前回のあらすじ
期待が外れてしまった紙月。だが大事なのは依頼の完遂である。
「まあ、世の中ままならないもんだよね」
「小学生に言われるのもなあ」
まあそこまで期待していたわけではなかったが、目的が一つおじゃんになったのは確かだった。
とはいえ、それは小目的に過ぎない。ついでがあればよかったなあという程度の話だ。いまの紙月は冒険屋であり、冒険屋としてここに立つ理由は、大嘴鶏食いの駆除と大嘴鶏の保護だ。
紙月たちはここで何日か、あるいは何週間か、次の交代要員が来るか大嘴鶏食いの駆除が確認されるかまでのあいだ、遊牧民たちの天幕を借りることになった。
彼ら遊牧民は毎日どこかへ移動し続けるというわけでは無かったけれど、それでも石造りの立派な建築物は持たなかった。その代わり、見事な刺繍のなされた天幕などが彼らの住まいとして建てられ、下手な建物よりもそれらは見ものだった。
数家族はみな一つの大きな家族のようにふるまい、パン焼きや煮炊きなどはみな一つの煮炊き場を共有していた。火を起こすときは必ず無駄がないように常に誰かしらが何かしらの作業をしていた。
燃料として燃やされるのは、市場で買った薪を用いることもあったが、もっぱら大嘴鶏の糞を乾燥させたものだった。これは臭うこともなく、長く、よく燃えた。
大嘴鶏の糞を集め、平たい岩に打ち付けて成形し、燃料として加工することは家族の、特に子供たちの仕事だった。
若い男たちが放牧に行っている間、天幕の内側では女たちが刺繍や道具の手入れにいそしんでいた。彼女らの刺繍は全く見事なもので、非常に大きな布に、何年もかけて刺される刺繍は、それ一枚で金貨にもなるような高値が付いた。しかしそれらが売りに出されることはあまりなく、もっぱらは花嫁たちの嫁入り道具となった。
この刺繍のモチーフは、何のための刺繍であるのか、またどの家のものなのか、誰が刺したものであるのか、そう言ったこまごまとしたころで細かく分類され、一つとして同じ刺繍はなかった。彼女らが何気なく刺した刺繍でさえ、貴族たちが大枚をはたいて買おうとすることもあるのだという。もちろんそれらは必要故に刺されるものであって、売りに出されることはまずなかったが。
刺繍と聞いてただ布に針を刺す姿を思い浮かべていた紙月は、ここで思い違いをしていることに気付いた。彼女らの刺繍が見事なことは確かだったが、ここはれっきとした異世界なのだった。彼女らの針にはしっとりと魔力が馴染み、刺される糸の一筋一筋にも繊細に魔力が込められていた。針を刺す手つきが呪文の詠唱であり、描かれる模様は魔法陣であり、仕上がった刺繍は一つの魔法だった。
ハイエルフの体であるからだろうか、紙月にはそれがよくよくわかった。
「おや、あんたわかるのかい」
「これ、もしかして燃えない魔法ですか」
「火除けの刺繍だね」
「こっちは、なんだろう、風のまじないが込められている」
「矢避けの加護さ」
彼女ら自身はそれを魔法と思ってやっているわけではなかった。ただ連綿と受け継がれていたそれを続けているに過ぎなかった。彼女らにとってそれは当たり前の代物に過ぎないのだった。しかし紙月の目からすればここは立派な魔法王国だった。成程貴族が欲しがるわけである。
放牧から帰ってきた若集を見て、紙月たちはそこに二種類の種族がいることに気付いた。一つは大嘴鶏にまたがった人族で、もう一つは自分の足でそれについて行っている細身の土蜘蛛である。
地潜とはずいぶん違う体格に戸惑っていると、彼らは親切にも教えてくれた。
「俺らは足高言うてな、穴潜りはようせんのやけど、走るのは得意やさかいこうして平野に住んどるんや」
足高という氏族は、地潜と比べてすらりとした細身の体付きだった。しかしそれは弱々しいとか華奢であるということではなく、引き絞った針金で編んだような体躯である。
彼らは、人族が馬に乗ってようやくたどり着ける速さを、自前の足の速さで平然と達成できる、非常に足の速い氏族だった。四本の足で滑らかに走り、四本の腕で弓を射る姿は美しくさえある。
最近では、帝国が宿場制度を広めるにつれて連絡伝達手段の一つ出る飛脚として、他所に出稼ぎに行く若者も多いらしい。
「まあ走るのばっか得意で、狩り以外できひんから人族の世話んなることの方が多いかも知らんけどな」
「言うたら僕達かてあんげにようけ走られへんから、御相子や」
冒険屋たちを呼ぶ前はもっぱら足高たちが大嘴鶏食いの相手をしていたようだったが、それもさすがに厳しくなってきたらしい。
本当であれば大嘴鶏食いというものは、被害を出しても一季に二度か三度ある程度で、保険屋に保険金を出してもらっておしまいというのが常であったらしい。
しかしどうにもここ最近では大きな巣か群れができたらしく、無視できないほどの被害が出るようになっているようだった。
「普通は、大嘴鶏食い言うんはそこまで増えへんのやけどな。餌の野良大嘴鶏が十頭おったら、大嘴鶏食いが一頭おるかおらんかや。草食なら草食えば増えるかも知らんけど、肉食やからな、あいつら」
だから突然変異か、たまたま餌の多い時期に増えたものが、いま餌が足りずに遊牧民たちを狙っているのかもしれないと彼らは語ってくれた。
用語解説
・足高
土蜘蛛の氏族の一つ。遊牧民。足の速い家畜たちとともに平原を移動する氏族。
非常に足が速く、弓を得意とする狩猟民族でもある。
主に中南部の平原地帯に住んでいるが、帝国の宿場制度と飛脚制度が広まるにつれてその足の速さを徴用され安定した公務員として就職するものも多い。
期待が外れてしまった紙月。だが大事なのは依頼の完遂である。
「まあ、世の中ままならないもんだよね」
「小学生に言われるのもなあ」
まあそこまで期待していたわけではなかったが、目的が一つおじゃんになったのは確かだった。
とはいえ、それは小目的に過ぎない。ついでがあればよかったなあという程度の話だ。いまの紙月は冒険屋であり、冒険屋としてここに立つ理由は、大嘴鶏食いの駆除と大嘴鶏の保護だ。
紙月たちはここで何日か、あるいは何週間か、次の交代要員が来るか大嘴鶏食いの駆除が確認されるかまでのあいだ、遊牧民たちの天幕を借りることになった。
彼ら遊牧民は毎日どこかへ移動し続けるというわけでは無かったけれど、それでも石造りの立派な建築物は持たなかった。その代わり、見事な刺繍のなされた天幕などが彼らの住まいとして建てられ、下手な建物よりもそれらは見ものだった。
数家族はみな一つの大きな家族のようにふるまい、パン焼きや煮炊きなどはみな一つの煮炊き場を共有していた。火を起こすときは必ず無駄がないように常に誰かしらが何かしらの作業をしていた。
燃料として燃やされるのは、市場で買った薪を用いることもあったが、もっぱら大嘴鶏の糞を乾燥させたものだった。これは臭うこともなく、長く、よく燃えた。
大嘴鶏の糞を集め、平たい岩に打ち付けて成形し、燃料として加工することは家族の、特に子供たちの仕事だった。
若い男たちが放牧に行っている間、天幕の内側では女たちが刺繍や道具の手入れにいそしんでいた。彼女らの刺繍は全く見事なもので、非常に大きな布に、何年もかけて刺される刺繍は、それ一枚で金貨にもなるような高値が付いた。しかしそれらが売りに出されることはあまりなく、もっぱらは花嫁たちの嫁入り道具となった。
この刺繍のモチーフは、何のための刺繍であるのか、またどの家のものなのか、誰が刺したものであるのか、そう言ったこまごまとしたころで細かく分類され、一つとして同じ刺繍はなかった。彼女らが何気なく刺した刺繍でさえ、貴族たちが大枚をはたいて買おうとすることもあるのだという。もちろんそれらは必要故に刺されるものであって、売りに出されることはまずなかったが。
刺繍と聞いてただ布に針を刺す姿を思い浮かべていた紙月は、ここで思い違いをしていることに気付いた。彼女らの刺繍が見事なことは確かだったが、ここはれっきとした異世界なのだった。彼女らの針にはしっとりと魔力が馴染み、刺される糸の一筋一筋にも繊細に魔力が込められていた。針を刺す手つきが呪文の詠唱であり、描かれる模様は魔法陣であり、仕上がった刺繍は一つの魔法だった。
ハイエルフの体であるからだろうか、紙月にはそれがよくよくわかった。
「おや、あんたわかるのかい」
「これ、もしかして燃えない魔法ですか」
「火除けの刺繍だね」
「こっちは、なんだろう、風のまじないが込められている」
「矢避けの加護さ」
彼女ら自身はそれを魔法と思ってやっているわけではなかった。ただ連綿と受け継がれていたそれを続けているに過ぎなかった。彼女らにとってそれは当たり前の代物に過ぎないのだった。しかし紙月の目からすればここは立派な魔法王国だった。成程貴族が欲しがるわけである。
放牧から帰ってきた若集を見て、紙月たちはそこに二種類の種族がいることに気付いた。一つは大嘴鶏にまたがった人族で、もう一つは自分の足でそれについて行っている細身の土蜘蛛である。
地潜とはずいぶん違う体格に戸惑っていると、彼らは親切にも教えてくれた。
「俺らは足高言うてな、穴潜りはようせんのやけど、走るのは得意やさかいこうして平野に住んどるんや」
足高という氏族は、地潜と比べてすらりとした細身の体付きだった。しかしそれは弱々しいとか華奢であるということではなく、引き絞った針金で編んだような体躯である。
彼らは、人族が馬に乗ってようやくたどり着ける速さを、自前の足の速さで平然と達成できる、非常に足の速い氏族だった。四本の足で滑らかに走り、四本の腕で弓を射る姿は美しくさえある。
最近では、帝国が宿場制度を広めるにつれて連絡伝達手段の一つ出る飛脚として、他所に出稼ぎに行く若者も多いらしい。
「まあ走るのばっか得意で、狩り以外できひんから人族の世話んなることの方が多いかも知らんけどな」
「言うたら僕達かてあんげにようけ走られへんから、御相子や」
冒険屋たちを呼ぶ前はもっぱら足高たちが大嘴鶏食いの相手をしていたようだったが、それもさすがに厳しくなってきたらしい。
本当であれば大嘴鶏食いというものは、被害を出しても一季に二度か三度ある程度で、保険屋に保険金を出してもらっておしまいというのが常であったらしい。
しかしどうにもここ最近では大きな巣か群れができたらしく、無視できないほどの被害が出るようになっているようだった。
「普通は、大嘴鶏食い言うんはそこまで増えへんのやけどな。餌の野良大嘴鶏が十頭おったら、大嘴鶏食いが一頭おるかおらんかや。草食なら草食えば増えるかも知らんけど、肉食やからな、あいつら」
だから突然変異か、たまたま餌の多い時期に増えたものが、いま餌が足りずに遊牧民たちを狙っているのかもしれないと彼らは語ってくれた。
用語解説
・足高
土蜘蛛の氏族の一つ。遊牧民。足の速い家畜たちとともに平原を移動する氏族。
非常に足が速く、弓を得意とする狩猟民族でもある。
主に中南部の平原地帯に住んでいるが、帝国の宿場制度と飛脚制度が広まるにつれてその足の速さを徴用され安定した公務員として就職するものも多い。