夜、塾で自習していると、ガラッと戸が開いた。
サナギだった。だけど間もなく漆原くんが後ろから入って来て、ギロッと睨んだ。
「オイ、部外者は出て行けよ!」
「出前です。失礼致しました」
漆原くんは急に言葉を荒げた。
サナギはにゅうめんのお椀の乗ったトレイごと端の机に置くと、空気を読んでか、すぐに出て言ってしまった。漆原くんは険しい顔をしていて、ものすごく二人きりになりたくなかった。
「まゆちゃん、最近自習室に遅くまでいるんだね」
そして、しれっと話題を変えて微笑んできた。
やがて、漆原くんは、自分の展望を語った。
「僕は、絶対東京の大学に受かる。親の言いなりになんかなってやるか」
そう話す口調は力強く、意思の固さを感じさせた。
私が口を挟む隙すら与えず、身の上を教えてくれた。
彼のお父さんは、医者らしい。幼い頃から親はもちろん親戚からも跡継ぎを強要されて育ってきたのだという。兄が違う道に進んでしまったので、負担が二倍自分に回って来たのだという。でもどうしてもお父さんと同じ道に進みたくなくて、進路を真剣に考えた結果、経済学部に行きたいのだそうだ。
「世の中嘘だらけだよ。大人に惑わされるな。自分を強く持つんだ。受験戦争ってのはそういうことだ。柊木さんも、そうシフトチェンジしていったほうがいいよ」
マーカーや書き込んだ印でいっぱいの赤本をパラパラめくりながら、前のめりに彼は言った。
「信じられるのは己の努力だけ。親なんて大嫌いだ」
すごい。きっと漆原くんはかっこいいのだろう。だけど。
私も放ったらかしで構ってくれないくせにテストの数字しか見てくれない親が嫌いだった。だから、分かるはずなのに。サナギの言葉がふとよぎった。
──家族に縛られていることは実は幸せなことなんだよ
あのときの、寂しそうな笑みが頭から離れない。
漆原くんの口から聞く“親なんて大嫌い”、その響きは対して耳障りがすごく悪かった。
「遅くなっちゃった。家まで送るよ。でもそれ、注文したんだろ、勿体ないし食べなよ」
キリのいいところまで勉強が終わると、
自習室の端に放置していた、すっかり冷えたにゅうめんにようやく手をつけることができた。慌てて数分でかきこんだ。
なんとなく、漆原くんに見られたくなかった。にゅうめんも、食べている姿も。それはものすごく不味かった。
「向かいの店だろ、トレイ、返してきてやるよ」と彼が持ったので、「いい!」と私はそれを奪い取った。


