「サナギはなんで麺専門店でバイトしてるの?」
「ちょっとな、にゅうめんが作れるようになりたくてな」
「そんな理由でバイト始めることある?」

出前の鉄箱を脇に置いて、サナギは前の席の椅子に座って、背もたれに寄り掛かっている。
にゅうめんを啜る顔をイチイチじっと見つめるので恥ずかしくなる。

「大学で勉強ちゃんとしてるの?」
「ほどほどにな、あ、でも一句好きな短歌あるぜ」
「短歌?」

"くれなゐの 二尺伸びたる 薔薇の芽の 針やはらかに 春雨のふる"

「by正岡子規」
ははっと笑う。
「大学の講義でやってたんだ。俺の好きな言葉」
一生懸命で可愛いって意味だよ、サナギは私の耳元で囁いた。にゅうめんを食べる私の口元を拭い、指に付いたたまごをぱくっと食べた。大胆な行動にびくっとした。
「……今日どうしたの。お酒飲んでる?」
「ちょっとだけな」
耳にかかる吐息が、お父さんがリビングで寝てるときに嗅いだものによく似ていた。なのに妙に甘ったるい。バイト中って飲酒いいんだっけ。と心配した。その日のサナギはちょっと変だった。
「うちのとこみたいに小さい店だと常連のお客さんと一緒に飲んじゃうこともあるんだ」
へぇ。と返答するものの、サナギが酒を飲むイメージがしっくりこない。
「大学生って自由そうでいいな。高校生はできないことが多すぎるよ。バイトは禁止されてるし、お酒に逃げることもできないし、親に縛られてるし」
「我慢なんてしなくていいじゃん。クレナイだって、オシャレだって化粧だってしたっていいし、そんなの誰が決めたの?」
「……親や先生を安心させるため?」
「じゃあもう関係ないんじゃないの。模範生かどうかとか気にしなくたって」

──ふと、気づいた。それは、全て推薦合格のためだった。もう推薦に落ちた私は人の目を気にする必要は、もうないのだ。

「……その発想はなかった」
「十八歳だろ?成人してるんだから、無敵だよ。結婚だってできる年齢だ」

親のいいなりにならなくていい、
そうか、そうだったのか。どくんと胸が高鳴った。

「俺、自由だよ。とても、怖いくらいに自由。でも、」
「でも?」
「家族に縛られてるってのは実は幸せなことなんだよな」
「なにそれどういうこと?」

サナギは寂しそうに笑うと、窓の外の木々を指さしてこう言った。

「十二月のイルミネーションの木とか見てるとさ、思うんだよ。夜見ると綺麗に思えるかもしれないけど、実はアイツら昼間見ると全身をLEDにきつく捕縛されてて、なかなか痛々しいんだ。でも、縛られてるおかげで綺麗に生きられている。自由になりすぎると、そのLEDを無性に焦がれてしまうこともあるんだ」

点滅するイルミネーションの木の下に、人が群がっていた。
「……え?」
「エナジードリンクはやめときな、人っていつどこで健康を害するか分からないから。あと風邪引かないようにね」
サナギはそう言って、勉強の合間に飲んで、足元に転がしていたエナジードリンクの空き缶を拾った。鉄箱とお盆と一緒に抱えて去っていった。

朝、登校時にイルミネーションの木々を眺めに足を運んだ。黒いコード線が幹や枝に怖いほどグルグルに巻き付いていて、あまりに窮屈そうで、ぞっとした。こんな木でも固い蕾が実り、春になると花を咲かすらしい。なんだか嘘みたいで信じられなかった。
サナギはなにに苦しめられてたんだろう。そのときの私は想像もつかなかった。



その足で学校へと登校すると、漆原くんが通学路の途中で私を待っていた。
「おはよう」
「うん」
「顔色よくないよ」
「そんなことないよ」

話題に困ったのか、「disturb……」英単語をポツリと彼が呟いた。
「ほら、和訳!」と促したので、頭の片隅から引っ張りだしてきて応えた。
教室に着くまで、そのとりとめのないリレーは続いた。
それなりに白熱した。私は本当にどうしようもないくらい優柔不断だ。きっと周りから見たらこういう光景が付き合っているように見えるんだろう。
多分、漆原くんは誰かとこういうことをやりたかったんだと思う。相手としてたまたま同じ塾の私を選んだだけ。
だから、もらった告白の言葉に、ずるいけど蓋をすることにした。
進路も恋愛も、決める勇気なんて今の私には……ない。