前回のあらすじ
それはただの書き割りの月。
もしも君が信じてくれなくちゃ。
「すこしは落ち着いたかい」
錬三の入れてくれた豆茶のカップを手に、紙月と未来は目を合わせて恥ずかしげに笑った。
何しろつい先ほどまで、二人は抱き合ったまま、子供のようにわんわんと泣き喚いて、何事かと人が見に来るほどだったのだ。
それがようやく落ち着いて、二人はやっとこさお互いの顔を、まともに見れるようになったのだった。
いや、正直なところ、まともに見れるかというと、実際はそうでもなかった。ちらちらとお互いの顔を見上げては、なんとなく気恥ずかしくなって顔を俯かせるという、そう言う繰り返しだった。
何しろ自分の半生を語ったうえに、互いに互いの共依存を語り合ったような、要するに自分達はべったりですよと告白しあったばかりのようなものなのだ。これが気恥ずかしくない訳がなかった。
世の中に友情宣言をする者たちは数多くあれど、よくもまあ永久にだのなんだのと言えるものだと紙月は困惑するばかりであった。
「まあ、豆茶でも飲んで、少し落ち着くがいいさ。こいつはまあコーヒーと同じようなもんでな。いくらか、落ち着くじゃろ」
二人は並んで座って、受け取った豆茶を少しずつ冷ましながら口にした。それはいままでの飲んだどんなコーヒーよりも優しく、そしてくすぐったい味がするのだった。
この黒い液体はただ苦いばかりでなく、豊かな香りと、穏やかな甘みをもって、確かに二人の神経を鎮め、穏やかな心地を取り戻させてくれた。
「落ち着いたか。落ち着いたら、どうするね、お前さん方」
「どうするって、何を?」
「紙月、お前さんもうちょっとしっかりしてやらんと、未来をリードしてやれんぞ」
「む、むう」
そう言われると、弱かった。
もとより大人として、子供の未来のことを庇護し、引率しているつもりだった。
しかしその実態は子供である未来に護られ、ここまで支えられてきたようなものなのである。
錬三はあきれたように自分も豆茶を啜り、それから煙管をふかした。
ぷかぷかといくつかの煙の輪が、天井へと向かって登っていく。
「もともとわしを訪ねてきたのは、元の世界に帰る手掛かりを探してのことじゃったろう」
「ああ、そうだった」
「全く。それで、今やそれは不可能ということがしっかり思い出されたじゃろう。なら、今後は何を目的とし、何を目標とするか、考えておかんと、あとで苦労するぞ」
そう言われて紙月は困った。
何しろ紙月にはもう目的というものがなかったのだ。
ただひたすらに未来をもとの世界に返してやりたい、できれば自分も帰りたいとそのことばかりだったのである。
その目的が失われてしまった今、紙月に果たして何があるだろうか。
「……未来はどうしたい?」
「僕? 僕は、別に、最初から当てがあったわけじゃないからね。漠然と、新しいところで再出発しようかなって思ってただけで」
「小学生だからというか、小学生らしくもなくというか、後先考えん奴じゃのう」
「うう、だってあんなの急に言われたって、そんなすぐにその後の人生計画立たないよ」
「まあ、そりゃそうかもしれんな」
何しろあなたは死にました、次の選択肢から進路を選びなさい、などと前置きなしの予告なしでぶちまけられたのだ。
いくら未来が子供なりに賢しいとはいえ、それはあくまでも子供なりのものであって、経験も乏しい小学生にいったいどんな計画が立てられたというのだろうか。
まして一応は大人である紙月だって、全く思いついていないようなことなのだ。
「お爺ちゃんはどうだったのさ」
「わしぃ? わしはあれよ。生前かみさんには苦労させたから今度は気楽に独り暮らししたいとか、会社経営失敗したような気がするからもうちょい楽な経営したいとか、そんなもんかのう」
「なんか地味」
「生きるってのはそう言うことじゃろ」
「生きるってこと、ねえ」
二人はしばらくまんじりともせず豆茶を啜って、それからゆっくりとうなずきあった。
「じゃあ、当面の目的は生きるってことで」
「楽しく生きるってのがいいね」
「そうだな。他に目的なんてもうないしなあ。しいて言うなら、お前を護ってやることくらいか」
「それでいいじゃん」
「へっ」
「それでいいよ。それだけだっていいよ。紙月は僕を護って。僕は紙月を護るから」
「あー……おう」
「おーおう、漠然としたこと言って、あとでもめる奴じゃな」
「物騒なこと言うない」
結局のところ、何が変わったと言って、何も変わってなどいないのだ。
紙月は紙月だし、未来は未来のままだ。
お互いにいろいろと語り合ったとはいえ、コンプレックスはコンプレックスのままだし、欠陥は欠陥のままだし、そして互いに互いを護ろうという気持ちもそのままだった。
ならば、きっとそれでいいのだ。
無理に何かを変える必要なんてない。
すでにこんな異世界に飛ばされるなんて言う、大きな変化があったばかりなのだ。
この新世界での人生は、始まったばかりなのだから。
用語解説
・何もないのは平和の証
それはただの書き割りの月。
もしも君が信じてくれなくちゃ。
「すこしは落ち着いたかい」
錬三の入れてくれた豆茶のカップを手に、紙月と未来は目を合わせて恥ずかしげに笑った。
何しろつい先ほどまで、二人は抱き合ったまま、子供のようにわんわんと泣き喚いて、何事かと人が見に来るほどだったのだ。
それがようやく落ち着いて、二人はやっとこさお互いの顔を、まともに見れるようになったのだった。
いや、正直なところ、まともに見れるかというと、実際はそうでもなかった。ちらちらとお互いの顔を見上げては、なんとなく気恥ずかしくなって顔を俯かせるという、そう言う繰り返しだった。
何しろ自分の半生を語ったうえに、互いに互いの共依存を語り合ったような、要するに自分達はべったりですよと告白しあったばかりのようなものなのだ。これが気恥ずかしくない訳がなかった。
世の中に友情宣言をする者たちは数多くあれど、よくもまあ永久にだのなんだのと言えるものだと紙月は困惑するばかりであった。
「まあ、豆茶でも飲んで、少し落ち着くがいいさ。こいつはまあコーヒーと同じようなもんでな。いくらか、落ち着くじゃろ」
二人は並んで座って、受け取った豆茶を少しずつ冷ましながら口にした。それはいままでの飲んだどんなコーヒーよりも優しく、そしてくすぐったい味がするのだった。
この黒い液体はただ苦いばかりでなく、豊かな香りと、穏やかな甘みをもって、確かに二人の神経を鎮め、穏やかな心地を取り戻させてくれた。
「落ち着いたか。落ち着いたら、どうするね、お前さん方」
「どうするって、何を?」
「紙月、お前さんもうちょっとしっかりしてやらんと、未来をリードしてやれんぞ」
「む、むう」
そう言われると、弱かった。
もとより大人として、子供の未来のことを庇護し、引率しているつもりだった。
しかしその実態は子供である未来に護られ、ここまで支えられてきたようなものなのである。
錬三はあきれたように自分も豆茶を啜り、それから煙管をふかした。
ぷかぷかといくつかの煙の輪が、天井へと向かって登っていく。
「もともとわしを訪ねてきたのは、元の世界に帰る手掛かりを探してのことじゃったろう」
「ああ、そうだった」
「全く。それで、今やそれは不可能ということがしっかり思い出されたじゃろう。なら、今後は何を目的とし、何を目標とするか、考えておかんと、あとで苦労するぞ」
そう言われて紙月は困った。
何しろ紙月にはもう目的というものがなかったのだ。
ただひたすらに未来をもとの世界に返してやりたい、できれば自分も帰りたいとそのことばかりだったのである。
その目的が失われてしまった今、紙月に果たして何があるだろうか。
「……未来はどうしたい?」
「僕? 僕は、別に、最初から当てがあったわけじゃないからね。漠然と、新しいところで再出発しようかなって思ってただけで」
「小学生だからというか、小学生らしくもなくというか、後先考えん奴じゃのう」
「うう、だってあんなの急に言われたって、そんなすぐにその後の人生計画立たないよ」
「まあ、そりゃそうかもしれんな」
何しろあなたは死にました、次の選択肢から進路を選びなさい、などと前置きなしの予告なしでぶちまけられたのだ。
いくら未来が子供なりに賢しいとはいえ、それはあくまでも子供なりのものであって、経験も乏しい小学生にいったいどんな計画が立てられたというのだろうか。
まして一応は大人である紙月だって、全く思いついていないようなことなのだ。
「お爺ちゃんはどうだったのさ」
「わしぃ? わしはあれよ。生前かみさんには苦労させたから今度は気楽に独り暮らししたいとか、会社経営失敗したような気がするからもうちょい楽な経営したいとか、そんなもんかのう」
「なんか地味」
「生きるってのはそう言うことじゃろ」
「生きるってこと、ねえ」
二人はしばらくまんじりともせず豆茶を啜って、それからゆっくりとうなずきあった。
「じゃあ、当面の目的は生きるってことで」
「楽しく生きるってのがいいね」
「そうだな。他に目的なんてもうないしなあ。しいて言うなら、お前を護ってやることくらいか」
「それでいいじゃん」
「へっ」
「それでいいよ。それだけだっていいよ。紙月は僕を護って。僕は紙月を護るから」
「あー……おう」
「おーおう、漠然としたこと言って、あとでもめる奴じゃな」
「物騒なこと言うない」
結局のところ、何が変わったと言って、何も変わってなどいないのだ。
紙月は紙月だし、未来は未来のままだ。
お互いにいろいろと語り合ったとはいえ、コンプレックスはコンプレックスのままだし、欠陥は欠陥のままだし、そして互いに互いを護ろうという気持ちもそのままだった。
ならば、きっとそれでいいのだ。
無理に何かを変える必要なんてない。
すでにこんな異世界に飛ばされるなんて言う、大きな変化があったばかりなのだ。
この新世界での人生は、始まったばかりなのだから。
用語解説
・何もないのは平和の証