなかったけど、ふとそう思ったのです。離乳食を離れ、歯がなくても食べられる柔らかいものだったら、と言われ、僕は冬だしあったかいうどんがいいだろう、と提案したら、口が小さいから難しいのではと却下され、結果「にゅうめん」になりました。いつか一緒に食べるために、来る日も来る日も、出汁や麺のゆで方の練習をしていました。でも、冬になり、風邪をこじらせて、一緒に食べることもままならないまま娘は帰らぬ人になりました。一歳になる前、やっと液状以外のものを食べられるなる前でした。娘は、紅花(べにか)という名でした。漢字をもじってたまに、クレナイと呼んでいたこともありました。いつか大人になるまで、あわよくば君──クレナイの年齢になるまでそばで見守っていたかった。もうにゅうめんだって、食べてくれないし、笑いかけてもくれない。くれないくれない、と嘆いていたのは、俺の過去のほうでした。」



──もし良かったらなんだけど、コレ食べない?
──じゃあ、名付けてやる。今日から君の名前はクレナイだ。
──家族に縛られてるってのは実は幸せなことなんだよな
──我慢しなくったって、欲しいものを何でも手に入れることが出来る権利を君は既に持っている
──クレナイ、いつもありがとな。俺も話し相手が欲しかったのかもしれないな
──クレナイのおかげで入学してからの思い出、思い出せたよ


言葉が蘇ってくる。
隠していたこと、抱えていたものの答え合わせが、足りなかったピースが埋まっていく。
いつもサナギは寂しそうに笑っていた。





──「だけど、それじゃ前に進むことはできない。嫁と離婚し、取り残された家で何ができるのか、サナギのように籠って冬が来るのを恐れてばかりでした。行き場のない気持ちをどうすることもできず、叔父さんの店でバイトさせてもらえるようになって、食べさせたい人もいないのにリハビリでにゅうめんを作る毎日。そんなときに、冬を前にクレナイ、君に出会えた。君が僕のにゅうめんを食べてくれた。それにどれだけ救われたか、君はきっと知らないだろう。君に関わるようになって、同じ塾に通っているなんて思いもしなかった弟と思わぬ形で再会もした。背けていた現実を思い知らされる日々でした。僕はどれだけの人を傷つけてきたんだろう。家族にふと生じた感謝の言葉を伝えることすらもう許されませんでした。だから、これ以上は。娘の一回忌がちょうど大学のオープンキャンバスの日です。そこで君に全て話して、嫌われ、退学の手続きを済ませようと思います。俺のことだからきっと上手く話せない気がするので、この手紙を一応残しておきます。ps.君に贈った口紅は、娘なり別れた嫁なりにいつか手渡そうと思っていた未練の塊です。未開封です。これで僕は報われます。僕みたいにならないように家族を大事にするんだぞ。さようなら。笑って、クレナイ。」




読み終わった私は、箸を持ち、にゅうめんを啜った。
まだ全然あったかかった。
卵で閉じられた出汁を飲むと、あったかいものが胸のなかに広がった。