三年になるとクラスが離れてしまったが、夏を迎える頃には、同じクラスだったときよりも一緒に過ごす時間が増えていた。美桜があまり友達と遊ばなくなったからだ。

 毎日のように友達と遊んでいた美桜が、急に。たまに遊ぶときも、クラスメイトではなく一、二年の頃の友達と遊んでいるようだった。

 そして、たまに廊下で見かける美桜はいつもひとりで歩いていた。

 その変化に対して、俺はあまり疑問を持たなかった。新しいクラスメイトと合わないのかもしれない。その程度に考えていた。〝ひとりでいること〟は、俺にとってはごく普通のことだったから。

 放課後だって、美桜といられる時間が増えたことを、ただただ嬉しく思っていた。

「これどうしたの」

 秋の終わり、美桜は珍しく早退した日があった。

 翌日に会った美桜の額には大きなガーゼが貼られていた。

「えっと、階段踏み外しちゃって……」

「は? 大丈夫?」

「あはは、大丈夫だよ。ちょっとおでこ切れちゃっただけ」

「切れた? 縫ったの?」

「うん……まあちょっとだけ。でもほんとに大丈夫」

 そこで初めて違和感を覚えた。

 最近の美桜はちょっとした怪我をしたり教科書を忘れたりプリントをなくしたりすることが増えていた。

「最近ちょっと変だよ。もしかして体調悪いの」

「私けっこうドジなんだよ。しっかりしてそうに見えるでしょ?」

 冗談めかして笑った美桜に、俺は些細な違和感をあっさり捨てた。

 そうか。案外ドジなのか。そのギャップも可愛い。

 そんな間の抜けたことを、本気で思っていた。

「それより、高校どこ行くの?」

「同じとこ」

「え? 私と?」

「うん」

「なんで?」

「一緒にいたいから。同じクラスがいいし席後ろがいいし、ずっとそばにいたい」

「なんで隣じゃなくて後ろなの?」

「ずっと見てられるから」

「あはは。怖いね」

「ずっと後ろから追いかけたい」

「あはは。今まで気遣って言わなかったけど、それは世間ではストーカーと呼ぶね」

 あははと言いつつ美桜の顔はとてつもなく引きつっていた。

「昔はね」

「今も充分ストーカーだよ」

 衝撃だった。付き合っていてもストーカー呼ばわりされてしまうというのか。

 ちょっとばかり落ち込んで俯くと、美桜は困ったように微笑みながら俺の顔を覗き込んだ。

「なんですぐそうやって俯いちゃうかな」

「ストーカーとか言うから」

「あはは、ごめんごめん。でも時生っていつも俯いてるよね。あんまり人の目見ないし」

「そんなこと……」

 顔を上げると、すぐそこに美桜の顔があった。

 今までで一番、風が吹けば触れてしまいそうなくらい近くに。

 いくら俺でもわかった。これはそういうタイミングなのだと。

 美桜は俺の目をじっと見たまま動かなかった。俺も目を逸らせないまま動かなかった。

 自分の顔が紅潮していくのがわかった。全身から汗が噴き出していた。

 数秒間の沈黙ののち、美桜はまた困ったように眉を下げて小さく笑った。

 そして結局、ヘタレな俺の代わりに、美桜はゆっくりと顔を近づけた。

 キ……キスなど、生涯無縁だと思っていた俺にはあまりにもハードルが高すぎたのだ。

 唇を離した美桜の顔は、意外にも真っ赤になっていた。たぶん夕日のせいじゃなかったと思う。

 照れくさそうに微笑んだ美桜を見て、自分に誓った。

 絶対に、大切にすると。

 俺はまだ、人間は忘れてしまう生き物なのだということを知らなかった。