「そんなことどうでもいい。美桜はぎりぎりのところで一線を越えなかった。俺はそれが優しさだと思ってるし、嬉しかった。美桜は人を傷つけることを言わないよ。そういう、些細に思えるけどそっと心に残るような美桜の優しさが、俺はずっと好きだった」
桜の花びらが舞う薄闇の中で、蓮はまるで憑き物が落ちたかのように朗らかに微笑んでいた。
もう能面顔も歪な微笑も思い出せないくらい、ごく自然に笑っていた。
「でも、だからって……意味わかんないよ。なんで? 消えちゃうかもしれないのに、なんでずっと私のそばにいたりしたの? なんでそこまでして……」
「生きていてほしかったからだよ」
蓮は眼鏡を外した。いつもまっすぐだった双眸は、今もしっかりと私に向けられている。
次第に笑みが崩れ、目には涙が滲んでいく。
「この十年間、一日も忘れたことはなかったと言えば嘘になる。忙しい毎日に追われて、余裕なんかどんどんなくなって、時間が経てば少しずつ、苦しみや悲しみも薄れたと思う。でもときどき、押さえつけてた感情が急に爆発したみたいに涙が止まらなくなるんだ」
蓮の頬に涙が落ちていく。
私もいつの間にか涙が溢れていた。
「美桜がいなくなってから死ぬほど後悔した。なんでもっとちゃんと見てなかったんだろうって、なんで美桜のSOSに気づかなかったんだろうって、なんでもっと大切にしなかったんだろうって」
薄闇の中でも気づいていた。
蓮が、少しずつ、少しずつ、透明になっていっているのを。
「……せっかく奇跡が起きたのに、やっとまた会えたのに、どうしても声をかけられなかった。下手に触れたら美桜を傷つけちゃうんじゃないかって、美桜が壊れちゃうんじゃないかって怖かった。だからずっと見てた。美桜のサインだけは絶対に見逃さないように」
やっぱり蓮は、私のことを見てくれていたんだ。
「ずっと笑ってると思ってた美桜の顔が、ほんとは曇ってることに気づいた。日直代わるって聞こえたとき、美桜が困ってることわかってたのに……ごめん、嬉しかった。やっと話すチャンスが来たって思った。なにか話さなきゃって思うのに、なにを言えばいいのかわからなくて……とりあえず目に入った字を褒めてみた」
そんな気はしていた。
私の字はそんなに下手ではないと思うけど、褒めてもらえるほど上手じゃない。