それに蘭音の口癖は「いじめなんてださいことは絶対にしない」だ。

 だから、こんなのはいじめのうちに入らないと思っていた。

 単なる私の被害妄想だと思っていた。

 ずっとずっと、そう思うようにしていた。

 自分がまたいじめられているなんて、認めたくなかった。

「そうじゃなくても、ちっぽけでくだらないなんて思わない。確かに悩みには大きいとか小さいとかあるよ。風邪引いただけの人と余命宣告された人の辛さが同じなわけない」

「……はは。ほんとにゼロか百かみたいな考え方だね」

「でも、だからってちっぽけなんて思わない。誰かにとっては小さい悩みに思えたとしても、その人にとっては死にたいとすら思うくらい大きな悩みなんだよ。だからくだらないなんて絶対に思わない」

 世界を襲撃しているみたいな雨音の中で、時生の声ははっきりと聞こえていた。

 まるで時生のまっすぐな目が、声が、私の心に直接届いているみたいだった。

「生きていくことに怯えてるからって弱いとは思わない。死を選んだ人が弱いとも思わない」

「……それ、昼間も言ってたね」

「だって、その瞬間まで必死に生きてたんだと思うから。どんなに辛くても、苦しくても、頑張って、踏ん張って、あがいて、もがいて、必死に生きてたんだよ。どうしようもなくなるくらい、頑張ってきたんだよ。そんな人が弱いわけない」

「……私は、弱いよ。ひとりでいることが、どうしようもなく怖い」

「弱くなんかない。どんなに怖くても生きてるじゃん。今こうして必死に生きてるじゃん。それにひとりじゃない。何度でも言う。俺は絶対に味方だから」

 ああ、まただ。

 胸の中で、ドロドロとした液体が渦巻いている。

「……なんで……そんな」

 いつも飲み込んでいたそれが、少しずつ、少しずつ、せり上がってくる。

 もう封じ込めておくことができないほどに。

「死んでほしくないからだよ。生きていてほしい。そう思ってるのは俺だけじゃない。未来には絶望しかないなんて思わないで。光は必ずある。だから生きることを諦めないで」

 氷みたいな雨粒に紛れて、生温かい雫が頬をつたった。

 雨粒に負けないくらい、それは私の頬を濡らした。

 私、泣いてるんだ。

 そう気づいたとき、身体の奥底から溢れてきたみたいに声が漏れた。

 時生の前で、泣いた。

「うー」とか「あー」とか、唸るような声を上げながら、子供みたいに、ただただ泣きじゃくった。

 ──生きて。

 私はずっと、誰かにそう言ってほしかったのかもしれない。