時生はなにも言わなかった。私の眼前で、ただただ立っていた。

 たったの五分程度だったのか、一時間くらい経っていたのかはわからない。

 涙が止まった。雨は小雨になっていた。

 涙を拭おうと両手で顔を覆ってみたけれど、全く意味がないとすぐに気づいた。手もびしょ濡れなのだ。

 ふ、とごく小さな息が漏れた。それはため息じゃなく、笑いだった。

 時生の前で大泣きしてしまったことの照れと、恥と、それ以上の安堵だった。

 乱れた息を整えるため、大きく深呼吸をしてから顔を上げると、

「時生、ありが──え」

 いつの間にか眼鏡を外していた時生は泣いていた。

 もはやあまり驚かなかった。なんならそんな気がしていた。

「また泣いてる……」

「泣いてない」

 とてつもなく頑固だ。

 とはいえ今日ばかりはスルーできない。

 目が充血しているだけじゃなく、小雨の中でもわかるほど頬にぼろぼろと涙を落としながら、ずるずると洟を啜りながら、どこからどう見ても思いっきり泣いている。

「泣いてるよね……」

「泣いて……る」

 ついに認めた時生は、「えぐ」とか「あぐ」とか「ぐふ」とか唸るような声を上げながら、いよいよ号泣していた。

 時生は今まで二回泣いた。

 今はどうして泣いているんだろう。また辛い過去を思い出したのだろうか。

 問いを口にしかけたとき、いつかの時生の声が脳裏によみがえった。

 ──会いたいときに絶対会える保証なんてどこにもない。

「……ねえ、時生。訊いてもいい?」

「はい」

「時生ってもしかして……大切な人がいなくなっちゃったこと、あるの?」

 聴覚から雨音が消えた。嗅覚から湿った土の匂いが消えた。

 世界中の全てが止まったような気がした。

 無意識に五感の全てを時生に集中させていた。

 顔を上げた時生は、真っ赤に染まった目を私に向けた。

 唇を薄く開いて、閉じた。

 それを二度繰り返し、結局、時生は答えなかった。

 けれど答えは明白だった。号泣を再開した時生に、もう声をかけられなかった。

 その姿を見ていることしかできなかった。