いても立ってもいられず、咲葵を追いかけた。
「咲葵っ」
咲葵は私に背中を向けたまま足を止めた。
「あ……ありがとう」
「なにが?」
振り向いた咲葵の顔は、いつもの柔らかい笑顔じゃなかった。表情筋の機能が失われたみたいに、完全なる無表情だった。
「あの……庇って、くれたのかなと思って」
「別に美桜のためじゃないよ。さっき言った通り。わたしだったら嫌だと思ったからそう言っただけ」
怒っている。
咲葵が怒ってるところなんて見たことがない。さっきだって、至って冷静だった。今もそう、ただ表情がないだけで、口調はいつもと変わらない。
なのに、さっきみんなに向けられた視線よりもずっと、針のむしろみたいに突き刺さってくる。
私に苛立っていることが、空気感だけで伝わってくる。
「ねえ美桜、なんでなにも言わないの? 美桜も同じ気持ちだったんじゃないの?」
言おうとしたよ。
言おうとしたんだよ。どう言えば伝わるのか、どうしたらなるべく事を荒立てずに済むのか、あの短い時間で必死に考えたんだよ。
だって私が下手な言い方をすれば、少しでも間違えたらどうなるか、咲葵だってわかってるでしょ?
「あんなのどう考えてもおかしいでしょ。思ってることはっきり言えばいいじゃん。いつまで蘭音と茜の機嫌とるつもり?」
そんなこと、言われたって。
私と咲葵は違う。全然違う。
咲葵は硬くて丈夫な橋の上にいる。その下にあるのは穏やかに流れる川。
私の足元にある細い糸はもう切れる寸前で。
その下にあるのは、ドロドロに渦巻いている底なし沼だ。
「……咲葵みたいに言えないよ。私は咲葵みたいに強くないんだよ」
咲葵の顔から完全に表情が消えた。もともと無表情だったはずなのに、なぜかそう思った。
私はこの顔を知っている。あのときの私もきっと同じ顔をしていた。
〝幻滅〟だ。
ああ、終わった。完全に嫌われた。
確かに向き合っているのに、目が合っているはずなのに、視線は交わっていない気がした。
咲葵の目線がずれて、わずかに見開いた。後ろを向くと、永倉くんが立っていた。
永倉くんは私と咲葵を交互に見て、咲葵を追った。