さっきよりもさらに力が入らなくなった足を前後に動かした。

 玄関のドアに手をかけたとき、さらなる絶望が待っていることを確信した。

 ドアの向こうからお母さんの金切り声が聞こえたからだ。

 蒼葉と葉月がなにかやらかしたのだろうか。それにしてもこの怒りようはひどすぎる。

 ドアを開けると、三和土に子供用の靴はなかった。そういえばおばあちゃんの家にお泊まりするとか言ってたっけ。代わりに珍しくお父さんの靴が置いてあった。

 お父さんはほとんど家に帰ってこない。残業と出張というのが本当なのかは知らない。知りたくもない。

 とにもかくにも納得した。ストレスの根源であるお父さんと対面して、幸か不幸か、感情を制御する存在がいない。お母さんが爆発する条件が見事なまでに揃っている。

 いよいよ足の力が尽きてしまったみたいに佇んでいた。

 開きっぱなしのリビングのドアからお父さんが出てきた。哀愁漂う表情で私に一瞥をくれると、そのまま出ていった。次いで出てきたお母さんは、嗚咽を漏らしながら二階に駆け上がっていった。

 リビングは荒れ果てていた。

 お母さんが投げつけたのだろう食器の破片が、床一面を埋め尽くしている。

 泥棒でももうちょっと丁寧に荒らしそうなものだ。

「……派手にやったなあ」

 乾いた笑いが出た。

 お母さんは数年に一度くらいのペースでキレるから、こんなの初めてじゃない。むしろそろそろ来るかもしれないとさえ思っていた。

 さてどうしようか。

 幸い蒼葉と葉月はいない。いや、いないからこうなってるのだけど。

 もしかしたら、今なら。

 今ならお母さんとゆっくり話せるかもしれない。

 いつもならお母さんが落ち着くまでほっとく。それしかできなかったし、それしかないと思っていた。

 だけど、本当にそれしかなかったのだろうか。

 ほとんど尽きている力を振り絞って階段をのぼる。

 お母さんの部屋の前に立つと、ドアの向こうからすすり泣く声が聞こえていた。

「お母さん」

 返事はない。

「あのね、ご飯──」

「うるさい!」

 今日は私が作るから、一緒に食べよう。久しぶりに、ふたりでゆっくり話そう。

 音にならなかった台詞はただの空気となり、唇の間から抜けていった。

「こんなときまでご飯だの言わないで! もう高校生なんだから適当に食べればいいじゃない! どれだけお母さんのこと困らせたら気が済むの? 子供みたいなこと言わないで! ちょっとくらいそっとしておいてよ!」

「お母さん、ちが──」

「ああもう! うるさい! 子供なんて──」

 最後の理性が働いたのか、ドアの向こうの声が止んだ。

 だけど、聞こえた。お母さんの声で、はっきりと、言われた気がした。

 ──産まなきゃよかった。

 ドアから離れ、階段を下りた。

 リビングには戻らずに、靴を履いて外に出た。