突風が吹いたわけじゃない。後ろから誰かに腕を引っ張られた。
恐る恐る振り向くと、まず目に入ったのは見覚えのある黒縁眼鏡だった。
「び……っくりした。時生? 帰ったんじゃなかったの?」
慌てて時生から離れた。肩から時生の手が解ける。
「屋上に人影見えて戻ってきた」
「え? なんで?」
走ってきたのだろうか。
時生の顔は暗がりでもわかるほど蒼白し、額やこめかみには汗が滲んでいた。
「今にも飛び降りそうな雰囲気だったから」
咄嗟に否定することはできなかった。
無意識だったけれど、確かに思っていた気がする。
──今ここから飛び降りたら、解放されるのかな。
「……あ、はは、なに言ってんの」
乾いた唇の両端を上げた。
「追い詰められたような顔してた」
「気のせいだよ。……あ、それより、さっきはありがとう」
「なにが?」
「その、さっきの、指さすやつ。気遣ってくれたんだよね」
「一番タイプの女子選べって話じゃないの」
「いや、うん、だから……」
「だから指さしただけだよ」
「え?」
「一番可愛いと思ってるから」
「へっ?」
ぶわっと顔が熱くなって、その熱は瞬時に全身に広がった。寒いのに私まで汗をかく始末だ。
なんだそれ。なんなんだ。私が一番可愛い? どういうこと?
そんなわけない。自分の顔のレベルくらいちゃんとわかってる。
いや、待てよ。
時生をあのデスゲームに参加させたのは「え……興味ないけど事件」の汚名返上を試みたわけで(大失敗に終わったわけだけど)。
時生はちゃんと意図がわかっていて、その上で状況を改善するよりも腹いせを選んだのかもしれない。俺がお前なんか選ぶかよ、みたいな。
いや、でも時生が私を選んだところで腹いせになるとは思えない。時生が今さらそんなくだらない反発をするとも思えない。
だけど時生はことごとくイメージを覆してくるし、そもそも時生のことなんてなにも知らないわけだし、ていうか時生が何者なのかもよくわからないし、
あれ、なんだかもうわけがわからない。
「え、あの……え? ごめん、ちょっとよくわかんない」
「ごめん、俺説明するの下手だから」
「そうじゃなくて!」
いまいち会話が思うように進まない。
「あんなの、どう考えても蘭音のこと指さすのが正解でしょ。これから今までよりもっとひどいこと言われるかもしれないよ。嫌じゃないの?」